年の差
「彼女とは別れたんですよ」
 数週間ぶりに会った兄の、第一声はそれだった。
 いい年をした兄の、一人暮らしのマンションともなれば、いくら弟といえども訪れる際には気を使う。いつ何時恋人が訪ねてくるかもわからないし、恋人の私物を片付けたり等、気になることもあるだろう。
 だから玄関を開け、出迎えてくれた兄に「今日は彼女さん平気なの?」と聞けば、返ってきたのは先ほどの台詞だったのだ。
「ちょ、別れたってどういうことだよ」
「どういうも何も、そのままの意味ですよ。恋人関係を終了して、今ではいいお友達というやつですね」
「だってこないだ会った時、まだ付き合って数日だって」
 コタツに潜り込みながら快斗は尋ねる。シックなインテリアでまとめられたこの部屋に、コタツという暖房器具は何とも不釣り合いだが、快斗は実に満足している。身体を温めるのには一番だ。
「付き合いだして数日だろうが数時間だろうが、別れる時は別れるものですよ」
 手早く二人分のココアを用意してから、兄ももそもそと向かいの席に潜り込んでくる。
 身内贔屓ではなく、兄は端正な顔をしている。一緒に町を歩けば、通りすがる女性が振り返ることもしばしばあるぐらいだ。
 そんな兄が、マグカップを片手にそんな台詞を吐く様は、不思議と様になっている。なるほど、そういうこともあるのかと、だから最初は快斗も思っていたのだ。最初の一、二回程は。
「毎回ンなこと言ってんじゃねえかよ。おまえ一月以上持ったことのある彼女なんているのかよ?」
「いますよ。過去最高記録は二か月です」
「十分短ぇよ!」
 今どきの中学生だって、三カ月は持つというのに。
 呆れた思いで、快斗はココアをすすった。顔はよく仕事もでき、料理も掃除も人並み以上にこなし、もちろん浮気だってしない。そんな一見『高物件』であるから、寄ってくる女性の数は多いだろうに。
「……今回の原因は何だよ」
 じろりと上目遣いに睨んだ快斗に、キッドは軽く肩をすくめた。
「そうですね、まぁ考えられる理由は幾つかあるんですが……決定打は、うっかり『快斗』と呼びかけてしまったことでしょうかね」
「あーもう……っ!」
 やっぱりそれか。
 その理由は初めて聞いたが、結局行きつくところは同じなのだ。
「あとはまぁ、あなたとの約束を優先してしまったことが幾つかあったので、その辺りに不満を持たれたのではないかと」
「何でそんな他人事なんだよ! つーかもう、だからそのオレ優先の考え方止めろって!」
「弟を優先して何が悪いんですか。血を分けた兄弟なんですよ」
「いやだから、戦時中でも何でもねぇんだから、普通の日常生活では恋人を優先しろって……」
 何度この台詞を繰り返したものか、もうわからない。どうして高校生の自分が、社会人の兄に向かってこんな台詞を吐かなくてはならないのかということも。
「ですが私は、ちゃんと最初に彼女に告げていますよ? まだ高校生の弟が心配なので、そちらを優先することがあっても大丈夫かと」
 だから自分は悪くないと、そう言いたげな兄の様子は、なかなかに性格が悪いと快斗は思う。歴代の彼女は、一見高物件な男がとんだブラコンだったと知って、さぞや騙されたと思ったことだろう。兄に変わって申し訳ない気分でいっぱいになる。
「だからって、毎度毎度弟を最優先にする彼氏がいるかよ!」
「そうは言われましてもねぇ……」
「しかも振られたんならちょっとは気にしろって……!」
 本人が気にもしていないから、同時に反省もしない。けれど寄ってくる女性は一向に減らないものだから、また同じことを繰り返す。
 これが普通のサラリーマンであれば、嫌がおうにも社内に噂の一つや二つ広がるところだろうが、そこは世界を股にかける男だ。歴代の彼女の半数は、日本人ではなかった。だというのにこの様だ。
「女性は星の数ほどいますが、私の弟は一人きりですからね」
「……あーそう」
 下手にモテるからこその、この余裕ぶりなのかもしれない。
 何を言っても無駄だと、快斗だって過去の経験からわかってはいるのだ。わかってはいても、それでもこの妙な苛立ちは拭えない。
「……つーかさぁ、彼女とオレを間違えるってどういうこと? 百歩譲ってまだ妹とかだったらわかるけどさぁ、オレ男なんですけど?」
「いえ、彼女とあなたを間違えたと言いますか、ちょうど美味しそうなアイス屋の前を通っていて、あなたが喜びそうだなと考えていたら、つい彼女の存在を忘れていたもので」
「ひでえことさらっと言うなよ」
 人懐こい笑顔でそんな台詞を吐くのだから、我が兄ながら恐ろしいと快斗は思う。これもまたポーカーフェイスと言うのだろうか。絶対に真似はしたくない。
「ったく、オメーってほんと女の敵だよな。何でこんな性格の悪い男が兄なんだろうなー」
 半分は本音、けれどもう半分はただの嫌味だ。
 付き合い出した経緯だって、女性からどうしてもと言われ、半ば無理やり頷かされただけなのだろうとはわかる。それでも頷いたからには、それなりの誠意を見せるものだとも思うのだが。
「性格が悪いだなんて、ひどいですね」
 後ろのクッションに倒れ込むように寝転がった快斗の耳に、キッドの声だけが飛んでくる。
「性格のいい男は、立て続けに彼女に振られたりなんかしねぇだろ」
「言いますねぇ。あなたはまだ一人の彼女もできていないようですが」
「う、うっせぇなあ! オレはこれからなの! これから青春謳歌すんの!」
 兄の方が遥かに口が達者だ。八つ当たりめいた蹴りを放ってやろうとすれば、狭いコタツの中だというのにひらりと避けられてしまった。
「暴れると足をぶつけますよ、快斗。……それより、性格の悪い兄からは、何も貰いたくはないですよね?」
「何の話だよ」
「いえ、あなたが来ると思ったので、その美味しそうなアイス屋で、アイスケーキを買ってきたんですけど、あなたがいらないとなると私一人で食べなくてはと……」
「わー、いりますいりますっ!」
 反射的にがばりと起き上がれば、これまた中腰になっていた兄は、そんな弟の反応などわかっていたかのような笑みを浮かべていた。
「アイスケーキ食べたい!」
「おや、性格の悪い兄の買ってきたケーキなんて食べると、あなたの性格まで悪くなるかもしれませんよ、快斗?」
「何だよもーっ!」
 どうしてそこまで根に持つのか。
 そんなところが、性格が悪いと言われる所以ではないのかと、思っても口には出せない。出したが最後、本当にケーキにありつけなくなってしまう。
「性格が悪いなんて嘘です! お兄ちゃんすごい優しい! もう大好き!」
「そこまで言われては、仕方ないですねぇ」
 満足そうに笑って、兄はコタツを抜け出し、キッチンへと向かって行く。
 その背中が消えたのを見て、またぱったりと快斗はクッションに倒れ込んだ。
「……もおー」
 我が兄ながら、扱いやすいと言うべきか、底意地が悪いと言うべきか。
 弟のためにわざわざケーキを買うその優しさを、どうして恋人には向けることができないのか。優しさの矢印を弟から恋人に向けるだけで、恋人に振られることもなくなるだろうに。
「……でもそしたら、頻繁にここに来れなくなるんだよなぁ」
 それを考えると、少しだけ寂しく思える自分がいるから、また複雑なのだ。兄から別れたと聞かされる度に、呆れる自分と、そうしてほっとしてしまう自分がいるから。
 性格の悪さは、同じなのかもしれない。同じ両親から生まれたのだから、仕方ないと諦めるべきなのか。
 兄に次の恋人ができるまでに、これはどうにかしなければならない課題だと、静かに快斗はそう考えた。キッチンからは、何ともご機嫌な兄の鼻歌が聞こえてきた。
[14.06.08]