Colorful!


 掲示板に貼りだされたその紙を、そこに書かれた自分ともう一人の名前を見て、新一は心の底からのため息をもらした。もらさずにはいられなかった。
「あっ、新一! 新一見て! 新一見た!? 見た!?」
「……うるせぇな」
 見ろと言われずとも、もちろん見ている。この先一年を過ごすクラスが、その紙には書かれているのだから。周りから聞こえてくるのは歓声か、あるいは落胆の声か。そうしてそれら全てを含んだざわめきが、今二人を取り囲んでいた。一年の始まりに相応しい喧騒だった。
「だって新一! ほら、俺ら! 俺達!」
「わあってるから黙れおまえは」
「一緒のクラスだぜ、ほらっ!」
 黙れと言っているのが聞こえないのだろうか。事実聞こえていないのかもしれない。わあわあと声を上げながら、鞄を持っていない方の手でばしばしと背中を叩かれる。いてぇ、と呟いて思い切り眉を顰めて見せたが、そんなこともちろん相手の視界に入ってはいなかった。まるで宝物を見るかのような目で、掲示板に貼られたクラス表を見つめるだけだった。
「すっげー! すっげぇよ、な、新一! どうしよう、初めて同じクラスになれたよ俺達っ!? やっぱあれだよな、俺の日頃の行いがいいからだよな!?」
「……ちげーよ。二年に進級する時には、進路別にクラスが割り振られるからその所為で……」
「これから一年楽しくなるぜー!」
 ひゃっほう! と間の抜けた声を上げると、ポンっという軽い音と共に、何を考えたのか突然大量の紙吹雪と、それから薔薇の花が辺り一面に降り注いだ。さらに大きくなる喧騒の中、新一は思い切りその頭を殴りながら怒鳴りつけた。
「オメーは! だからその、どこでもかんでもマジックやる癖を何とかしろっつってんだろうがこのバカイト!」
「いってぇ、何すんだよ新一! 俺はただ、初めて新一と同じクラスになれたのが嬉しくて……」
「俺は嬉しくも何ともねーんだよ!」
 これ以上無い程の本音で叫んでみれば、快斗は顔を歪めて「ひどい!」と叫ぶ。ポーカーフェイスの上手いこの男は、同じぐらいには演技も達者で、その顔がどこまで本気なのかはわからなかった。十中八九そうだろうとはわかっていたが。
 ひらひらと、舞い落ちる紙吹雪が肩に落ちる。この調子では他の場所にもくっついているのだろうが、鏡が無ければわからない。新学期早々なんて面倒なことをしてくれるのかと、口からは尽きることのないため息がこぼれるばかりだ。
「……ひでぇよ新一。俺と同じクラスになれたってのに、嬉しくねぇわけ?」
「嬉しいわけあるか。むしろ最悪だ。金払って別のクラスになれるもんなら、俺の預金全部叩いてもいいから別のクラスになりたいぐらいだ今すぐに」
「何でそんなに嫌がるんだよ!? おかしくねぇ!? 弟のことをそんなに毛嫌いしなくたって……!」
「今から俺とオメーは他人だ。赤の他人だ。双子でも兄弟でも何でもねぇ。だから教室の中でも話しかけてくるんじゃねぇぞわかったな」
 話しかけたら麻酔銃打ちこんでやるぞと、半ば本気でそう言えば、快斗はなお一層悲痛な声を上げた。教室をもう一度確認し、新一は静かに踵を返した。
「待てよ、新一!」
「ついてくんな」
「同じクラスだっつの!」
 背後から聞こえてくるその言葉に、全身にどっと疲れがたまる。
 これから一年、学校にいる間もこの弟の面倒を見なければならないのかと思えば、とたんに目の前が暗くなる。
「新一、待てってば!」
 難なく追いついてきた弟の背中に、容赦のない蹴りを食らわせれば、「痛い!」と叫んで快斗は涙目になる。その様子を見て多少溜飲が下がるかと思いきや、そんなことは欠片も無く、ただ無駄に疲れがたまっただけだった。


 *


 黒羽快斗はこの学校が始まって以来の秀才であり、そうしてエンターティナーであり、同時に問題児でもあった。創立以降トップとも言える成績で入学したにも関わらず、授業の半分近くはサボりか居眠り。起きている時でさえ隙あらば得意のマジックを披露し、授業が中断されることも珍しくはない。
 なるほど、確かに快斗のマジックの腕はそれなりのものだと新一も認めてはいるが、いかんせん快斗はその後のことを考えていない。紙吹雪を散らすのもカードをばらまくのも、花を咲かせるのも鳩を飛ばすのも自室ならば勝手にしろと言うところだが、それを学校という場でやることが問題なのだ。第一に、快斗はいつだって後片付けのことなんて考えてはいない。
(……信じらんねー奴)
 頭の使い方を間違えているとしか思えない。少なくとも新一は、快斗がその頭脳を全うな用途に使っているところなど見たことはない。テスト期間は別として。
「すっげぇ!」
「今のどうやったわけ!?」
 後片付けなんて考えもしない快斗は、今もまたすぐ後ろの席で得意のマジックを披露している。どうせならもう少し大人しいものにしておけばいいものの、ギャラリーから歓声を貰う内にどんどんとその内容が派手になっていくのはいつものことだ。今日もまた変わらず舞い落ちる紙吹雪に、後で気づいた教師が眉を寄せるに違いないとわかって新一はこっそりとため息をもらす。
「ねぇ黒羽君、今のどうやったの? ずっと見てたけど、いつカード隠したかなんて全然わからなかった!」
「種明かしをすることは簡単だけど、そうしたら楽しくも何ともないだろう? 種を知らなきゃ、このマジックを見る度に驚くことができるんだぜ?」
 からかうようにケケっと笑うその声は、聞きたくもないというのに両耳に届く。何せ後ろの席なのだ。これが教室の端と端に分かれていればまだマシなものを、席がえが行われるまで我慢しなければならない。気に入りの小説だというのに、歓声に邪魔をされてちっとも頭には入ってこない。ページをめくる手の動きは自然と遅くなる。
「そう言われると余計に気になるんですけどー!」
「黒羽君、いっつもそうやって種を教えてくれないよね。去年もそうだったでしょ?」
 と言う彼女は、去年も快斗と同じクラスメイトだったのだろうか。どうでもいいそんな会話が、シャットアウトすることもできないためいやがおうにも聞こえてしまう。この上も無い程読書の邪魔だったが、休み時間ともなればだれに文句を言えるはずもない。
「そりゃあ、マジシャンはマジックは見せても、その種明かしはしないもんだからな。そうそう簡単に教えられるかって……あぁ、でもそうだな」
 とたんに沸き起こる不満の声に、快斗は笑って言葉を続けた。振り返らずとも、今彼がどんな笑顔を浮かべているのかさえ、新一には手に取るようにわかってしまった。そんな自分にまた呆れた。
「今見せたマジック程度なら、俺以外にも種がわかってる奴はいるぜ?」
 ページをめくる手が反射的に止まる。
 恐らく黒羽快斗は、根っからのエンターティナーだ。その一挙一動が、不思議な程に人の目を惹く。それが生まれついてのものなのか、育ての親によるところのものなのかはわからない。けれど教室のど真ん中で、ふと手慰みに始めたマジックでさえ、だからこうまで教室中の注目を集め、そうして魅了してしまうのだ。その得意げな笑顔でもって。
「嘘、だれっ!?」
「わっかんねぇだろ、ずっと見てたけど全然何も……」
「そうでもねぇよなー、新一?」
 笑みの含んだ声を掛けられて、思わず舌打ちを漏らした。ざわめきにかき消され、集まった『観客』にその舌打ちは恐らく聞こえなかったことだろうが。
「うそ、工藤君わかったの?」
「えー、さすが名探偵!」
 新一がまだ何も言っていないというのに、当り前のようにそう決めつけられる。探偵というのは真実を追い求める者であり、別段マジックの種明かしを生業としているわけではないというのに。
「新一、教えてやったら? 説明たれるの、オメー得意だろ?」
 その言い方も、またどこか癪に触る。文庫本を閉じながら、新一はゆっくりと振り返った。椅子に踏ん反り返るようにして、子供めいた笑みを浮かべた弟の姿が視界に映る。去年はこんな光景を目にすることもなかったというのに、全く今年一年は何てついていないことだろうか。
「生憎だけど、俺は今のオメーのマジックなんて見てないもんでね」
「何だよそりゃ」
 観客よりもだれよりも、当の本人が一番残念そうな素振りを見せていた。ずっと背中を向けていたのだ、見ていないことなんて明らかだろうと思うのに―――いや、恐らくはきっと、快斗もわかっているのだろう。背中を向けていても、今快斗が何のマジックを披露したのか、自分が全て理解していることなんて。その上でしらばっくれたことに対する反応なのだ。
「工藤君て、マジックにも詳しいんだ?」
「んー、俺がしょっちゅうやってるから、まぁ普通の人よりは、ってとこじゃね?」
「じゃあ、一緒にやったりしたら楽しいのに」
「あー、ダメダメ。あいつ俺と違って、ものすっげぇ不器用だから。マジックなんて到底向いてねぇんだよ」
「嘘、意外。工藤君てできないことなんて無さそうなのに」
 背中を向けたとたん、また勝手なことを言われる。
 快斗と違ってあまり器用でないことは確かだが、それを言えば快斗の器用さの方が人並み外れているのだ。反論するような大人げない真似をするつもりはなかったが、「できないことなんて無さそう」というそのイメージもどうなのだろうと呆れる。探偵を名乗ってはいるが、それ以上のイメージを抱かれているような気がするのは気の所為なのか。
「黒羽は器用なのに、工藤の方は不器用とかなー。双子ってその辺似てるもんなのかと思ってた」
「あ、でも、見た目はともかくあんま二人って似てないよね。マジックするのは黒羽君だけだし、工藤君は何か興味無さそうだもんね」
 いつの間にか快斗の集めたギャラリーが、こちらの机にまで寄ってきている。再び本を開ける雰囲気でもなくて、向けられた視線に新一は小さく肩をすくめて返した。実際、マジックにはそこまでの興味は無かった。嫌というほど見せられているので、少々飽きているという気持ちもある。
 それでも先ほど、快斗が見せたマジックの予想はついていた。快斗の声と、聞こえるその手順、そうして観客の反応や歓声によって。学校で簡単に見せられるマジックには限りがあるだろうし、そんな場で快斗が選ぶマジックの好みもわかっていた。推理をするまでもなく、そうして照らし合わせるだけで答えは出るのだ。
 マジックは魔法ではない。冷静に考え、そうしていくつかのマジック用品の性能を知っていれば、その種を見破るのはそう難しいことではない。けれど今回のマジックにおいては、見破るまでのこともなかった。それは昔、新一も教わったことのあるマジックだったからだ。習得できたかどうかは別の話として。
「逆にさ、黒羽君は推理したりしないの? 工藤君みたく、警察に協力したりしてさー!」
「あ? 推理?」
 どことなく面倒そうな声音だった。快斗も聞き飽きているのかもしれない。
 快斗を知る者には「マジックはしないのか」と聞かれ、逆に新一を知る者には「推理は得意なのか」と聞かれる。同じ学校であるからこその弊害とも言えるのだろう。高校に上がってからというもの、それは耳にタコができるほど繰り返されてきた言葉だった。
「しねーよ、ンなもん。何が悲しくて、放課後や休日なんつー貴重な時間を、殺人犯や警察相手に割かなきゃいけないんだっつの。俺はンな物好きじゃねぇよ」
 当てつけがましい台詞なら、まだいつものことだと聞き流すことができた。けれどその声音から察するに、それは紛れもない快斗の本音だろうとわかったからこそ、聞き流すことなんてできなかった。だれが物好きなんだと眉を寄せながら振り返る。
「快斗」
「……なあにお兄ちゃん」
 一瞬にして新一の機嫌を悟った快斗は、どこか引きつった笑顔を見せた。
「今日の帰り、オメーの好きな刺身買って帰ってやるからな」
 それも切り身ではなく、豪華にお頭付きの物を買って帰ってやるとしよう。
「ちょっ、それはねぇだろっ!? 止めろよマジでそれだけは止めろよ新一っ! 弟いじめて楽しいのかよ!?」
「あぁ。俺は物好きだからな。弟いたぶるのもけっこう楽しいぜ」
「なにさらっとひどいこと言ってんだよ止めろよそれだけは! ……あぁいや、お願いだから止めて下さい一生のお願いだからっ!」
 机の上で土下座でも始めるのではないかと思うような勢いで、快斗は頭を下げる。その様子を眺めて、ギャラリーの目は点になる。今の会話の流れから、どうして快斗が平謝りになるのかなんてだれもわからないことだろう。ただ食べることができないというだけならともかく、見るのも嫌だなんていう魚嫌いはそうそういるものではない。快斗の魚嫌いは、むしろトラウマレベルの一級品だ。
「新一、本当お願いだから!」
 プライドも見栄も無いのだろうかと、いっそ呆れてしまうぐらいだ。可哀相だとは思わなかったが。
「今日の風呂洗いオメーな」
 ちゃっかり当番を押しつけてから、再び背中を向けた。周囲からの視線を嫌というほど感じて、居心地は悪かったがどこに逃げられるはずもない。「風呂でも何でも洗うから、買ってきたりしねぇよな!?」と、後ろからうるさく騒ぐ声は無視をした。買って帰るかどうかは、その時の気分と、後は放課後に警察からの連絡が入るか否かによって決まるのだ。
 散らばったトランプを、後ろでかき集める音がする。チャイムが鳴ったが、まだ次の教科の担当は教室にやってこない。結局本なんてほとんど読めやしなかった。
「そういやお前らってさぁ、双子なんだろ?」
「……まぁね」
 答える快斗の声は暗い。よっぽど、今晩の夕食を危惧しているのか。
「なのに何で名字違うんだよ?」
「あー、俺、橋の下から拾われてきた子だから」
「だったら何でそんなそっくりなんだよ。アホか!」
 叩かれたのだろう快斗は、「いてっ」と声をもらす。今の言い訳は無理があったなと、新一が呆れたため息をもらしたと同時に教師がやって来た。数分遅れての、退屈な授業の始まりだった。


 結局その日は一日警察からの連絡が入ることもなく、無事に放課後を迎えた。
 部活にも入っていない新一が帰ろうと鞄を手に取れば、慌てたように後ろの席から「一緒に帰ろう、新一!」と声がかかり、嫌だと言う間もなく教室から連れ出されてしまった。もっとも、嫌だと言ったところで帰る先が同じである限り、逃げられるはずもないのだけれど。
「オメー、部活はいいのかよ」
「俺何も入ってないよ。新一と同じ帰宅部だよ」
「は? 春休み中、部活だってしょっちゅう出かけてたじゃねぇかよ」
 新一は新一で、ここぞとばかりに探偵業に精を出していたため、春休み中はまともに顔を合わせる日も少なかった。こうして新学期が始まった今、春休みとは比べ物にならないほど顔を合わす時間が増えていることが不思議でならない。
 駅までの道を歩きながら、快斗はぱたぱたと片手を振る。
「それはただの助っ人だよ。部員足りなくて大会出られないってとこに頼まれてさ」
「……大会出てたのかよ、オメー」
「そうそう。……っつーか俺、それ新一に言ったよね? 暇だったら見に来てよって言わなかった?」
「暇じゃなかったんだろ」
 そうして恐らく、快斗の台詞を覚えていない程度には疲れてもいたのだ。はなから快斗の話を聞く気がなかったという可能性も無くは無かったが。
「何の大会出てたんだよ、オメー」
「チェスと弓道」
「……できんのかよ?」
「できなかったら助っ人になんて呼ばれねぇっての」
 快斗は呆れた笑みを返してくる。それはもちろん当然のことではあるのだが、チェスはおろか弓道なんて、快斗がやっているところを見たことはもちろんない。それでも器用な彼のことだから、少し習うだけでも早々に取得してしまったのだろうということはわかる。まったく、いっそ憎らしい程の器用さだ。
「なー、アイス食って帰ろうぜ、アイス。ほら、駅前の店でさ」
「別に食いたくねぇよ。食いたいのなら、オメー一人で食って帰ってこいよ」
「あー、じゃあ、本屋寄ろうぜ、本屋! 新一確か、今月好きな本の続き出るとか言ってたよな?」
「それなら発売日前にネットで買った」
「何してんだよ!? 本の発売日ぐらい大人しく待てよ! ……あー、じゃなくて!」
 慌てて次の寄り道先を考えているであろう快斗に、新一は小さなため息でもって返してみせた。まったく、わかりやすいにも程があるとはこのことだ。
「……刺身なんて買ってかねぇから安心しろよ」
「え、マジで?」
「元から買ってく気なんかねぇよ」
 半分は本音で半分は嘘だ。気分よっては買うつもりだったが、そんなことをバカ正直に告げて罵倒される必要もないだろう。
「……あ、だよな」
「感謝しろよ」
「ありがとうお兄ちゃん」
「呼ぶな気色悪ぃ」
 心底からの本音でもって告げながら、軽く肘で脇腹を突く。大袈裟なまでに痛がる弟をその場に置いて、駅までの道を急いだ。この後に何か用事があるわけではないが、家に帰れば読みたい小説が待っている。時間は一分だって無駄にはできないのだ。
「……新一ってさぁ、何か学校だと余計に俺に冷たくねぇ?」
 家ではそうでないと言うのだろうか。確かにそういう面はあるのかもしれないと、思うからこそ新一は静かに頷いた。
「だから言っただろ。オメーと同じクラスになんてなりたくなかったんだよ」
「何でだよ。今までずっと違ってたんだから、一度ぐらいいいだろ。俺は嬉しいのに……」
「ブラコンのオメーと一緒にすんな」
 近づいてきたその顔を、手の平でぐいっと遠ざける。「ブラコンじゃねーよ!」と憤慨したように快斗は言うが、暇さえあれば「新一、新一」と後を追いまわしてくるその様子の、一体どこがブラコンでは無いと言うのだろう。新一には理解できない。
「兄弟なんだから仲良くしろって、いつも言われてんじゃん」
「限度っつーもんがあるんだよ。何が悲しくて、高校生にもなって弟と四六時中一緒にいなきゃなんねぇんだよ。学校が同じってだけでも迷惑だっつーのに……」
 けれどそれも、去年までは良かった。中学も高校も、基本的に双子あるいは兄弟が同じクラスになることはない。意図的に別のクラスへと分けられるのだが、ここに来て進路別のクラス分けとなってしまった。そこに文句をつける気は今さらないが、進級しいざクラス表を見るまで、それに気付きもしなかった自分自身が、むしろ情けなくてたまらなかった。結果は変わらないとわかってはいてもだ。
「新一はさー、何で俺と一緒にいるのが嫌なわけ」
 高校を出て最寄りの駅までの道には、当然同じ制服を着た生徒の姿も多かった。通り過ぎる生徒の一人が、ちらりとこちらを振り返ったように見えたのは、もちろん気の所為ではないのだとわかっている。
「変に注目浴びたくねぇんだよ」
 この年にもなって、兄弟仲良く過ごしているだなんて馬鹿げている。
 それはもう、考えるまでもなく反射的に、むしろ生理的に嫌だと思えてならないのだと―――いっそそう言ってやろうかとも思ったが、それはいかんせん酷すぎるかと考えて、わずかに考えた末にそう答えた。真昼間の往来に、快斗にうるさく騒がれるのも嫌だった。
「へー、注目浴びたくないって?」
「ンだよ。何か文句でもあんのかよ。オメーと一緒にいると、やたら周りから見られてしょうがねぇだろうが」
「俺と一緒にいなくたって、それは変わりねぇだろうが。……なー、高校生探偵くん?」
 からかうような口調に、カっと頭に血が上るのがわかった。どうしてだろう、クラスメイトに同じことを言われても簡単に流すことができるというのに。快斗が相手だとダメなのだ。これが兄弟故のものなのだろうかと、考えたところで芽生えた不快感は消えはしないのだ。
「オメーの知名度なんて、俺と一緒にいようがいまいが、今さら何も変わらねぇじゃねーか」
 高校生ながらに、探偵を名乗り現場に乗りだし、時たま警察に助言すら与え事件を解決に導く自分のことを、快斗はあまり良くは思っていないのだ。それはただ単純に、「だって事件にかまけてばっかりで、新一俺と遊んでくれないじゃん」なんていうそれこそ子供染みた理由によるものなのだから、返す言葉にも困ってしまう。拗ねたければ勝手に拗ねていろと、そう言いたくてたまらない。
「知名度はともかく、俺は悪目立ちなんてしたくねぇんだよ」
「何それ。俺と一緒にいると悪目立ちするって?」
「してんだろ。十分」
「それは新一の顔が知られてるからであって、俺は関係ねぇだろ」
 ほら、と快斗は、手にしていた携帯の画面を開いて見せた。小さな画面には今日のニュースがびっちりと並べられていて、そこには他ならぬ『工藤新一』の名前も挙がっていた。恐らくはつい昨日、解決したばかりの殺人事件の件だろうと予想はついた。
「俺はこんな風に、ニュースに名前が出たりはしてねぇし?」
 勝ち誇ったかのような顔で快斗は言う。それがまた腹が立つ。
「俺だって好きで出てんじゃねぇんだぞ」
「嘘つけ。いつだってノリノリで写真撮られてんじゃねーか」
「だれがだよ! 大体写真なんか、俺の意思に関係なく撮られてんじゃねーか!」
「そういう割には、オメーの写真ってけっこうカメラ目線なもの多いぜ? そうじゃねぇのも多いけど……あ、この間の週刊雑誌のもさ。すげぇ写り良くてびっくりしたぜ。そこいらのアイドルよりもよっぽどよく撮れててさ」
「……何でそんな詳しいんだよ」
「え? だって買ったから」
「だから何で買うんだよ!?」
 怒鳴りつければ、快斗はどこかきょとんとした顔で、「だって新一がかっこよく写ってたから」なんて言う。本人は否定してならないが、やはりこいつはブラコンなのだろうと新一は確信する。姿だけならそっくりな、双子の兄を指して“かっこいい”だなんて、普通は吐ける言葉ではないだろう。現に新一は、一度だって快斗を相手にそんなことを思った試しはない。
「……どうかしてんじゃねぇのオメー」
「何だよ。何でそうやっていつも、俺が一方的におかしいみたいな言い方すんだよ、新一は」
 それはもう、どこからどう見ても快斗がおかしいようにしか見えないのだから仕方ない。双子でありながら、どうしてその片割れはこんなにも残念な頭を持って生まれてしまったのだろうと、嘆きすら覚える。
「あ、新一。帰る前にスーパー寄ってっていいか? 文房具切れててさ。新一は何か欲しいもんある?」
「普通の弟」
「売ってねーよ! ……じゃなくて、何だよその、まるで俺に不満があるみたいな台詞は!?」
 まるでじゃなくてその通りだと、どうして快斗はわからないのだろう。わかりたくないのかもしれないが。
「今んとこ、俺が一番欲しいのはそんぐらいだよ」
 学校創立以来の秀才でなくてもいい。マジックが得意でなくとも、手先が器用でなくてもいい。いや、ぜひともそれで構わない。だからもう少し大人しく人並みな、ブラコンでない適度な距離感を保つ弟が欲しかった。初めて同じクラスになれたからと言って、全身で喜びを表現することのないような弟が。
「……何だよ。何でそんなに俺のこと嫌うんだよ」
 ジト目で睨みつけるようにして快斗は言う。顔立ちはそっくりなだけに、あまり見たい表情ではないなと新一は内心で漏らす。
「別に嫌ってはねーよ」
「嘘つけ。口先だけで適当なこと言いやがって」
「嫌ってはないけど、好きでもねぇだけだよ」
「……あのな、新一。そういう言い方一番傷つくから止めような? 頼むから」
 お前の弟の心臓は鉛でできてるわけじゃないんだぞと、大真面目な顔で言われてしまった。鉛とまでは言わずとも、鋼ぐらいではでてきるだろうと新一は思う。繊細なんて言葉からは、地球から月までの距離にも等しい程度には程遠い。
「ったく、俺はこんなにも新一のこと好きなのになー」
「快斗」
 名前を呼んだが遅かった。こんぐらい、と言いながら、快斗は両手いっぱいに花を咲かせて見せる。朝からあれだけ花を撒き散らしているくせに、まだ隠し持っていた分があるのかと新一は呆れた。多少のトリックはわかっていても、実際にこの弟がどこに花やトランプを隠しているのかまでは把握できない。
 通りかかった他校の女子高生が、突然のマジックに目を目開く。気にした様子もなく、その内の何輪かを手に取ると、快斗は「偶然の出会いの記念に」なんてことを言いながら笑顔で差し出す。驚いた顔を見せながらも、まんざらではない様子で女子高生は花を受け取った。快斗は笑顔でまた歩き出したが、一歩間違えれば見知らぬ女性に花を配る、ただの変質者だ。
「……マジックするなら場所を考えろって、俺はいつも言ってんだろうが」
「えー、なに、新一。もしかして焼き餅?」
「蹴るぞ」
 帰るみちすがら、まさか通りかかった女性にずっと花を配り続けていくのかと思いきや、さすがにそれはまずいと思ったのか、ポンっと小さな音と同時に徐々に花は減って行く。一度に消せばいいものを、それではつまらないと思っているのか、はたまたできないだけなのかはわからない。
 まだ十分に明るい夕刻の時間とあって、往来には人の姿が多い。何もないところから突然現れる花も目立てば、消えて行く花も当然目立つ。どうして帰り道まで、こうも人目に晒されなければならないのだろうと考えて、新一は小さくため息をもらした。
 自分の顔と名前が、それなりの知名度を誇ることは知っている。目立つことが特別好きというわけではなかったし、もう少しメディアから露出を減らす方法も無いわけではなかったが、新一はあえてその方法を選ぼうとはしなかった。将来探偵として食べていくためには、今から顔を売っておくのは悪い話ではないと、そう打算的にも考えたのだ。けれどその考えは間違ってはいないだろう。
 自分で選んだ道なのだから、その結果プライベートでも注目を浴びることは仕方ない。不快な思いをすることもあるにはあったが、それも有名税の内の一つだろうと諦めた。けれどそこに快斗が加わると、注目度は二倍処か二乗になるのだ。それはさすがにいただけない。
「一人暮らししてぇ」
 電車に乗り込む。この時間、いつも使うこの路線はあまり混んではいない。座席は空いていなかったが、地元の最寄り駅まではそう大してかからない。
「何だよ新一、急に」
「前から思ってたけど、オメーと一緒に帰るとなおさらその気持ちが強くなる」
「へぇへぇ。どーせ俺は嫌われてますよー」
 だから嫌ってはいないと先ほども言ったというのに。唇を尖らせて子供っぽい仕草で言う快斗は、ずいぶんと根に持っているようだった。それも家に帰る頃にはどうせ忘れているのだろうが。
 双子というだけで、周囲からはそれとない視線を向けられる。そうして新一の顔はそれなりに世間に知られているものだから、「あっ」と気づいた乗客からはそれ以上の、少し不躾な視線までもを向けられることになる。けれどその手の視線だけならもうだいぶ慣れているし、快斗は快斗で一々気にするような柄ではない。
「だけど現実問題、新一は一人暮らしなんて無理だろ」
「ま、家から学校も近いしな」
「それもあるけど、一人暮らしなんてしたら、ただでさえ新一はずぼらな生活してんのに、それにさらに磨きがかかるだけじゃん」
 授業時間のほとんどを、サボりか居眠りで過ごしているような奴にだけは言われたくない。
「だれがずぼらだよ」
「新一」
「……あのな」
「料理はしねぇ、だから俺が作ってやってんのに、読書に夢中になると食べすらしねぇとかさ。間違いねぇよ、オメーは一人暮らしなんてしたら一週間で白骨化してるな」
「白骨化するまでにかかる時間は、最短で一週間から十日程だけどな。それは地上に放置された場合で、この季節に室内で死んだ遺体が白骨化するには、一週間じゃ到底―――」
「だあああ、例えだよ例えっ! オメーにはそんぐらい一人暮らしが向いてねぇってことを言ってんだよ!」
 これだから探偵は嫌なんだよ、と快斗は吐き捨てる。自身の薀蓄癖を自覚していないわけではなかったが、所構わず花を撒き散らすよりかはマシだろうと新一は眉を寄せた。
「……それに大体、有希子さんが許すわけねぇだろ」
「母さん」
 電車の喧騒に負けぬようにと声を出せば、快斗はどこかまのぬけた顔を返して来る。いつも思うが、この弟の顔はどことなく締まりがないのだ。すくなくとも新一ならその手の顔は絶対にしないであろう。
「は?」
「は、じゃねぇよ。有希子さんじゃなくて、母さんて呼べっていつも言われてんだろ」
「家じゃちゃんと呼んでんじゃん」
 確かに家で、快斗が間違って母親に対し名前で呼び掛けたことはない。きちんと意識を切り替えているのだろうが、それならば根本的な部分から切り替えろと新一は思う。頭がいいのか悪いのか。
「バーロ。普段から呼んでなきゃ意味がねぇだろうが。家でだけ呼ぶって、ごっこ遊びじゃねぇんだぞ」
「それはわかってんだけどな……何かこう、慣れないっていうのともちげぇんだけど……」
 居心地が悪そうに、快斗はぽりぽりと片手で頬をかく。けれどその顔は、別段困り果てたようにも見えない。この手の会話を交わすのは、これが初めてというわけではないのだ。
「赤の他人を相手にしてるわぇじゃねーんだぞ」
「そりゃあなぁ。俺だって赤の他人相手に小遣いねだったりはできねぇって」
「家に来て何年経ったと思ってんだよ。いい加減に慣れやがれ」
 そう簡単な問題ではないのだろうとわかっている。わかっているが、快斗を甘やかす気にはなれなかった。甘いのはあの両親だけで十分だ。下の子の方が可愛いのは世の常なのか―――双子のため年齢差などは無いのだが―――放任主義な両親は快斗にだけは甘いのだ。
「わかってますって」
 おまえに何がわかるんだ、なんてことを快斗は言わない。
 もちろん言われたとしても新一が黙るはずもなければ、ここぞとばかりに言い返してやるつもりではいるけれど、何を考えているのかわかるようで今一つよくわからない。掴みどころが無いというのか、それもまた得意のポーカーフェイスのなせる技なのか。
 電車は止まり、快斗はリズミカルな足取りでホームに降りる。後を追うようにして、新一もまた電車を降りた。癖の強い髪が、足取りに合わせて揺れている。櫛を入れていようがいまいが変わらない。そう新一が言えば、「うっせーな」と返されるのはいつものことだった。外見はそっくりなようでいて、髪質だけは違うだなんておかしな話もあったものだ。
「新一、アイス食ってこうぜ、アイス」
「食いたきゃ一人で食えってさっき言っただろ。俺を付き合わせようとすんじゃねぇよ」
「いいじゃねぇか、ちょっと付き合うぐらい。今日の風呂当番だって俺が代わってやってんだぜ?」
「それは今日の夕飯に魚を出さないかわりにだろ」
「あー、新一のアホっ! その名前出すんじゃねぇよ!」
 ほら見ろ鳥肌が立ったじゃねぇか! と快斗は騒ぐ。この春の陽気の仲、『魚』という単語を聞いて鳥肌を立たせられるだなんて、本当に驚く程器用な奴だ。多少の好き嫌いは新一にだってあるが、快斗の魚嫌いには遠く及ばない。
「あー、ったく。お詫びとして、新一アイス奢れよな」
「何の詫びだよ。つーか普通逆だろ? オメーが俺を無理やり付き合わせようとしてんだから、礼がてら奢るのが筋だろうが」
「付き合ってもらう礼とか、兄弟の間で一々そんな水臭いことしなくていいだろ?」
 そう言う一方で、しっかり詫びはさせようというのだから納得がいかない。探偵を頷かせたいのなら、もう少しまともな理論をぶつけてもらいたい。
「ほらほら、早く行こうぜ! 俺もう、今日は朝からずっとアイスが食べたい気分でさぁ」
「オメーはいつだってそうじゃねぇかよ。つか、引っ張んなよ。俺は行くなんて一言も言ってねぇだろ!」
「何でそんな嫌がるんだよ」
 ため息をつきながら快斗は振り返る。ため息をつきたいのはこっちだと、心の底から新一は思う。
「母さんもよく言ってんだろ。弟には優しくしなさいって。……ね、お兄ちゃん?」
 にやりと笑いながら言われた言葉に、鳥肌がうつるかと本気で思った。反射的に繰り出された右足は快斗の背中に命中し、うげっと変な声を上げながら快斗は前につんのめった。それでも転びはしない辺りは、もちろん新一が手加減をしたなんてことではなく、ただ単に快斗の運動神経の良さによるものだったのだろう。
「……いってーな! 何すんだよいきなり!」
「オメーが気持ち悪ぃこと言うからじゃねぇか! 家帰るまでもう喋るなおまえは。喋るな動くな息するな」
「何だよそれ!? 何でそんなに怒るんだよ!」
 駅前は当然人の数も多い。気がつけば、周囲からずいぶんな視線を集めてしまっていた。
 これだから嫌なのだ、と新一は嘆息する。弟がいて良かったと思えたことなんて一度も無い。できることなら今日からでも一人暮らしを始めて、極力この弟と離れて過ごしたい。そうして別の高校に通いたい。
「……でも俺はな、新一のことが世界で一番好きだからな!」
 ここは地元の、夕方の駅前で。
 大して暗くもなっていないから、行き交う人の顔なんてもちろんよく見えるわけで。
 そうして自分は工藤新一なのだ。自分で言うのも何だが、恐らくはこの近辺では一番、顔の知られた高校生なのだ。周囲に目なんて向けたくもなかった。向けられるはずがなかった。


 今すぐ縁を切ろう。
 右足に力を込めながら、新一はそう覚悟を決めた。

...12.05.14