SS01
「眠い。オレは今ものすごく眠い。眠いったら眠い!」
 そんな宣言を無駄にするぐらいなら、寝たらどうなんだろう。
 と、思ってしまうのは何もオレ一人じゃないだろう。恐らくだれだってそう思う。間違いなくそう思う。いやだったら寝ろよ、と。
「……あのさぁ」
「事件の呼び出し食らったのが一昨日だぞ、一昨日。いや、呼ばれたこと自体はいいんだオレだって呼ばれたら嬉しいし。それに今回は密室殺人でさ。密室だぞ、密室。おいわかるか、密室で殺人事件があったんだぞ、おかしいだろ!?」
「うん普通に考えればおかしいけど、新一はもうそんな事件慣れてるじゃん……何かオレも話聞き過ぎてだんだん感覚麻痺してきたっていうか」
「それが今回の密室事件はいつもとは違うんだって! その部屋には監視カメラがしかけられてたんだよ。だからわかるか? 犯人が密室にしたトリックがありありとそこに映しだされてるはずが、でも確認した限りそのカメラには何の証拠も映ってなくてだな、そこがまた面白いトリックの使われてるところで」
 一度波に乗ると、新一の話はとにかく長い。普段だってそうなのに、今は一際その傾向が強い。いや、ひどい。
 再生ボタンを押したCDのように、止まることなく流れ続ける声に、オレはひたすら「うんうん」と相槌を打った。これがなかなかに難しい。もし下手なタイミングで打ってしまえば、すぐさまこの幼馴染は「おいオメー、オレの話聞いてねぇだろ?」と怒りだすことはわかっている。でも正直言ってマジシャン志望のオレには、それがどれだけ密室であろうとなかろうと、そもそも殺人事件のトリックには興味が無いのだ。殺人以外のものにだって。
 それをどうも、この幼馴染はわかっていないのだ。オレがどれだけマジックの話をしようとも見せようとも、自分はあっさり「つまんねぇ」と言ってくれるくせに。何たる理不尽。
「……ってわけなんだ。な、すげぇだろこの事件!?」
「あー、うんうん。すっげ面白い。ホームズもびっくりだなそりゃ」
「だろ!? 監視カメラがあるのを知っている人物が、まさかその前で犯行をするとはだれも思わないっていう盲点をついた上に、その監視カメラの存在すらも掻い潜ったトリックを……」
「それはそうと新一、その事件にかかりきりで、もう一昨日から寝てないんだろ? 寝ろよ」
 眠い! と言いながら、新一が帰宅したのが一時間程前。カラスの行水かと思うような、素早すぎる入浴を終えたのが五十分前。その間に、冷蔵庫に入っていた昨日の残りの食事を温めて、新一が食べ終わったのが三十分前。
「部屋行って寝ろよ。なあ」
「部屋ってどこの」
「どこのって、ここオメーの家だろ。自分の部屋行って、自分のベッドで寝ろよ」
「そのオレの家に、何でオメーがいるんだよ」
「映画見てた」
 何せ工藤家のテレビは黒羽家のそれよりもずっとでかい。はるかにでかい。借りてきたDVDを、オレは一人で思い切り堪能しようとリモコンのスイッチを押したのだが、もちろん今は停止ボタンが押されている。新一が早く寝てくれないことには落ちついて見れない。新一がいつもの調子で一緒に見てくれるのならいいのだけど。
「だーかーら、何でオレの家で、当たり前のようにオメーが映画見てんだってことを聞いてんだよ」
 寝転がった新一が、拳でオレの足を叩いてくる。それはもう何度も。痛いから止めて欲しい。
「当たり前みたいにってさぁ。……んなの今さらじゃん」
 新一だって、オレのベッドで平気で寝てるくせに。
 そう真顔で言ってやれば、新一はやっと拳を止めてくれた。ぱちぱちと瞬きをする。
「あぁそっか」
「……あのさ、新一、頼むから部屋行って寝ろって」
 どうにもこのテンションはおかしい。おかしすぎる。この絡み癖の悪さは酔っ払いにも匹敵するものがある。
「オレだって寝れるもんなら寝てーよ」
「寝れんだろ。もう事件解決したんだろ。だから帰ってきたんだろ? なのに何でそんな無駄に起きてんだよわけわかんねーよ!」
「眠すぎて寝れねぇんだよ!」
 うるせぇ! と言いながら、今度は足が降って来た。とにかくこの幼馴染は足癖が悪すぎる。何かあるとすぐにオレを蹴飛ばしてくるのだからたまったものではない。
「オレだってな、今すぐベッドに入って布団に包まっていっそ朝までぐっすり眠りてぇんだよ! でもそうできねぇんだから仕方ねーだろ!?」
「いやだからってここでオレが蹴られる理由にはならないんだけどね!? もういいからベッド入れよ! オレに映画を見せてくれよお前が鬱陶しくて見れねぇんだよこれせっかくの新作なのに!」
 新作だからレンタル料が高い。だから当然一泊二日で借りてきて、つまり今日中に見て明日には返さないといけないのだ。だというのに。
「オレが寝れなくて困ってるっつーのに、何でお前が一人で映画見てんだよわけわかんねぇ」
「寝れないっつーのはおまえの勝手な理由だろ! それにオレが巻き込まれる方がわけわかんねぇよオメー本当に探偵かよ!?」
「うるせぇオレがこんなに寝れなくて困ってるっつーのに、おまえが一人で映画なんて楽しんでるっつーのが気に食わねぇ」
「理不尽!」
 元々その気はあったけど、眠い時の新一はとにかく性質が悪すぎる。
 どうしてこんな時に限って、優作さんも有希子さんもいないのだろう。いたら簡単に新一を押しつけてしまえるのに。
 いっそもう帰ろうか。この新一が、よもやオレの家まで追いかけてくるとも思えない。
「おい快斗」
 そう思って腰を上げた瞬間に、まるでタックルをするかのように足に飛び付かれた。当然、そんな行動を予期していなかったオレはこける。顔面から。
「……いってえぇ!」
 幸いなのは、床にラグが敷かれていることだ。ふわふわの一流ラグは優しくオレの顔面を受け止めてくれた。布団程とは行かないまでも。
「何すんだよっ!」
「帰るのかと思って」
「オメーは帰ろうとする相手にタックルかますのか!?」
 そんな真似は、お願いだから犯人相手の時だけにしてもらいたい。少なくとも幼馴染―――いや、恋人にする真似ではない。もっと優しく愛情を表現してもらいたいのだ、オレとしては。
「帰るなよ」
 滅多に聞けない台詞だった。
 普段聞く台詞は、もっぱら「またいるのかよ」「まだ帰んねぇの?」「はやく帰れよ」「消えろ」なんて台詞ばかりで、思いだして我ながら虚しくなる。新一は素直じゃない。意地っ張りなところがまた可愛いのだとわかっているけど、オレも人の子だからたまには素直な言葉が聞きたくもある。
「……何で?」
「ちょうどいい」
「は?」
 寂しいから、なんて可愛い台詞が聞けるとは、到底思ってもいなかっただけど。
 でも何だ。ちょうどいいって。何がちょうどいいんだ。
「抱き枕にちょうどいい」
 ずりずりと這い上がって来た新一は、倒れたままだったオレの胸元に、ぎゅっと顔を押しつけた。その行動は実に可愛い。可愛いけど、体格の変わらない男に圧し掛かられたオレは当然重い。新一の方が幾分軽いとは言ってもだ。
「……いや、重いんですけど、オレ」
「まあいいだろ、たまには」
「それ圧し掛かってる側の台詞? いやたまにだろうが何だろうが重いことには変わりないからいやどけって。おい」
「おまえ温くて気持ちいい」
 声がだいぶとろんとしている。もしやこいつ、このまま寝る気ではないだろうか。いやまさかそんな。
「新一!」
 重てぇ! と心の底から叫べば、これまた心の底からと思わしき声が返ってきた。
「……うるせぇ」
 怒鳴り声ではなかった。けれどある意味で、地を這うような声だった。圧し掛かられて、怒られて。オレは一体何なんだろう。
「……抱き枕?」
 少なくとも、今の新一にとってのオレの価値はそうなのだろう。安定した寝息が聞こえてくるまでに、そう時間はかからなかった。普段寝付きのいい奴ではないのだが、さすがに徹夜続きとあれば別だろう。帰宅してベッドに直行してもおかしくはないぐらいなのだ。
 新一が寝てくれることは素直に嬉しい。一度事件に呼ばれれば、それこそ寝食を忘れて没頭してしまうのだから。きちんと食べて、きちんと寝る。そんな当たり前な姿を見て安堵するぐらいには、新一は自身の身体を気遣わない。そうして怪我をしたり風邪をひいたりして、その度にオレを心配させるのだ。
 いや。
 心配しているのは、オレの勝手だけど。
「何だかなぁ」
 ずいぶん振り回されている。少なくともオレは、こんな風に新一を抱き枕代わりに使ったことはない。使おうとしても、恐らくはベッドから蹴り落とされる。
 上半身は完全にオレの上に乗っていて、何より頭というのはそれなりの重さがある。それが胸のちょうど真上にあるものだから、呼吸もし辛い。腹の上でないだけマシだと思うべきなのか。
 身体の下には毛足の長いラグ、身体の上には新一。挟まれたオレの身体はぽかぽかとしてくる。だいぶ暑い。
 あと五分なら我慢してやらないでもないが、これがあと三十分続くのであればきついなと考える。徹夜続きだった新一は、あと三十分どころか三時間、いや、もしかしたら翌朝まで起きないのではないかとすら思えたが、さすがにそこまでオレもじっとしてなんていられない。人間には限界というものがあるのだ。
 そんなことをつらつらと考えていたら、玄関から物音が聞こえた。救世主、とオレは思った。
「あらあら。新ちゃんたら、やっと帰ってきたと思ったら、快斗君を枕にしちゃってるの?」
「有紀子さん!」
 優作さんの姿は隣にない。いつだって一緒にいるようなイメージのある夫婦だけど、これが案外そうでもない。大体において、優作さんはいつだって締め切りに追われていたりするので。
「新ちゃんたら、気持ち良さそうな顔で寝てるわねー」
 工藤夫妻は、はたから見てもわかりやすいほどに親バカだ。新一を見れば構いたくて仕方が無いらしい。今も有希子さんは、つんつんと楽しげに新一のほっぺをつついている。
「もう、可愛い寝顔見せちゃって」
 語尾にハートマークがつきそうな声音だった。実際にハートの二つや三つ、飛ばしていたのかもしれない。
「有希子さん、これ、どかして」
「あら、新ちゃんは気持ちよさそうに眠ってるけど?」
「……新一は気持ちよく眠れてるかもしれないけど、オレは押し潰されそうなんです」
 まあそれは大袈裟かもしれないけど、もう新一が眠ってから多少が経つ。だんだんと身体がしびれてきた。
「あらあら」
 少し演技ぶった態度だ。面白がっている。有紀子さんにとっては―――いや、オレらの両親にとっては、オレも新一も、いい玩具代わりなのだろうと時たま思う。特に新一なんて。オレ以上にムキになるのだから。
「新ちゃんにこんな抱きつかれるなんて、滅多にない機会なんじゃない?」
「それはそうだけど、押しつぶされそうになるのはまた別だから。苦しいのは好きじゃないし」
「そう? いいと思ったんだけど……」
「じゃあ有希子さん、代わる?」
「やあよぉ。新ちゃん重たいし」
 ぱたぱたと手を振って、あっさりと有紀子さんは言う。
 一応新一の名誉のために言うなら、新一は決して重くない。同じ身長で、決して太っているわけでもないオレよりもさらに体重は少ないぐらいなんだから、どう考えても痩せている。
「ま、快斗君も大変そうだしね。その辺に転がしておいていいわよ」
「転がして……」
「私だって、さすがに新ちゃんを抱えるのは無理よ」
 そう言い放って、有紀子さんはキッチンへと姿を消してしまった。夕飯にはまだ時間があるし、お茶でも入れるのかもしれない。
 オレの分もいれてくるかなと思いながら、お言葉に甘えてオレはごろっと新一の身体を転がした。と言うよりも、落とした。どうせラグが広がっているし、痛みなんて無いだろう。新一はかすかにうめいたが、その目が開くことはなかた。よほど眠いらしい。
「だから、最初からベッドで寝ろって……」
 言いかけた言葉が思わず止まる。
 身体を中途半端に起こした状態のまま、オレは新一を見つめてしまった。
「まったく、新ちゃんってば、本当に快斗君のことが好きなんだから」
 オレが新一を見つめていた時間が長いのか、あるいは有紀子さんの準備が手早いのか。
 紅茶と、それからクリームの添えられたパウンドケーキを持って、有紀子さんは戻って来た。もちろんオレの分も含まれている。
「……抱き枕代わりだと思うけど」
「あら、本当にそうかしら?」
 有紀子さんは楽しげに笑う。その視線は、新一に向けられている。
 片手はぎゅっと、オレの胸元を掴んだままだった。大した意味はないのだろうとわかっている。こんなことに、一々動揺してしまうオレの方がどうかしているとわかっている。でも、どうにかせずなんていられない。
「新一、すっごい眠かったみたいだからさ」
 だからあんなにも絡んできた。
 普段の新一なら、眠たければ素直に寝室に行く。徹夜続きで、少しテンションがおかしかったのだろう。頭が冴えすぎたというべきなのか。
「そうねぇ。たまに新ちゃん、徹夜続きでおかしくなることがあるわよね」
「だろ?」
「でも、私や優作には、そんな風に甘えてきたりはしないわよ?」
「……甘え?」
「我儘言ったり。抱きついたり」
 有希子さんは一人ソファに座り、優雅な手つきでティーカップを口元に運んだ。そんな何気ない動作が本当に絵になる人だ。時たま、新一にも似たようなものを感じる。
「……あぁそっか」
 眠い時の絡み癖がひどい奴だと思っていたけれど。
 何だ。あれは甘えた行動だったのか。
「快斗君はたまに鈍いわねぇ」
「だって、新一が分かり辛いからさ」
「でも、その分楽しいでしょう?」
 そう信じ切っている顔だった。本当にこの人は、この夫婦は、一人息子のことが可愛くて仕方がないらしい。そのくせそんな一人息子を残し、平気で海外に飛び立ってしまうのだから不思議なのだ。
「有紀子さん、ごめん、そのケーキパス」
「あら、お腹減ってないの? 美味しいわよ、このケーキ」
 言われなくても、見ているだけでその美味しさなんて十分に伝わってくる。果物のふんだんに入ったケーキなんて。チョコレートの次に大好物だ。
 でも今のオレは、到底ソファに座れそうにない。
「だって、新一が起きそうにないからさ」
 胸元を掴んだ手は離れない。離してたまるかという、そんな意識すら伝わってくるような手の平だった。さすがは探偵とでも言うのだろうか。
 小さな口でケーキをぱくりと食べてから、有紀子さんは丸々とした視線を向けてくれた。少女めいた仕草が本当によく似合う。自分の母親と同年代だとは到底思えない。
「新ちゃんは快斗君にずいぶん甘えてると思うけど」
「うん?」
「快斗君も、ずいぶん新ちゃんに甘いわねぇ」
「……そうかな」
 オレが甘やかすから新一がこうして甘えてくるのか、甘えてくるからこそオレがさらに甘やかしてしまうのか。
 卵か先か鶏が先か。
 考えながら、オレはまたごろりとラグに横になった。まるでそれに気づいたかのような仕草で、新一が顔を摺り寄せてくる。ただ単に、温もりを求めただけなのだろう。新一は寒がりだから。
「……あー、可愛い」
 新一が寝ているからこそ、そんなことを呟ける。起きていれば、すぐさま蹴りが飛んできてもおかしくはない。
「でしょう?」
 だって私と優作の子供ですもの、とどこか誇らしげに有希子さんは言う。いつもの台詞を、はいはいと笑ってオレは流す。有紀子さんはさらに浮かべた笑みを深めた。
「でも、快斗君も可愛いわよ?」
「……それはどうも」
 新一と一緒に、ラグに寝転がっていることが残念だった。だって、起きてソファに座っていたら、礼がてら薔薇の花を出すぐらいのことはできたのに。
 まったく、それもこれも新一が寝こけている所為だ。
 起きたらぜひとも、キスの一つもしてもらおう。オレはそう考えてにんまりと笑った。
...12.06.25
オフ本「Hello,knockin!!」設定で。略してハロクノ。珍しく新一が甘える話。
幼馴染だからこそ、こうしたふとした瞬間に思い切り甘えまくったりする新一が可愛いなぁと思います。でも普段はツンツン。