チケットはいるかと聞かれた時に、逡巡した結果断った理由は、その時ちょうどある事件の捜査に取りかかったところだったからだ。この週末は事件に付きっきりになるのだろうと思いきや、意外なところから関係者と容疑者の繋がりが見え、芋づる式に事件は解決してしまった。馴染みの警部の驚きのスピード展開だった。
解決してしまった、という考えはおかしいのだろう。新一はいつだって事件を解決させることだけを考え現場に入っているのだし、警官達だってもちろんそれを望んでいる。週末の予定が空くに越したことはない。幾分拍子抜けしながらも、親切な刑事の申し出を断って、新一は電車に飛び乗った。
都心の事件現場から、会場までは電車でものの十五分程の距離だった。時間に問題は無い。問題があるとすればチケットだった。こんなことなら、遠慮をせずに貰っておくべきだったと後悔する。けれど行けない可能性は大きく、そうした場合にわざわざもらったチケットを、無駄にしてしまうことは忍びなかった。
「……しゃあねーよな」
電車を降り、会場までの道をひた走る。以前にも訪れたことのある会場だったため、道に迷うこともなかった。開演時間が迫っているからか、辺りに人の姿は少ない。それでも駄目元でと販売ブースに向かってみれば、そこにはまだ『当日券販売』の文字があった。
そういえば今回のショーは、ごく小規模なものだと言っていた。そのため、告知などもほとんどされていない。その割に会場はこの辺りでもそれなりの大きさを誇るものだったが、けれど世界的マジシャンであることを考えれば、これでもまだ普通は足りないものではあるのだろう。いくら日本よりも、外国でその名を馳せているマジシャンであってもだ。
駄目元でここまでやって来たが、当日券が残っていることが不思議でならなかった。海外でのショーを見に行ったことは数える程もないが、それでもいつだって発売と同時に完売していると聞く。それ程までに日本でのチケットは売れていないのかと、不安を抱えながら扉を開けば、今感じた不安が杞憂だったのだとわかる程に、その席は埋められていた。空席なんて数える程にしかない。
「……何だ」
ぎりぎり残っていた空席を、運良くゲットできただけなのだろう。それにしても、ここがマジックの本場であれば、とてもこうはならなかっただろうが。日本であることを、ありがたく思うべきなのか新一は悩んだ。席に着くと同時に幕は開く。
ステージに立つその人は、普段新一が顔を合わせる時と同じように、穏やかな微笑みを見せている。けれど纏う雰囲気が違う。衣装に身を包み、たくさんのスポットライトを浴びたその姿は、当たり前だが一人のマジシャンだった。快活なトークを挟みながらも、止まることなく披露されるマジックに、ただ観客は魅了される。
「―――」
マジシャン志望の幼馴染を持っていても、その父親が世界的なマジシャンであったとしても、新一自身は別段そこまでマジック好きというわけでもない。探偵としての気質からか、ショーを見ていても、その種明かしに夢中になってしまうきらいすらある。幼馴染にはその度に「夢がない」と呆れられるのだが、そればかりは仕方ない。
けれど、この人のショーだけは違うのだ。
マジシャンについて詳しくはないが、それでもその腕前が世界的なものであるということはわかる。しかしそれ以上に、観客を引き込む力が並はずれているのだと新一は思う。かけられる言葉が、その指先が、その視線が。カリスマ性と、一言で言ってしまうのは簡単なのだろう。次から次へと繰り出されるマジックから、気が付くと目を逸らすことができなくなっている。種を探す暇もないぐらいには。
「……すっげぇ」
時間を忘れるとは、きっとこういうことを言うのだろう。
快斗のマジックにも、似たものを覚える。いや、それも当たり前なのだろう。何せ息子なのだから。快斗の扱うマジックは、その大半は父親譲りなものだ。最近は、その中でも独自のマジックを編みだそうとしているらしいのだが、新一には詳しいことはよくわからない。
ステージ上には、派手な舞台装置があるわけでも、美人な助手がいるわけでもない。一見すればシンプルなそれは、けれど相当な実力があるからこそなし得るものなのだろう。それを物足りないと感じる人も中にはいるのかもしれないし、海外でのショーはまた違うことも知っている。一つとして同じショーなどは無いのだから。
二時間に満たないショーはあっという間に終わり、惜しみない拍手を送ってから、新一はおもむろに席を立った。混む前にホールを出てしまおうと、足早に扉をくぐる。
「工藤新一さんですか」
「……はい?」
スタッフだろう、腕に腕章をつけた男性が、笑顔で声をかけてきた。自分の顔がそれなりに世間に知られている自覚はあったが、まさか何か事件でも起きたのだろうか。
「申し訳ありませんが、お急ぎでなければ少しよろしいでしょうか」
「あの、何か事件ですか」
率直な新一の問いに、スタッフは浮かべた笑みを深めた。
「いえ。楽屋にお呼びするようにと」
「楽屋……」
そこにだれがいるのかなんて、もちろん考えずともわかっている。
ばれていたのだ。席は後ろの方だったし、連絡なんてしていない。だから大丈夫だろうと、呑気にショーを満喫していた。いつから気付かれていたのだろうと、思って顔に赤みが差した。体温が上がったのが自分でわかった。
「あ、いえあの、ボクは……っ」
「工藤様、どうぞこちらへ」
「いえ、本当にあの……」
笑顔を浮かべたままに、スタッフは数歩歩きだしてしまう。振り返り、促すようにこちらを振り返る。新一が根負けするのに、さして時間はかからなかった。いつまでもホールの出口付近に立ち止ったままでは、他の帰り客の迷惑になるとも思ったからだった。
関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉をくぐり、スタッフの後を続き廊下を歩く。そこまで大きなホールでもないため、楽屋までもさして遠くは無かった。スタッフが扉をノックし、返事を待って扉を開ける。
「失礼します。工藤様をお連れしました」
「あぁ、ありがとう」
コートは脱いでいるが、まだステージ衣装に身を包んでいる。恐らく着替える暇もなかったのだろう。部屋には先客がいた。小さく会釈をし、邪魔にならないよう新一は部屋の隅に立った。
スタッフは扉の向こうに姿を消し、先客が親しげに交わす挨拶を何とはなしに耳にしながら、失礼にならない程度に部屋を見回した。元はそれなりの広さのある部屋なのだろうが、飾られた大量の花により、今はずいぶんと手狭に感じる。そういえば完璧な手ぶらで来てしまったことを思い出して、思い切り顔を覆いたくなった。楽屋まで招かれておいてこれはない。
次から次へと、挨拶に訪れる人で、ひっきりなしに楽屋の扉は開く。宣伝もほとんどしていない、ごく小規模なショーだというのに、訪れる人の多さに新一は驚いた。補習の後で現場に駆け付け、そのままの足でやって来たものだから、今の新一は制服を着ている。今さらながらにそれが場違いのように思えて、多少の居心地の悪さを感じた。去り際の挨拶客の、訝しげな視線をどうにかやり過ごした。ようやく部屋の中は静かになった。
「待たせてすまなかったね、新一君。何せ、最後のこうした挨拶も含めて仕事なものだから」
「あ、いえ」
「座っていてくれて構わなかったんだよ」
「大丈夫です」
ショーの間はずっと座っていたのだし、疲れているとすれば、それは新一ではなくショーの主役の方だろう。
「今回のステージも、すごく楽しかったです。あの、お疲れ様です……盗一さん」
幼馴染の父親と、こんな所でこうして顔を合わせているということが、今更ながらに不思議に思えてたまらない。
幼い頃から、もう何度もショーには招待されている。快斗と二人で揃って見に来ることも多い。それでも慣れない。家でも気軽にマジックを見せてくれるこの人が、こんなにも素晴らしい一人のマジシャンなのだと、実感する度にかすかに緊張を覚えて仕方ないのだ。
「ありがとう。まさか今日、君が見に来てくれているとは思わなかったよ。事件の方は大丈夫なのかい?」
くれると言ったチケットを、一度新一は断っているのだ。当然来るとは思わないだろう。だからこそ、こっそり見に来たつもりだったというのに。身の置き所がないとは、まさにこういうことを言うのだろう。
「えぇ、それが、思わぬところから関係者の繋がりが見えて、それで一気に解決して……まさかボクも、こんなに早く解決するとは思わなかったんですが……その、すみません」
「解決した足で、ここまで来てくれたのだろう? 何も君が謝る必要は無いだろう」
「いえ、ですけど……せっかく盗一さんが、チケットを用意すると言ってくれていたのに」
「理由が理由なんだ、君の場合は仕方ないだろう? 私は、君が来てくれただけで嬉しいんだよ、新一君」
微笑みながら頭を撫でられる。子供扱いが、自分でも不思議な程に気にならない。数々のマジックを生み出すその指先が、今自分に触れているのだと思うだけで、ただ不思議な気分になって仕方ないのだ。けれど照れ臭い。俯きがちに新一は微笑んだ。
「いつから、ボクがいたことに気付いていたんですか」
「最初から気づいていたよ。ステージからは、これがけっこう客席全体を見渡せるものでね?」
冗談めかすように盗一は微笑む。ステージからの眺めは、確かに新一もわからない。今度はその辺りも頭に入れるべきだなと、ただそんなことを思う。
「わからないと思っていたかい?」
「……えぇ。こっそり見て、こっそり帰るつもりだったんです。だから……すみません、花も何も用意してなくて。本当に手ぶらで、その」
小さな花束一つぐらい、用意しておくべきだった。渡すことができなくとも、家に飾ればいい話なのだ。あるいは、黒羽家に置いてきても良かった。いくら開演時間ぎりぎりに飛び込んだとはいえ、考えの足りなさに我ながら呆れてたまらなかった。
推理中にはあれほど働く頭が、どうしてこんな時には役立たずなのかと。
「新一君」
繊細な指先が、その器用な手の平が、ぽんぽんと頭を叩く。
「いつも言っていると思うがね。そんな気遣いはしなくてもいいんだよ。君が多忙なことを私は知っているつもりだし、その中で、君が時間を作って私のショーを見に来てくれたというだけで、それはもう嬉しくてたまらないのだよ。私はまた今月末には海外に出てしまうし、新一君と次に会えるのはいつになるかわからなかったから、こうして楽屋に呼んでしまったのだけれどね。それがもし、君のそうした負担になってしまっているのなら申し訳ない」
「あ、ちが…っ! 違うんです、そういうんじゃなくて……っ!」
どうして上手くいかないのだろう。
気遣いの足りなさを、ただ謝りたいと思っただけだった。それだけだったのだ。
「盗一さんが、そう言ってくれるのはわかってるんです。わかってるんですけど、でもその、いつもチケットだって貰っていて……本当に嬉しくて。だからそれは、オレがただ単にそうしたいってだけのことで。全然負担とか、そういうんじゃないんです。今日だって、オレが盗一さんのショーを見に来たかったから、だから急いでここまで来ただけで……」
上手くいかないどころか、多分今、ものすごく恥ずかしいことを言っている。
どれだけショーが見たかったかなんて、本人に言うつもりはなかったのだ。事件を解決したその足で、疲れた身体のまま向かうだなんてよっぽどだ。マジック好きでないことは、両親はおろか黒羽夫妻にも、もちろん知られているからなおさらに。マジックが好きだから見たいのではない。この人の、盗一のショーだから見たいのだなんて。
どれほどだと言われることはわかっていたから。
目の前に立っている盗一が、小さく笑ったのがわかった。空気が震えた。
「快斗は、私の楽屋に来るのにも、花を持ってきたりはしないだろう?」
「……えぇ?」
それは、息子なのだから当然だろう。もちろん、中にはそうした気遣いを見せる息子もいるだろうが。
「それどころか、スタッフが作ってくれた軽食を、勝手に食べていたりもするぐらいでね。差し入れに貰った菓子なんて、ほとんど快斗の胃袋に収まっているといってもいいぐらいだ。新一君もそのぐらい……と言うには、あまりに失礼な台詞かもしれないけれどね」
「あ、いや…っ」
反射的に言いながらも、けれど自分が快斗のように振舞うことは一生無理だろうと、ただそう思う。盗一だって、そんなことはわかっているに違いないのだ。似ているのは顔だけで、性格を指してそう言われることは滅多に無い。
「まあ、快斗は少しばかり落ちつきが足りないからね。あの子程とは言わないが、もう少し君も気を使わずに来てほしいんだよ。あの子と同じように、私は君のことも息子同然に思っているのだからね」
真っ直ぐに向けられる視線を、ただ受け止めることがこれ程難しい人が他にいるだろうか。人見知りをする性質でもないというのに、新一にとってはそれがこの上もなく難しいことに感じられて仕方ないのだ。
再び顔が赤くなっていることが自分でもわかる。嫌なわけではない。ただ恥ずかしくてたまらない。そう思っていることを、また見透かされてそうで恥ずかしい。うろつきそうになる視線を、一カ所に留めて小さく頷く。満足げに微笑まれるその顔が眩しい。
「わかったかい、新一君?」
「……はい」
ありがとうございますと言いかけて、それもまた違うだろうと慌てて言葉を飲み込む。この人を前にしていると、焦ったあまり余計なことばかり言ってしまうことが多くて嫌になる。気持ちを落ち着けて、冷静に話せることなんてほとんどない。それでも会いたいと、話をしたいと、思ってしまうことが一番の問題なのだろう。だって好きなのだ。
「いい返事だね」
満足げに頷いてから、盗一はふと壁にかけられた時計を見上げる。釣られて新一も時計に視線を向けたが、閉演からはもうだいぶ時間が経っていた。ここに来てからの時間が長かったのだろう。
「もうこんな時間になるのか。そんなわけで、私は君を息子同然に思っているわけだからね。まだ高校生の息子を、これ以上引きとめることはできないのだよ。名残惜しいけれどね」
一度事件となれば、時間なんて気にしないのが新一の常だ。午前様なんて当たり前な生活の中で、今更時間を気にするようなこともないが、確かに世間的に高校生の活動していい時間とそうでない時間というのはある。
「盗一さんは、すぐにまた海外に行かれるんですか」
「実際に行くのは今月の末だけれどね。その前にも打ち合わせやら何やらで、あまりのんびりとはしていられないのだよ。君と一度ぐらい、ゆっくり食事をしたいのだがね。新一君も色々と忙しいだろう?」
「ボクなら大丈夫ですよ」
ちょうど取りかかっていた事件が解決したばかりだということもあるが、少し意気込みすぎていたかもしれない。わずかに驚いたように、盗一は目を見開く。恥ずかしくなって、新一は慌てて視線を逸らした。こんなことばかりで嫌になる。
「……いえ、あの」
「なら、暇な時に連絡をくれるかな。快斗も連れて食事に行こう。海外のショーに出る前には、必ず寄っている店があるのだよ。君も気に入ってくれるといいのだけれどね」
「楽しみにしてます」
父もそうだが、盗一の連れて行ってくれる店に、今まで外れなんて一度もない。快斗がいるからには、魚料理はまず除外されるとみていいだろう。けれど楽しみなことに違いはない。
先に歩いた盗一が、新一のために扉を開けてくれる。
「気を付けて帰るんだよ。寄り道をしないようにね」
「はい」
子供扱いをされても、苛立ちを覚えることもない。促されるままに、新一は扉をくぐった。
「来てくれてありがとう。嬉しかったよ、新一君」
微笑まれて、返事に困る。
どういたしましてと答えるのもおかしい気がして、けれど、こちらこそと返すのもまた違和感があると思うのだ。言葉に迷っている内に、廊下へと出てしまう。「また今度」と背中を叩かれて、結局頷くことしかできなかった。帰りの挨拶をして歩き出す。
ホールの入口へと行けば、見覚えのある顔がそこにはあった。新一を見つけ、また笑顔を浮かべる。
「お帰りのタクシーはあちらです」
「あ、すみません」
あらかじめ盗一が、そのように手配をしてくれていたのだろう。まだ電車は普通に動いている時間であるし、乗り換えが多少面倒ではあるが、そうして帰るつもりでいたのだ。何もかも読まれている。父を相手にしている時と、似たものを感じる。
待機していたタクシーは、新一が乗りこむと同時に走り出す。行き先は愚か、この調子では恐らく金も渡されているのだろう。何もかも準備が整いすぎている。どうしようもないほどに。
「……あー、くそ」
座席に深く寄りかかりながら、思わず小声が漏れた。
結局、何をしに行ったのかわからない。いや、盗一のショーを見るという、当初の目的はもちろん果たした。けれどその結果がこれだ。こっそり見に行ったつもりが、どれだけの気遣いを盗一にかけてしまったのかわからない。他の挨拶客へも、帰りのタクシーを用意していたということはないだろう。
自分が子供だから。盗一にとって、もう一人の息子のようなものであるから。
「……あー」
迷惑をかけていることが辛い。けれど、世話を焼かれることは嫌いではない。そんな特別扱いを、嬉しいと思ってしまう自分が信じられない。それこそ、どれだけ子供なのかと呆れてしまうようで。
窓の向こうを流れる風景を見ながら、片手で携帯を取り出した。快斗から、夕飯はいるのかというメールが届いていた。ショーの間に来ていたものだから、結果的に無視する形になってしまった。さて、今から何と返事をしようかと考える。
「盗一さんのショーに来てたっつったら……」
どれだけあの幼馴染が、機嫌を害するかはわかっている。父親のショーは、毎日でも見たいと思っている快斗だ。その気持ちはわからないでもないが、その中でどうしてか、新一が今日のように一人で父親のショーを見に行くと、ひどく機嫌を損ねるのだからわからない。
言うべきではないのだろうとわかっている。けれど、あえて言ってみるのも一興だと、そう思ってしまう自分がいるのだから仕方ない。快斗の煩さに辟易しても、同時にからかいたくなってしまう気持ちも確かにあるのだ。どうしたものかと、頭の片隅でぼんやりと考える。
事件が終わった後に、その足でショーに駆け付けたからだろう。一度タクシーのシートに身を預けてしまえば、自分で思っていた以上に疲労感が溜まっているのがわかった。家までは後三十分以上はかかるだろう。このままでは眠ってしまいそうだと思う。
「……やっべ」
最後に盗一が押してくれた、背中を妙に熱く感じた。
...12.08.27
快新前提の盗新がものすごく好きです。盗一さんに多大な憧れと尊敬を抱いていて、その所為で上手く話せない新一とか可愛すぎる。
そんな新一を「可愛いなぁ」と眺めてる盗一さんと、「オメーはオレより親父の方が好きなのかよ!」な快斗との関係が美味しいです。