「あのさ、オメーに頼みがあるんだけど」
なんて、他でもない名探偵本人から言われれば、さすがのオレだって多少はびびる。
もちろんそんな態度を顔に出すのは嫌だったから、あくまでも表面上は平静を装い、でも内心では心臓がかなり暴れ出していたりした。
だってこの名探偵が、工藤新一が、そんな改まった顔をして頼みがあるとか言いだすなんて、一体何事だというんだ。天変地異の前触れか。
「おう、何だよ。オレにできることなら何だってやるぜ?」
言ってから、少し安請け合いしすぎだっただろうかと後悔したけど、いやでも恋人からの頼みを二つ返事で引き受けなくてどうするというのか。そんなことでは男が廃るというものである。
「で、頼みって何だよ」
「……いや、あのさ」
「おう」
「嫌だったら別にいいんだけど」
「嫌きゃどうかも、聞かなきゃわかんねぇだろ」
何なんだ。
そんなに言い辛い頼みなのか。そう考えると緊張が増す。
「いや、まあ、そのさ」
新一はオレから少し視線をそらして、マグカップに手を伸ばす。多分味なんて、ろくにわかっていないのだろう。なぜならオレもそうだからだ。
「……目の前でキッドになってほしいんだけどな、とか」
「……はい?」
予想もしない言葉だった。
思い切り瞬きをして、もう一度目の前の名探偵を見る。聞き間違いかとも思ったけど、オレの無駄に性能のいい耳で、そんなことはありえないのだ。
「えーっと、それは何か、あれか? 盗みの依頼的な?」
別にオレは、常日頃だれかから盗みの依頼を受けているわけではないけれど。
さらに言えば、例えオレがそんなことを受けていたとしたって、この名探偵がオレにそんな頼みごとをしてくるわけがない。
「ちげぇよ。何でオレがそんなことをオメーに頼まなきゃなんねぇんだよ」
案の定、新一は眉を寄せてそう言った。だよな、と安心すると同時に疑問がもたげる。
「や、じゃあ何でわざわざキッド?」
「だから、見てぇんだって」
「見てどうするわけ……?」
「べつに、何もしねぇよ」
捕まえたりすると思ってんのかと、新一は半眼で問う。
もちろんオレだって、新一がオレにキッドの格好をさせて、その上で捕まえるなんて姑息なことを考えているとは思わない。そもそもいまだ捕まえる気があるのなら、オレと新一はこういう関係になっていないだろうと思うわけで。
「……何もしないのに見てぇんだ?」
「怪盗キッドを見たいなんて輩は、それこそ山のようにいるじゃねぇか」
それはまあ、ありがたいことにその通りで。予告を出せば犯行現場にはたくさんの観客が押し寄せてくれるわけで、その群衆の中に紛れ込むって手法をオレはよく使わせてもらっているわけなんだけど。
「やっぱ、駄目か?」
世間一般のミーハー心理をオレはよく理解しているつもりだったけど。
でもその手のものが、まさかこの名探偵にもあるというのは予想外すぎて。
だけど、駄目かそうでないかと聞かれたら、もちろん返事なんて決まっている。しつこいようだけど、恋人からの頼みを笑顔で聞けないぐらいでは、男が廃るというものであるからして。
「いやいや、そのぐらいお安いご用ってね」
言いながらにオレは立ち上がってドアへと向かった。
ここですぐさま、1、2、3と数えて姿を変えられたらさぞかしかっこいいのだろうけど、生憎とマジックは魔法ではない。種も仕掛けもあるもので、つまり多少の下準備がなければひと時の夢を見せることはできないのだ。
新一ももちろんそれはわかっているから、オレを呼びとめたりはしない。
脱衣所を借りて数分で準備を整えて、オレはまたリビングに戻る。同じようにソファに座っていた新一は、戻って来たオレを見てわずかに眉を寄せた。
「オメー、そのままじゃねぇか」
「はいはい、あまりショーの進行を急かさないようにお願いしますね?」
1、と呟いて手の中にシルクハットを出現させる。新一の目が見開かれたのを見て、オレは内心でにんまりと笑った。
2でそのシルクハットの中から布を引き出し、3で煙幕と共に姿を現す。怪盗姿のオレを見て、新一は「おお」と声を漏らして軽い拍手を贈ってくれた。少しばかり熱意の足りない拍手だけど、まあ良しとしておこう。
「何だ、わざわざそれを仕込んでたのかよ……普通に着替えてくるんだと思ってたぜ、オレは」
「普通に着替えて出てくる怪盗キッドなんざ、面白くも何ともねぇじゃねーか」
「別にオレは、オメーに面白さなんて求めてねぇけどな」
仮にもマジシャンに対して、何とも心外な言葉である。
というよりも、目の前でキッドになってほしいというから、つまりてっきりこういうことを言っているのかと思ったのだけど。何だ、ただ単に着替えて欲しいというだけだったのか。それなら先に言ってほしいところだ。
「……んで?」
「で、って何だよ?」
「や、だからそれをオレが聞いてんだけど……この格好になって、そんでどうすりゃいいんだよ、オレは」
「だからさっきも言ったじゃねぇかよ、見たいだけだって」
思い返せば、確かに数分前に新一はそう言っていたような気もするけれど。
「え、そんな、マジで? 本気で?」
「何でオレがそんな嘘をつかなきゃなんねぇんだよ」
どこか踏ん反り返るようにして新一は言う。こんな家の中で、馬鹿みたいな白マントを羽織ったオレは経ち尽くしたままだ。どんな冗談なんだこれは。
「……正直者なのはいいことだとは思うけどな」
本当に、ただ見たいだけだったのか、この探偵は。
もうお役御免なんだろうけど、すぐ着替えに戻るのも癪で―――と言うよりかは面倒で―――オレはこのままの格好で再びソファに座りこんだ。はたから見ればさぞ間抜けな格好だろうが、ここには新一とオレの二人しかいないのだから良しとしよう。
オレの分の紅茶はとっくに冷めていた。まあ当然のことだ。
「つーかさぁ。オメー、オレのこの姿なんて見慣れてんだろ」
世間一般のミーハー心理は理解できる。普段身近では見られないからこそ、その興味が高ぶるのだ。例えば世間に、他にオレのような怪盗が山ほどいるとしたら、これほどまでに観客の興味を集めることはできないだろう。つまりそういうことなのだ。
でもそんなミーハー心を、当然新一は持っていないわけで。
「今さら見て楽しいのかよ」
「別に、楽しいわけじゃねぇけど……本当にお前ってキッドだったんだなって」
「……はい?」
「や、もちろん知ってたし、実感が無かった……ってわけでもねぇど、あー、何て言うんだろうな」
珍しくも、言葉に困ったように新一はがりがりと頭をかく。
「知ってはいたけど、それを実際目にするのとじゃ違うっていうか……普段のオメーとキッドって、やっぱ似てるようで違うだろ」
「まあ、なぁ」
頷いたはいいけど、自分ではあまりよくわからない。
意図的に変えている部分はもちろんあるけれど、多分無意識にそうしてしまっているところの方が多いのだろう。頭で考えること半分、勘で判断するところ半分といった感じだろうか。
「何かこう、わかってるのにいまいち実感に欠けるっつーか……だからほら、一度ちゃんと見てみたかったんだよ」
「はあ、なるほど」
驚いたけど、実感に欠けるものを自分の目で確かめたいと思うその辺りは、なるほどいつもの名探偵らしいと言えないこともない。
確かに新一の目の前で、今までキッド姿に変わったこともなければ、その逆もない。普通は姿を変える瞬間なんて、そうそう人に見せるものではないのだから当り前だ。
「前からずっと気になってたからさ。見れて良かったよ」
と、新一は小さな笑顔を浮かべて言う。
「気になってたんならさっさと言えばいいじゃねーか」
何をそんな水臭い。
改まって頼みがあるなんて言うから、一体何を言われるのかと身構えてしまったというのに。
遠慮をする新一なんて、まったく新一らしくない。もっとこう、オレに対しては、いっそ腹立たしい程に図々しいぐらいでちょうどいいのだ。それでこそ工藤新一だ。
「……オメー、そういうの嫌がるかと思ったんだよ」
「は? そういうのって?」
「だから、ただ見たいからキッドの格好しろとか……オメーだって、好きでやってるわけじゃねぇっつーのによ」
「そりゃまあ」
好き好んで怪盗業を営んでいるわけではないけれど。
いやでも、けっこう楽しんでやっている面も無きにしも非ずで。
「……オメーの頼みとあれば断らないぜ、名探偵?」
小さく笑いながら、いつものように右手にぽんっと花を咲かせた。それをそのまま新一に差し出せば、どこか無防備に驚いた顔が返って来て、むしろオレの方が内心驚かされたぐらいだった。
あぁまったく、本当に。
不意打ちで、ひどい顔をしてくれるんだ、この名探偵だ。
「……それ、何とかなんねぇのかよ」
「それって?」
「キッドになった瞬間、気障ったらしくなんの」
呆れたように新一はため息を漏らす。オレはうーんと小さく唸ってみせた。
別段意識してやっているわけではない。でも、普段のオレではない、黒羽快斗ではないと思えるからこそ、確かに言える台詞の数々ではあるのかもしれなかった。少なくとも普段のオレは気障な台詞を吐いたりはしない。普通の男子高校生なのだからして。
「それはまあ、怪盗紳士を心がけているものですから」
もう一度、新一はため息をもらしてくれた。今度は嫌そうな顔で。もちろんオレの差し出した花を受け取ってなんてくれない。わかってはいたけど、このマジックは相手が花を受け取ってくれないとどうにも締まらない。
オレは出したばかりの花を、仕方なしにもう一度手の中にしまい込む。見慣れているからだろうが、もちろん新一は残念そうな顔なんて見せない。
「まあ、名探偵は男だから、花なんか貰っても嬉しくねぇか」
返事を待たずにオレは身を乗り出した。
触れた名探偵の唇はしっかりとコーヒーの味が残っていて、あまり得意ではないオレは内心で眉を寄せてしまった。何とも身体に悪そうな味だと思った。
この格好のまま妙なことをする気にはなれなかったから、ほんの一瞬触れるだけの、何とも可愛らしいキスに留めておく。
「……名探偵の唇、頂きました」
我ながらちょっと臭すぎた。
さすがに無かったかなとオレが内心で後悔するのと、新一が息をもらしたのは同時だった。
「……気障っつーか、臭ぇんだよ、オメーは」
「いやぁ、まあ」
「まあ嫌いじゃねぇけどな。キッドのそういうこと」
「え」
何だ。何なんだ。
どうして唐突に、こちらの思いもしないタイミングで、そういうことを言ってくれるんだこの名探偵は。オレのポーカーフェイスを崩そうとする作戦なのなら、それはもういっそ感服する程の狙い処だ。
「いや、新一、それってどういう……」
「ま、普段のオメーに言われたら蹴り飛ばしたくなるけどな」
「……あぁ、うん」
反射的に頷いてしまったけど、だからつまりどういうことなんだ。
考えてみたけどわかるようなわからないような。とりあえず、行きつく先は一つしかないのだけど。前から、薄々、何となくわかってはいたのだけど。
「……オメーってさぁ」
「あぁ?」
「何つーか……割と、その、キッドのこと好きだよな?」
「そりゃ、あんな謎だらけの怪盗に、燃えない探偵はいねぇからな」
オレはこうしてもう名探偵の目の前にいるのだから、謎も何も無いと思うのだけど、それとこれとは別なのだろうか。探偵の思考回路は、怪盗のオレにはわからない。
新一はどこか満足そうに笑って、オレの頬に手を伸ばす。モノクルにそっと触れて、「月の下じゃないと妙な感じだな」なんてことを、嬉しそうな顔で言う。まったく、たまったもんじゃない。
「……何だかなぁ」
「何だよ。何か不満でもあんのかよ?」
「とんでもない」
どうやったらキッド以上に、黒羽快斗を好いてもらえるのだろう。
とりあえず、目下のオレの課題はそれになりそうだった。