年の差 1
 ふと疑問に感じたことがある。
 いまだ高校生である自分に、頑なな恋人が手を出してこないことは、まあ仕方が無いとしても。
 果たしてこいつは、そういえば男相手に『その気』になる奴なのだろうかと。
「なあ、快斗」
「……あー?」
 ベッドの中で、快斗は携帯をいじっている。新一は、その横に寝そべって、そんな恋人の姿を眺めている。
 いつもの光景だ。快斗のベッドは広く、こうして新一が潜り込むことにも何ら不便は無い。それでもことあるごとにこの恋人は、やれ「おまえが毛布を全部持ってった」だの「おまえの寝相は死ぬ程悪い」だの「寝言が煩くて眠れなかった」などと言うのだが、新一は何も覚えてなどいない。快斗は少しばかり、被害妄想が過ぎるのではないかとすら思っている。
「おまえさぁ」
「あー?」
 返事は変わらない。
 人の話を聞いているのだろうか、こいつは。
 携帯を奪い取ってやろうかとも一瞬思ったが、ちらりと盗み見るに、どうやらメールの相手は仕事仲間のようだった。となれば、下手なことをしてはまずい。
「ちょっと聞きてぇんだけどさ」
「おー」
「おまえ、オレ相手でちゃんと勃つわけ?」
「……あっ?」
 突然、ぐるりと首がこちらを向いた。表情から察するに、どうやらきちんと新一の言葉は、その耳に届いていたようだった。
「聞いてたんだな」
 それならいいのだと、満足感を覚える新一に対し、快斗の表情は酷かった。何というか、間が抜けているにも程がある。
「……おまえ、今何つった?」
「何だよ、聞いてんのか聞いてねぇのかどっちだよ。だからな、オレ相手でちゃんと勃つのか……」
「ああああああ、言わんでいい! 言わんでいいから!」
「もがっ」
 伸びた腕が、無理やりに新一の口を塞ぐ。何を言ったかと、尋ねてきたのは快斗の方だと言うのに。
「おまえな、いきなり何つーことを聞いてくるんだよ! それが男相手に尋ねることかっ!?」
 半ば怒鳴りながら、快斗は腕を離した。軽く睨みつけながら新一は答えた。
「男相手にだから聞いてんだろ。女にンなこと聞くかよ」
 何せ勃つものもない。
 大真面目に新一がそう言えば、快斗は心なしか項垂れたようだった。どこか疲れているようにも見える。
「なあ、だからどうなんだよって」
 冗談交じりに不能なのかと聞いたことはあるが、そんなわけはないだろう。快斗がその手のDVDを所持していることは知っている。恋人に手を出さないくせに、ちゃっかりそうしたDVDだけは見ているということが、新一にとっては不本意でたまらないのだが。
 快斗に身体に問題があるとは思わない。けれど何せ、自分たちは男同士だ。そうして快斗は、間違っても同性を好きになるような気質を持っているわけではない。それは新一にも言えることだが。
 快斗が快斗だから、好きになったのだ。快斗もまた、そうだろうとは思っている。思っているが、それ以上先のことになるとやはりわからない。快斗の身体については、それこそ快斗しかわからないものだろう。
「どうなんだよ」
 尋ねることは、少しばかり怖かった。
 だって、ここで「実は…」などと言われたらどうしようか。新一には、どうしようもないのだが。
 けれど、どんな答えであれ、聞かない方がマシだなどとは思わない。大事なことであるからこそ、きちんと聞いておくべきことだとも思う。期待を重ねたまま、ある日突然告げられる方が辛いだろうとも思った。
 新一のそんな、決して茶化してなどいない、真剣な空気を感じ取ったのだろうか。
 快斗は手にした携帯を枕の横に置いてから、ふうっと息を漏らした。
「……その点については心配すんな」
 重々しい声だった。快斗らしくもない。
「心配すんなって言われても」
 せずに済むのであれば、はなからそんな心配などしていない。こんな心配など、しないで済むのならそれに越したことはないだろう。
「大丈夫だっつってんだよ。オメーが心配するようなことはねぇから」
 吐き捨てるように快斗は言った。新一は目を丸くする。
「何で」
 そんなことが言い切れるのだろう。いまだ手の一つも出してこないくせに。
 目を丸くさせる新一に、快斗は眉間の皺を深めた。笑顔で交わす会話ではないとしても、そんな顔はないだろうと思う。こんな時にこそ、得意のポーカーフェイスをかぶったらどうなのか。
「何で、心配の必要がねぇって言うんだよ」
「オレのことはオレが一番よくわかってんだよ」
「自分のことだって、わかるもんとわからねぇもんがあるだろ」
「うるせぇな、大人はわかるんだよ」
 そんな理不尽な。
 五歳の子供であれば納得したかもわからないが、新一はそこまでの子供ではない。十七歳の高校生だ。快斗とだって、もちろん親子ほどには年齢だって離れてはいない。年の離れた兄弟程度だ。
「何だよ、どっかの男相手にその気になったことがあんの?」
 だとしたら、『一番よくわかっている』という言葉にも信憑性が出ると思ったのだ。
 けれど、とたんに快斗はぎょっと目を見開いた。
「バーロっ! あるわけねぇだろっ!」
「隠さなくてもいいんだぜ」
「隠してねぇよ! あってたまるか、ンな気色悪ぃこと……っ!」
「……気色悪いって」
 自分たちだって、紛れも無い男同士だというのに。
 そんな、言葉にしなかった思いは、しっかりと新一の顔に出てしまったのだろう。
「……いや」
 身体を起こした快斗は、「しまった」という感情を露わにしたまま、片手でぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜた。そうすると、ただでさえ癖毛の頭がさらにひどいことになる。就寝前だからだろう、気にした様子もなかったし、新一もまた気にしなかった。
「……だからな、新一」
「……男とヤんの、やっぱ気持ち悪いって思うんだ」
「新一」
 考えずとも当たり前のことだ。何を言おう新一だって、余所の男同士の性行為には嫌悪感を持っている。あるいはそれは偏見とでも言うべきものなのかもわからないが、生理的なそればかりは仕方ない。それと自分たちと、一体何が違うのかと言われればわからない。わからないからこそ不安になる。
 自分がそう思うというのに、快斗にはそう思うだなんて、そんな勝手な思いを抱くことは間違っている。
 そう、快斗は何もおかしくなどない。その手のDVDを見て、男同士の好意には嫌悪感を抱いて。当たり前のことだ。そう、当たり前のことなのだ。
「……いいか、新一。オレは確かに、男同士のその手のことに耐性はねぇ」
「普通だろ、それで。気持ち悪いって思うのもさ。だから、オレとそういうことを考えられないんだとしたって―――」
「普通に考えて、どっかの男同士がセックスしてるなんて、そりゃ気持ち悪いだけだよ。でもな、おまえは別だ! おまえだけは別なんだよ、新一。オレはおまえとそういうことをするのを嫌だと思ったことはねぇし、最近だってしっかりおまえで抜いてて……」
「……うん?」
 おかしな言葉を聞いたと思った。
 おかしなと言うよりは、初めて聞く言葉と言うべきだろうか。
 思わず首をもたげた新一に、快斗もまた、自身の失言に気付いたのだろう。どこかに忘れてきたポーカーフェイスを、探しに戻るべきだと新一は心底から思った。
「……いや、違うんだ。違わねぇけど。言ってることは間違ってねぇけどな、前半はそうだけどな、最後の言葉は忘れろ。忘れてくれ頼むから。悪かった、ガキに聞かせる言葉じゃなかった。ちげぇんだよ、ちげぇから。マジで違ぇんだって……!」
「……ンな言葉で誤魔化される程、オレがガキだと思ってんのかよ?」
 そうだとしたら呆れるしかない。
 確かに恋愛経験だってろくに無ければ、キス以上の経験なんてそれこそからきし無いけれど。
 けれど、かと言って何も知らないというわけではないのだ。新一だって同じ男なのだから。だからこそ、快斗の身体に関しても、疑問を覚えたわけなのだが。
「……ありえねぇ」
 その言葉は、恐らく快斗自身に向けられたものなのだろう。自身の失言に、どれだけのショックを受けていることなのか。
 額に手をあて、うなだれる快斗を見上げながら、先ほどの言葉をじわじわと新一は思い返した。言われたことは、多分ずいぶんと生々しいことだ。けれどそれが嬉しい。つまり自分は、しっかり快斗の『その手』の相手として成り立っているというわけなのだから。
 触れるだけのキスしかしてこない恋人が、けれど自分のいないところで、自分のことを考えてくれている。それだけでも十分と嬉しい。家族として思われている自覚ならあったが、それが恋人としてのものになると、からきし自信なんて無かったからこそなおさらに。
 そうか、グラビアアイドルの出る雑誌を見ているだけでも、DVDを見ているだけでも無かったのだとわかり、頬が熱くなった。笑顔が浮かびそうになるのを、必死に新一は堪えた。
「なあ」
「……なんだよ」
 いまだ快斗はうなだれている。
 この会話を続けるのは可哀相かとも思ったが、好奇心は抑えられなかった。またいつ、こんな機会が巡ってくるかなんてわからない。
「あのさ、オレの……その、どんなオレを想像して、抜いてるわけ?」
「は」
「だからさ、どんなオレを思い浮かべて抜いてるのかって」
 尋ねることもまた恥ずかしい。恥ずかしいが、それ以上に好奇心の方が強かった。
「なあ、快斗」
「……言うわけねえだろっ!」
 アホか! と、怒鳴り声は続いた。その上、さらに頭を叩かれた。
 不意打ちだったからこそ痛みも強い。叩かれた頭を押さえながら、明日になったら盗一さんに言ってやると新一は思う。けれど今は、他に聞くべき言葉があるのだ。
「ンだよ。言えねぇほどエロいことでも考えてんのかよ」
「な…っ」
 快斗はあんぐりと口を開いた。その顔は赤くなっている。
 あながち今の新一の言葉は、外れてもいなかったのか。けれど、そこまでの想像だなんて、それこそ新一自身にも想像がつかない。
 大体、男のエロい姿なんて、一体どんなものだというのか。それこそ女性であれば、下着姿だの水着姿だの、あるいは一切服を纏っていない姿だの、色々と考えようはあるのだが。
 男が脱いでいたところで、一体何だというのだろう。
 ぺろり、と、新一はパジャマの裾を胸元までめくり上げた。見慣れた自分の身体だ。そうして見つめたって、当然色気なんて欠片も感じない。当たり前だ。
「何してんだよ……!」
「いや、エロくはねぇなと思って」
「ふざけた真似すんじゃねぇよ!」
 怒鳴りながら、伸びた快斗の腕が、新一のめくれたパジャマを戻して行く。心なしか、その目元は赤い。
「なあ、快斗……」
「―――ガキはさっさと寝ろ」
 新一の呼びかけを無視し、快斗はベッドを抜け出して行ってしまった。その様子は、まるで自身の部屋に戻るかのような様だが、快斗の部屋はここである。
 風呂にもとっくに入っているし、あとはもう寝るだけだろうというのに。どこに行くのかと首を傾げながらに、新一は唇を開いた。
「何だよ、トイレで抜いてくんのかよ?」
「……っ」
 快斗は何も答えなかった。けれど一瞬、その肩が揺れたように思えた。
 もしや当たっていたのだろうか。けれど、それを重ねて問う前に、快斗は部屋を出て行ってしまった。
「……マジかよ」
 茫然と、新一はしまった扉を見つめていた。見つめることしかできなかった。
 何とも落ちつかない気持ちだった。夜も遅いが、当然大人しくベッドに潜り込む気持ちになどはなれなかった。
「いや、でも、あいつに限って……」
 日頃はキスすら、新一がねだってやっとしてくれているような状況だというのに。
 腑に落ちないと言うよりかは、どこまでも不思議な気持ちだった。やはり快斗は、ポーカーフェイスの上手い相手なのだろう。それが剥がれ落ちる瞬間もあるが、そうでない時間の方が遥かに多いのだ。少なくとも、新一からして見れば。
「……我慢なんてしなきゃいいのに」
 もし快斗が、そんなことをしているのなら。
 けれど、大人には大人の考えがあるのだと、分からない程に新一は子供ではない。自分にそうした手出しをすれば、恐らく快斗は父親からしこまた叱られるのだろうと、そんなこともわかってしまう。年齢的には子供だけれど、けれど決して無知な子供ではないのだ。
「早く大人になりてぇ」
 心の底からそう思う。
 そうして、部屋から消えてしまった恋人に思いを馳せる。
 快斗が今、トイレに駆け込んでいるのかどうかはわからないにしても、あんな失言をかました後だ。どちらにしろ、部屋に戻って来難いことは確かだろう。その気持ちはわかる。
 ここは気遣って、寝たフリでもしてやるべきか。自室に戻った方がいいのかとも思ったが、下手なことをすると翌朝が辛い。新一までいらぬ緊張をしてしまいそうだ。
「……まあいっか」
 あれこれと思案したのもつかの間、すぐに新一は思考を放棄した。眠る前に、無駄に頭を働かせる必要もないだろう。
 もぞもぞと毛布の中に潜り込む。一人寝はどうにもつまらなくていけない。こうして眠りに着くまでの間、快斗と他愛もない話をする時間が、新一は好きだった。今日は生憎と、快斗にとっては他愛もない話にはならなかったのだが。
 まだ眠気は、遠いところにある。
 早く戻ってくればいいと、新一はただそう思った。
[13.01.19]