2.魔法使いの勉強
「なあなあ、魔法使い……って、何やってんだ?」
今日も結界の隙間をこじ開け入ってきたのだろう探偵の声に、快斗は振り返らずにそのままの体勢でもって答えた。
「見てわかりませんか」
「何か調べ物、か?」
「そうですね」
ただ調べているわけではない。
書物を開き、文献を調べ、見つけた記述を書き映し、自身の考えた計算式を連ね、そうして揃えた薬品を確認し、湯を沸かす。
そう広いとは言えない部屋の中で、忙しなく動き回る快斗の姿に、日頃は図々しい探偵も少しは感じるものがあったのかもしれない。それきり何か話しかけてくることはなく、だからしばし快斗はその存在を忘れてしまっていた。
けれど、あっさり帰ってくれるほど、この探偵は素直な性格等はしていないのだ。
「……何を調べてるんだ?」
調べた記述を元に、沸かした湯に薬草を投げ入れる。薬草はそれぞれ煎じる時間が違うため、その作業はなかなかに神経を使う。
一段落した、まさにその瞬間に声をかけられ、内心で驚きながら快斗は振り返った。無駄にタイミングのいい男だと感心する。
「まだいたんですか」
「まだって、来たばっかりだぞ、オレは」
「声がしないので、てっきり帰られたのかとばかり」
「オメーが忙しそうだったから、手が空くのを待ってたんじゃねぇか」
「ああ、それは……」
すみませんでした、と思わず言いかけてその言葉を飲み込む。どうして招かれざる客に、自分が腰を低くしなければならないのだ。
「ご覧の通り、私は忙しいんですよ」
だから帰ってくれないかと暗に言ったつもりなのだが、案の定探偵には通用しなかった。
「そうか、大変だな」
「……他に何か言うことはないんですか」
「じゃあ、茶でもいれるか?」
「うちの食器がどこにあるのか知り尽くしてるようなことを言うのは止めて下さい」
「いや、おまえが」
「あなたが飲みたいだけじゃないですかそれは!?」
まったく図々しい。図々しいにも程がある。生まれてこの方十数年、この探偵以上に図々しい人物などは見たことがない。
「別に、勝手に食器漁ってもいいのならオレがいれるけどな」
肩をすくめるようにして探偵は言う。その台詞は、どうしてか快斗の耳にはどこか脅し文句のようにも聞こえた。
もちろんお茶ぐらい、この探偵にだっていれることは可能だろう。子供にだってできることだ。けれどなぜか、させてはいけないような気もする。なぜかはわからないが、快斗は自身の勘に従うことにした。つまりは探偵の希望通り、お茶を入れる羽目になってしまったわけだが。
納得がいかない。
「……どうしてあなたは、毎日のように私の家に押しかけてくるんですか」
「ここで飲むお茶が美味くてさ」
「茶葉ならこの間差し上げたでしょう。無くなったのでしたら……」
「いや、まだある」
けど、と探偵は言葉を続ける。
ポットを手に取りながら、振り返ってしまったのがまた不味かった。
「おまえが入れてくれる方が美味いんだよな」
笑顔も何も浮かんでいないこの台詞に、けれど眩暈にも似たものを覚えて、快斗は思わず片手で額を押さえた。鍋から漂う熱気の所為だと思いたい。
「……そうですか」
男相手にこの調子だ。
街中では、さぞ女性を相手に騒がれているに違いない。そんな想像をちらりとでもしてしまえば、とたんに煎じている薬草の存在を忘れそうになっていけない。慌てて木ベラで鍋をかき混ぜた。
調合に火を使ってしまっているため、新しい湯を沸かすことができない。待っているのも面倒だと、ポットの中に『持ってきた』お湯を入れ、いつものようにカップにお茶を注いだ。
「そうだ、これ」
「……また焼き菓子ですか」
「何だ、焼き菓子好きだろ?」
「えぇ、まあ」
差し出されたそれは、今日はまた一段と可愛らしいリボンがついている。ふらりと茶を飲みに来る探偵は、けれど決して手ぶらで来ることはなかった。必ず甘い菓子を持っていて、そうした可愛らしいリボンがついていることも珍しくはなかった。
それを見て、ふと気づく。
「……これ、町の女性から貰った物なのでは?」
「お、よくわかったな」
隠す気などは無かったのだろう。あっさりと探偵は言った。どこか面白そうな顔をしているようにすら見える。
「仕事の報酬ですか?」
「バーロー。いくらオレだって、ンな菓子一つで依頼を受けてられっかよ。つーか、それが報酬だったら、おまえにやったら意味がねぇだろうが」
「ではこれは、女性からの純粋な好意の品ということで? でしたら、余計に私が頂いては問題な気がしますが」
「……甘い物好きじゃねぇんだから、しょーがねぇだろ」
探偵にも若干の罪悪感はあるのだろうか。声は小さかった。
鍋をもう一度かき混ぜて、残っていた最後の粉末を降り注ぐ。そうしてから、自身の席に腰を下ろした。どうせお茶を飲むのであれば、調合を終えてからにしたいところではあったのだが。
「罪な人ですね、あなたも」
「何だよ」
「どなたから頂いた物なのかは知りませんが。手作りの菓子を、こんなにも可愛らしいリボンをつけて渡すと言うことは、あなたにそれなりの好意を持っている女性ということでしょう」
いや、それなりではなく、だいぶだろうと我ながら思う。
「そうかぁ?」
なのに探偵は、どこか不思議そうに首を傾げるのだ。この唐変木が。
「……そうでしょう。どう考えても」
「別に、ただ単に余ったからくれたってだけじゃねぇの? オレの幼馴染もしょっちゅう菓子や料理作って持ってくるしさ」
「だとしても、こんなに可愛らしいリボンまでつける必要はないと思いますが?」
「それはまあ……。でも、それならなおさら、甘味好きな奴に美味しく食べてもらった方がいいだろ。苦手な奴に嫌々食われるよりかはさ」
なるほど、探偵としてはそう考えるのか。
確かにある意味で合理的な考えなのかもしれなかったが、乙女心としてはどうなのだろう。快斗だって乙女心を完璧に理解できるわけではないが、この唐変木よりはマシだろうと思えた。むしろこれ以下の男なんて存在するのだろうか。この町に。
「ほら、食えって」
「……頂きます」
まあどちらにしろ、快斗には関係のない話なのだ。探偵が買った物にしろ貰った物にしろ。
それでもそのパウンドケーキを齧る瞬間に、だれとも知らぬ女性に心の中でひっそり「ごめんなさい」と呟くことだけは忘れなかった。最後の良心だった。
「美味いか?」
「えぇ、まあ」
「そうか」
一口かじれた、バターの味が舌の上でたっぷりと広がる。しっとりとした少し重たいケーキは、けれどお茶うけにはぴったりだった。小腹を満たすにもちょうどいい。
「美味いなら良かった」
今日の菓子は探偵が買い求めた物ではなく、ただの貰いものだろうというのに、どうしてか誇らしげに探偵は笑う。まるで、貰い物の菓子が美味いのは、自分の手柄だとでも思っているかのような。何せ図々しい探偵なので多いにあり得る。
「……っと」
呑気にケーキを齧っていられる暇はないのだ。
慌てて立ち上がり、また鍋をかき混ぜる。ずっと木ベラを握っている必要はないが、時たまかき混ぜないと薬草の成分が上手く抽出できないのだ。この段階になれば、もう知識は必要ないがとにかく手間がかかる。面倒だが仕方ない。
「大変そうだな」
「それなりに」
「手伝おうか」
「結構です」
混ぜてもらうだけならもちろん魔法の知識がなくてもできるわけだが、横で指示を出すぐらいなら快斗が自分で混ぜた方が早いというものだ。
「そっか」
探偵もそれがわかっているのか、落ち着いた様子でカップを傾けている。特別美味そうに飲んでいるようにも見えないのだが、それはいつものことだ。この探偵が満面の笑顔で紅茶を飲んでいても、それはそれで恐ろしくもある。
だから探偵の存在を無視して、快斗は最後の仕上げに取りかかることにした。
もう何度かかき混ぜてから、鍋の中身を丁寧にこす。この作業がまた面倒なのだが仕方ない。そうしてから、新しい粉末をその中に混ぜ入れ、事前に作っておいた別の液体を丁寧に丁寧に注いで行く。手間だからと一気に入れては、互いの成分が分離することは経験済みだった。
くん、と匂いをかいで、想像通りのその刺激臭に笑顔を浮かべる。
「……できた!」
「おお」
おめでとう、と後ろから抑揚のない声が聞こえた。
鍋に入ったままのそれを、見せつけるようにして快斗は差し出した。胸を張れる程の自信作だった。
「どうですか」
「どうって……」
ちろり、と鍋の中身に視線を向けてから、探偵はきゅっと眉根を寄せた。そうした顔もなかなかに男前で悔しい。
「……食欲はそそられねぇな」
「当たり前です、これは人間の食べる物ではありませんよ」
鍋の中身は、一言で言えば紫色だ。茄子をとことんまで煮詰めたようなその色が、鍋の中いっぱいに広がっているのだ。茄子は好きだがこの液体には快斗だって食欲はそそられない。
「じゃあ何だ。猫の餌か」
「猫の餌でもありません。というか食べ物ではありません。そこから離れてくれませんか名探偵」
「だって鍋で作ってるから」
確かにこれは日頃快斗が食事にも利用している物だったが、それはこの際関係ない。
「じゃあ何なんだよ、これは」
かけられたその問いに、快斗はふふんと胸を逸らした。その問いを待っていた。
「これは、超強力虫除け薬です!」
「……ムシヨケヤク?」
「これを庭で育てている植物にかければ、とたんに害虫が寄って来なくなるという優れ物です!」
「へぇ」
返事は何とも素っ気ない。この薬がいかに素晴らしいものなのか、全くわかっていないなと快斗は肩をすくめた。まあこの探偵は、間違っても庭いじりどころか野菜作りなんてしたこともないだろうから、当然と言えば当然の反応だった。
「いいですか、名探偵。この薬があることによって、私の一日がどれだけ変わると思いますか」
「さあ。つーか、オレおまえの一日なんてそもそも知らねぇし」
それもそうだった。
いくら探偵が毎日のように家に押しかけてきているからと言って、その時間は一日の中で考えればほんの小一時間にも満たないものだった。
それでも毎日決まって顔を合わせるものだから、いつの間にか長時間共に過ごしているような気分になってしまっていたのだが。こほん、と快斗は咳払いをする。
「……薬草を育てるというのも手のかかるものなんですよ。その薬があれば、私はこの季節、毎日三時間はかけて行っていた害虫駆除から逃れることができるんです」
「そりゃあ良かったな……ってか、おまえ今まで三時間もかけてんなことしてたのか。魔法でどうにかできなかったのかよ」
「だから今回この薬を作ったんじゃないですか。さすがにもう季節柄しんどくなってきたので」
「いや、そうじゃなくて、こう呪文とか唱えてぱぱーっと」
素人はこれだから困るのだ。
確かに薬作りは魔法とは違う。もちろん知識は必要だが、逆に言えば知識さえあればだれにでもできるものだ。薬を煎じるのに魔力は必要無い。
「魔法は万能ではないんですよ、名探偵。虫除けの呪文なんてありません」
「ないのか?」
「私が知っている範囲では」
知っていたとしても、それを実際に行使できるかどうかについては、またそれぞれの適正というものがある。けれどそこまでこの探偵相手に説明するのは面倒だった。一を言えば、十の質問が返ってくることはわかっている。
「まあ、作ろうと思えば作れないこともないかとは思いますが……それよりも、こうして薬を作る方がよほど早いですからね。新しい呪文を組み立てるには、下手すると十年程かかったりもしますから」
「十年……」
まあそれは特例中の特例で、魔法使いの中でも研究家肌の者に限った話になるのだが、とりあえず嘘ではない。
すごいな、と呟く探偵の姿を横目で見ながら、快斗は取り出した器に出来上がったばかりの虫除け薬を移して行った。もちろん零すような真似はできない。
「それを作るのは初めてなのか?」
「そうですね」
「さっきはそれを調べてたのか」
「そうですね、色々と。まあ魔法使いも日々勉強ですから」
「勉強」
ふむ、と探偵は頷いた。
何を考えているのか、その表情からはちっともわからない。丁寧に薬を器に移し、振り返った後も、探偵は変わらずどこか難しい表情を浮かべていた。何なのだろう。
「……お茶のお代わりをいれましょうか」
どうしたのかと聞くかわりに、快斗はそう声をかけた。
「あぁ」
その声音は、うんともいいえとも、どちらとも聞こえるものだった。返事ではなくただの相槌だったのだろう。快斗の言葉なんて、その耳に入っていないに違いない。
「なあ、魔法使い」
「何ですか」
「色々さ、おまえには質問ばっかしてるけどさ。もっとちゃんと、魔法について教えてもらえねぇかな」
「……はい?」
人の話は聞いていないというのに、自分の言いたいことだけはこれ以上も無い程にはっきりと言ってくれるのだ、この探偵は。
自身のカップに残っていたお茶は、当然のごとく冷めてしまっていた。それでも構うことなくぐびっと喉に流し込み、ついでにケーキに手を伸ばした。ケーキは冷めても美味しいのだから素晴らしい。
「だから、魔法について教えて欲しいんだって。色々とさ」
「前にも言いましたが、名探偵、あなたは魔法使いにはなれないんですよ。魔力が無いんですから」
「実際に魔法を使うことはできなくても、知識は力になるだろ」
「いえ、一概にそうとも言えないかと……」
「少なくとも、オレの仕事の役には立つ」
腹が立つ程には自信に溢れた顔で、探偵はそう頷いた。そもそもこの探偵は、いつだって自信に満ち溢れた顔をしているわけだが。
「……名探偵の仕事の?」
「たまにあるんだよ。何か事件が起こって、犯人は魔法使いじゃないかって住人が疑い出すケースが」
寝耳に水な話だった。
ケーキに伸びた手も思わず止まる。
「犯人は魔法使いって……この町に住んでる魔法使いは私しかいないじゃないですか」
「そう。だからつまり、住人はおまえを疑ってるっつーことだな」
「失礼な! 私は何もしてませんよ!」
「知ってるよ。だから自警団にしょっ引かれたことなんてねぇだろオメーは。ちゃんとオレが真犯人を見つけ出してるっつーの」
当たり前だろ、と探偵は言う。
「ああ、それは……」
ありがとうございました、とお礼を言いそうになって、またもやその言葉を飲み込んだ。
探偵が犯人を見つけるのは仕事であって、何も自分が礼を述べることではない。そもそも疑われること自体が理解できない。清く正しく魔法を行使しているだけではないか。まったくもって遺憾である。
「何でまた、私が疑われなくてはならないんですか」
「ま、色々とトリックの使われた犯行だと、ぱっと見には魔法みたく見えることも多いんだよ。犯人の足跡が残っているべき場所に、何の痕跡も無かったりだとか……まあそれも、道具を使えば魔法使いじゃなくても何とかできるもんだったりするんだけどな」
「当然です。魔法はそんな便利なものではありませんよ」
「実際に、魔法使いが犯人だったってケースもあったけどな」
「……はい?」
「旅の魔法使いの犯行だったんだよ」
行きずりの、と探偵は言った。小さい町ながら、日々新しい旅人が訪れ、また次の町へと旅立って行くことは知っている。その中でも、恐らく魔法使いというのは珍しい存在になるのだろうが。
「だからさ、もっとちゃんとオレに魔法のあれこれを教えてくれよ。勉強してぇんだよ」
「話はわかりましたが……私が教えるまでもなく、あなたはもう魔法使いの犯行すら見破っているのでしょう?」
なら、この上快斗が教える必要などないだろう。
と言うよりも、正直面倒だった。探偵は一度話したことはすぐさま覚える、確かな記憶力の良さを日々発揮してくれていたが、それとこれとはまた別である。どうして好き好んで自らの仕事を増やさなければならないというのだろう。
「それは今までの話だろ。その時は、大したことのない魔法使いが相手だったからいいけどな。もっと強い魔力を持った魔法使いが相手になりゃ、証拠を隠されたりするかもしんねぇだろ」
「おや。どうしてその時の魔法使いが、大したことのない相手だったとわかるんですか。あなたには魔力を量る術も……」
「そんぐらいわかるに決まってんだろ。オメーよりも、遥かに頭の回転も悪い奴だったしな」
暗に褒められているのだろうか。悪い気はしないが、かと言って頷く気にもなれない。
「……申し訳ないですが、私はそうしたことには不得手ですので」
「そんなことないだろ。いつもオメーの話はわかりやすいし」
「普段は話のついででしょう。きちんと教えるとなるとまた別ですし、私も暇ではありませんので」
「暇だろ」
「暇じゃありませんよ」
一日の予定も知らないくせに、何を勝手に決め付けてくれるのだろう。
あるいは見回した部屋の状況から、一日の生活ぶりが見えるとでも言いだすつもりだろうか。この探偵ならありえないと快斗は思った。
「だっておまえ、さっきの薬」
「……はい?」
「あれ使えば、今まで三時間かかってた害虫駆除の時間が短縮できるんだろ?」
「―――」
薬が完成した嬉しさのあまり、ついつい語ってしまったのは失敗だった。心底から快斗はそう思った。
「ほら、暇じゃねぇか」
見事魔法使いを論破した探偵は、心なしか胸を張ってそう漏らす。
時間が短縮できるだけであって、決して暇ではないだなんて、言う気力も最早なかった。ため息を漏らした快斗の顔を、覗きこむようにして探偵は言葉を重ねてくる。
「なあ。おまえの迷惑にならない範囲でいいからさ。……オレに勉強させてくれよ」
珍しくも弱気にも見える、その表情が何ともまずい。
実際のところは、恐らく弱気になんてなっていないはずなのだ。探偵の性格を知っていればそうとわかる。いつだってどこだって図々しくも強気に、それこそ毎日張り巡らした結界の隙間を破っては問答無用に入り込んできてくれるような人なのだから。
騙されてはいけない。
絆されてはいけないと、わかっている。
「……止めてくれませんか」
そんな無防備な顔を見せるのは。
うっかり流されてしまいそうになるだなんて、そんなことは絶対に認めたくないのだ。絶対に。
...12.07.06
お題元 →
[ロメア] 「魔法使いの10のお題」
世界観的には、定番な中世ヨーロッパ的なあれを想像して頂ければと。
その世界観に探偵はいねぇよと我ながら思いますが、まあそれはそれで…。工藤さんの他の職業が想像できません。