3.魔法使いの友達


 不覚にも風邪を引いてしまった。
「……うー、風邪引くとか何年ぶりだこりゃ……」
 何年というのは大袈裟だとしても、独り立ちをしこの町にやって来てからは初めてのことだった。そうそう高熱というのはこんな感じかと、改めて実感なんぞしつつ快斗はベッドの中で呻いていた。
 とりあえずは薬だ。薬を飲んで寝るしかない。門には昨日の店じまいから、閉店の札を下げてある。常であれば昼近くに起き出し、食事を取ってのんびりした後にその札をひっくり返すのだが、今日は一日閉店のままでいてもらおう。どうせそう大した依頼が来るわけではない。この町では、とりあえず困ったことがあれば、人々は魔法使いではなく探偵に依頼をしに行くのだから。
 それでは商売上がったりだと頭を抱えたこともあったが、快斗も今ではその仕事ペースを気に入っている。金持ちになりたい野望などがあれば、元々魔法使いなんて七面倒な職には就いていないし、幸い食うには困らない。いざとなれば金なんて幾らでも稼ぐ方法なんてあるものだ。
「あー、薬、薬……」
 幸いにも快斗は魔法使いであるから、薬を求めに医者の元まで行く必要はない。薬草の知識が豊富なのは医者も魔法使いも同じことで、小さな村などでは、魔法使いが医者の役割を兼ね備えているなんてことも多々あるぐらいだ。
 この熱とだるさの中、とてもではないが家を出る気なんぞなれない。強いて言うなら、ベッドから抜け出るのも辛い程だった。
 自身の家に薬草が揃っているなんて、全くなんて素晴らしい環境だろうか。どれだけ身体が辛かろうが、医者の元に行く必要もないのだ。全て自分で調合すればいいのだから。そう、全て自分で。
「……いやいやいやいや」
 ただでさえ面倒な調合を、この高熱の中やれというのだろうか。
 普通に考えて、そんなことができるわけなかった。かと言って、やはり医者の元まで行くことも辛い。
 早々に薬を飲むことを諦めて、水を一杯飲んでから快斗はベッドへと戻った。薄い毛布を肩の上まで引っ張り上げて目をつぶる。
 病は気からだ。薬なんて飲まずとも、寝ていればそのうち治るだろうと、煎じる身でありながらそんなことを考える。
 ふと、一人立ちする以前の生活を思い出した。それまではもちろん母親と一緒に暮らしていたわけで、風邪をひいて寝込んだところで何も困ることなんてなかった。煎じてもらった薬を飲み、美味しい食事を食べていれば風邪なんてあっという間に治った。それを当たり前だとすら思っていた。
 一人立ちしてから初めて感じる、これが親のありがたさというものなのだろうか。
「……どうしようもねぇな」
 感傷じみていけない。
 これだから風邪なんて引きたくはないというのに。


 一体何時になったのだろう。
 カーテンを開けていないから、部屋の中は薄暗い。それでも隙間から差し込む光りが、まだ昼間であることを告げていた。起きたのも昼近くであったから、まだ二、三時間程しか経っていないというべきだろうか。
 それでも深く眠ったからか、少し身体は楽になっているようにも感じられた。ただの気の所為かもしれないが、気分というのは大事である。
「……うあー、喉乾いた」
「あ、レモン水あるぞ。飲むか?」
「おー、サンキュ。飲む飲む……」
 差し出されたグラスを受け取る。入れられたばかりの水は冷たく、ほのかに香るレモンの風味が喉に心地よかった。だいぶ寝汗をかいてしまったのか、あっという間にグラスを空にしてしまった。
「もっと飲むか?」
「じゃあもう一杯」
 空になったグラスを差し出せば、慣れた様子で探偵は受け取り、二杯目のレモン水を注いでくれた。
 何だか見慣れない光景だなと思って、そういえばいつも飲み物をいれるのは自分の役目だったのだと思い出す。
 思い出したところで、快斗は仰け反った。
「……なっ、ななななななななな」
「何だよ急に」
「いや何だよって……それこっちの台詞で……名探偵っ!?」
「おう」
 頷きながら、探偵はグラスを差し出してくる。反射的に受け取り、喉の渇きのままに再び一気に飲み干してから、もう一度快斗は目の前の人物に視線をやった。
「名探偵……ちょっ、え、何でいんの」
「何でって、いつも来てんだろ」
「いやまあそれはそうだけど、でもオレ今日は寝てて……え、いつから……!?」
「一時間ぐらい前かな。オメーが寝てるから静かにしてたぞ」
 さも当たり前のように探偵は答える。そも至極落ち着いた態度が、少しばかり快斗に冷静さを取り戻してくれた。確かにこの探偵が訪ねてくるのはいつものことだ。特別な用事でもない限り、ほぼ毎日訪ねてくるといっても過言ではない。暇なのか。この探偵は暇なのか。
 座れよ、と言われて、快斗は暖炉前の椅子に腰かける。向こうに悪気は無いのだろうとわかっていても、ここはだれの家だとつい思ってしまうのは、無駄にその態度が偉ぶったものに見えるからだろう。基本的にこの探偵はいつだって尊大だ。
「そういや、カボチャのスープ持ってきたぞ。飲むか?」
 言われて初めて空腹に気がついた。一度起床した際にも、何も食べずにそのまま再びベッドにもぐりこんでしまったのだから当然だ。
 時計を見れば、もう夕方の四時を指していた。二、三時間どころではなく眠っていたようだ。
「あれ、おまえ、カボチャ嫌いか?」
 返事が返ってことに、探偵は不思議そうに首を傾げる。いやいや、と快斗は首を横に振った。それだけのことにも頭が重たい。
「……そうじゃなくて。あー、名探偵。カボチャのスープって……何で今日に限ってそんな物を」
 人の都合を無視してやって来る探偵だが、決して手ぶらでは訪れない。大体は茶菓子にちょうどいい甘味を持参してくるのだが、カボチャのスープは間違っても茶請けにはならないだろう。
「具合悪いのに食事作んのは大変だろ」
「……どうして私が風邪を引いてると知ってるんですか」
「顔見りゃわかるだろ」
 そりゃあそうだ。
 咳こそ出ていないが、鼻水は止まることを知らないし、何よりこの熱ではさぞ顔も赤いことになっているだろう。鏡を見ていないのでわからないが。
 けれど今日、快斗が探偵と顔を合わせたのはこれが初のことだ。昨日は風邪の兆候なんて何も出ていなかったし、何より探偵は仕事が忙しいのか珍しくやって来なかった。
 だから探偵と会うのは、一昨日ぶりなのだ。だというのになぜ。
「……名探偵」
 嫌な予感がする。
 思わずねめつけるような視線を向ければ、どこか居心地が悪そうに探偵は人差し指でぽりぽりと頬をかいた。
「あー、だからさ。やって来たらオメーはいねぇし、買い物かなとも思ったけど、人の気配はするしよ……」
「……それで人の寝室に入り込んだってわけですか。変態ですかあなたは」
「何でだよ! 動けねぇ程具合悪かったりしたら大変だろ。最悪死んでたりとか」
「勝手に人を殺さないでもらえますか!? 死にませんよそう簡単に……!」
「いやこれで死んでるパターンがけっこうあるんだって。現にオレはそういう事件に何度も遭遇してだな」
「あなただけなんですよそうしょっちゅう死体になんて遭遇するのは……っ!」
 思わず心の底から叫んでしまえば、さすがに喉が痛い。咳を漏らせば、「ほら怒鳴るからだろ」となぜかしたり顔で返されるのが腹立たしい。
 熱が上がった気がするのは、恐らく気の所為ではないだろう。変な顔をして眠っていたに違いないだなんて、そんなことを考えてしまえばもうダメだった。死にたい。
「とりあえずほら、カボチャのスープ飲めって。あ、ちょっと温めた方がいいな」
 借りるぞ、と言って探偵は鍋を取り出す。空腹なことは確かだったから、探偵の好きにさせることにした。手つきは多少危なっかしいが、子供ではないのだ。火事を起こすようなこともないだろう。
「ほら、ちゃんと飲めよ」
 器によそったスープを差し出される。カボチャの甘い香りが漂ってきたが、鼻がつまっているため常程には感じない。
「……名探偵が作ったんですか」
「あ? ちげーよ。貰いもん」
「お菓子だけに収まらず、こんな食事まで……名探偵、それもう責任とって結婚するしか無いんじゃないですか」
「なっ、勘違いしてんじゃねぇよ! 幼馴染がしょっちゅうこうやって飯を持ってくるだけだっつーの」
 そんなことだろうとはわかっていたが。
「さっさと食えって。冷めるぞ」
「……あなたにと作ってきた物を、私が食べるのはどうなんですか」
「ちゃんと許可取ってんだから気にすんなよ。あいつもオメーのこと心配してたし」
 探偵の言う幼馴染とは、あの長髪の彼女のことだろう。そう顔を合わせたことはないが、快斗自身の幼馴染にも少し面差が似ているものだから、深く記憶に残っていた。
「……ありがとうございます」
 程良く温められたスープは美味しかった。できることなら、鼻のつまっていない時に食べたいぐらいだ。
「他に何か無ぇのか」
「他に、ですか?」
「パンとか。そんだけじゃ腹いっぱいになんねぇだろ」
「いえ、大丈夫です。寝てただけなので、あまりお腹も減ってませんし」
 パンぐらいなら戸棚の中にあるような気もしたが、そこまで食べるのは億劫だった。事実このスープだけで、それなりに胃袋は満たされそうだ。
「おまえ、全然料理してねぇのな」
「……人の寝顔だけでは飽き足らず、そこまで嗅ぎ回ったんですかあなたは」
「嗅ぎ回ってねぇよ。大体見りゃわかるっつーの。……オレの家と似たようなもんだしな」
 なるほど、確かにこの探偵は料理をするようには思えない。快斗も人のことは言えないのだが。
「オメー、料理上手そうなのにな」
「……不得意ではありませんが、調合だけで手いっぱいなだけです」
「あぁ、似てるもんな、何かな」
 納得したように探偵は頷く。その顔はいつもと変わらない。図々しくお茶を飲みに来る時と、全く同じ表情だった。特別快斗を労わるような様子もないが、本当にそうであれば、快斗が寝込んでいるとわかったとたん、家に帰っていることだろう。スープを持って、またもやここに戻ってきたのだ。この探偵は。
「……どうしてそこまでするんですか」
「そこまでって?」
「そのまま家に帰ればいいものを、どうしてわざわざスープなんて持ってくるんですか」
「だから、さっきも言っただろ。具合悪いのに食事作んのは大変だろって……」
「あなたがそんなことを気にする必要はないでしょう。……友人でもないというのに」
「えっ」
「えっ?」
 探偵が間の抜けた声を上げるものだから、快斗もそのまま聞き返してしまった。
「えっ、オレ」
「はい?」
「おまえのこと、友達だと思ってたんだけど」
「えっ」
「………」
「………」
「………」
「………」
 人生でワースト三位には入るであろうと思える程には、居心地の悪い沈黙だった。
 それは探偵も同じだったのだろう。静まり返った場の雰囲気を、変えようとこほんと咳払いをした。何ともわざとらしいそれだった。
「……いや、確かにな、別にそんなこと今まで口に出したことは無かったけど……だってそうだろ。こんだけしょっちゅう会ってて、毎日のように茶だって飲んでてさ」
「あー、もしかして……友達だと思ったからこそ訪ねて来てたんですか。名探偵は」
「普通そうだろ。つーか、そうじゃなかったら何でオレがこんなに通ってきてると思ってたんだよ」
「うちのお茶がそれほどお気に召したのかと」
「………」
「………」
「………」
「………」
 結局、またもや居心地の悪い沈黙に包まれてしまった。
 タイミング悪くスープも飲み終わり、やることが無くなってしまった。どうしたもんかと視線を彷徨わせていれば、わざとらしい咳払いが聞こえた。
「……おまえ、嫌か?」
「え、何がですか」
「オレと友達になるの」
「えー……」
 強いて言えばこの会話が嫌だ。何なんだこの青臭い会話は。
「……えーって、そんなあからさまに嫌がらなくてもいいだろ」
 探偵は少し傷ついた顔をした。珍しいその顔に、つい驚いてしまう。
「あー、いえいえ。そういうわけではなくて……嫌ではないですよ、もちろん」
 考える前にそう答えていた。けれど考えたところで、どうせ答えなんて一緒だろうとも思う。友人になることすら嫌な相手であったら、そもそも快斗だって毎日茶を振る舞ったりはしないのだ。
「……そうかよ」
「はい」
「じゃあオレ、明日も来っから」
「そうですか」
「おまえはちゃんと寝てろよ、病人なんだから」
「そうします」
 熱が上がったのか下がったのかまるでわからない。
 けれど胃袋もそれなりに満たされたのだ、咳も出ていないし、今日一日ゆっくり寝れば治るだろう。夜にはパンを食べればいい。鍋の中を覗けば、かぼちゃのスープはあと一皿分残っていた。
 結界の隙間を、くぐるようにして探偵は帰って行く。きちんと張り直さなくてはと思いながらも、つい面倒でずるずると先延ばしにしてしまった。探偵が日々その隙間をくぐってくれるものだから、穴は拡大する一方なのだ。これでは結界を張っている意味がない。
「あーでも、友達だっつーんなら、張り直すとしてもちゃんと名探偵は入れるようにしねぇと……」
 まずいのか、と呟きかけて、大事なことを思い出した。
 恋心を覚えている相手と、自分はどうして友達などというものになっているのだろう。
「……え、あれ? あれれ?」
 前進したと見せかけて、これはまったく後退しているようにしか思えない。
 友達だと思われているぐらいには、探偵に好かれていることは嬉しい。嬉しいがしかし。
「……あー」
 ベッドに沈み込み、毛布を引っ張り上げた。そうしていると、探偵が訪ねてきたことが一瞬夢だったのではないかと思える。けれど口の中には、しっかりとカボチャの味が残っている。
 全てはこの熱の所為なのだ。
 探偵に妙な寝顔を見られてしまったことも、うっかり友達になってしまったことも。そういえば、今気付いたが、当然よれよれの夜着のままだった。所々染みすらできていて、この上もなくみっともない格好と言えた。あの探偵は一体どう思ったのだろうか。
「……ありえねー」
 まったく、これだから本当に、風邪を引くとろくなことがない。
 心の底から、快斗は自分の不運を呪った。

...12.07.12
お題元 → [ロメア] 「魔法使いの10のお題」
まったくもって進展しない二人で。でもこのシリーズの工藤さんは割と素直に快斗への好意を示してます。