ステレオ回路
「顔を見るのが一週間ぶりってどういうことだよ」
信じらんねぇ。
俺がそう素直な呟きを漏らせば、一週間ぶりに姿を見せた『友人』は、露骨に顔を顰めながら、机の上に置いた鞄から手早く教科書とノートを取りだした。
「……仕方ねぇだろ。忙しかったんだから」
「はいここで工藤君に質問です。学生の本分は何でしょうか?」
「うるせぇな。ンなことわかってるんだよ俺だって。いいからさっさと一週間分のノート出せよ写すから」
「うわその暴君っぷりを味わうのも一週間ぶり! たまんないわーぞくぞくしちゃうかも俺」
「ふざけてねぇでさっさと出せっつってんだろ」
これが仮にも、物を借りる立場の態度なんだろうか。
なんて、疑問に思うことすらもう止めた。一見常識人の面をしながら、その実どこまでも傍若無人な奴だと知っている。時たま、あの警察官辺りに向ける愛想の良さの欠片でもいいから、こっちに向けてくれと思わないわけでもないけれど。
まあこの暴君さがこいつらしいんだろう、なんて。
思ってしまう俺もきっと大概どうかしている。
「……にしてもなぁ。一日二日ならともかく、一週間ぶりってどうかと思うぜ?」
同じ大学で同じ学科だとわかった時から、まぁその後のこいつのキャンパスライフがどういったものになるのかなんて、当然予想はついていたわけだけど。
実際に始まったキャンパスライフは、俺の想像を遥かに超えてひどかった。一週間も続けて休むだなんて、もうこの探偵は卒業する気が無いんじゃないのか。いや、その前に進級か。
「大学なんだから、別に一週間ぐらい顔合わせないとか普通だろ」
「いやいやいや、まだ一年で授業の半分以上必修なのに、顔見てないのとか明らかにおかしいよね!?」
「オメーが見てなかっただけじゃねぇの?」
「いやそれこそ何言ってるの!?」
新一が来てることに俺が気づかないわけないじゃん!
なんてことは、もちろん言えるわけがない。今が授業中だからってわけではなくて。
「声でぇよバカ」
「……ご、ごめん」
軽く睨みつけられて、俺は謝りながら首をすくめる。同じ顔なのに、どうして新一の睨み顔は、こんなにも迫力があるんだろう。
一週間分のノートを借りて行くんだから、どっちみち学校に来ていないことは明らかなはずなのに。本人もこれはまずいことだともちろんわかっているはずだから、認めたくないだけなのか。
「でも、新一が一週間もかかるとかさぁ。なに、そんなに難しい時間だったわけ?」
「いや、事件自体は移動も含めて三日で片付いたんだけど……つか、さりげに名前呼びしてんじゃねぇよ止めろ気持ち悪い」
殺害予告だ密室殺人だと言っては平気で教室を飛び出していく奴のために、俺は毎日一人せっせとノートを取り続けているというのに、いまだ名前呼びすら許してくれないこの関係にどんな名前を付ければいいのだろう。さっきの台詞は呑み込んで正解だった。友人だとすら言うことすら嫌がられるだなんて、本当どうかしている。
「三日で片付いて、その後は? 優雅に観光してたとか? ずいぶん余裕だねぇ、工藤君?」
「バーロ、んなわけねぇだろ」
あえて最後の「工藤君」を強調して言ってやったのに、そこは華麗にスルーされる。この名探偵が気づかないわけはないんだから、つまりはそういうことなんだろう。俺の取りだしたノートを、休むことのない右手が必至に写して行く様も、もう見慣れた光景だった。
「……寝てたんだよ」
「は? 寝てた? どっちにしろ余裕じゃねぇかそれ」
「うるせぇ、好きで寝てたわけじゃねーよ。……風邪引いて寝込んでたんだよ」
ばつが悪そうに探偵は言う。とっくのとうに授業は始まっていたけど、この授業の教授はあまりうるさい方ではなく、後ろの席を陣取った俺達の声は、きっと教授の耳には届いていないことだろう。幸いなことに俺達は頭が良すぎて、授業の内容なんて聞かなくてもどうにでもなる。
「え、風邪引いてたとか知らないんだけど俺」
「言ってねぇんだから当然だろ」
「何ですぐ教えてくれないわけ? え、酷かったの? いや、数日寝込むぐらいだから酷かったんだろうけどさ!」
「何で風邪引いたぐらいのことで、一々おまえに連絡しなきゃなんねぇんだよ? つーか声でけぇっつってんだろ」
「いやだってさぁ!」
新一が寝込んでる間、俺はそんなことは何も知らずに、ただいつものようにノートを取り続けていたのかと思えば何だか悔しい。いや、悔しいって言うのも何だか我ながらおかしな気はするんだけど。
声がでかいともう一度新一は言って、鞄から取り出した新しいノートで腕を叩かれる。ちらりと教壇に目を向けたけど、教授がこちらを向いている様子はない。だからといって、まぁもちろん、大声を上げるべきじゃないとはわかっている。わかっているんだこれでも。
「……でも、教えるぐらいしてくれてもいいのになぁって」
「何でだよ。何のために教える必要があるんだよ。オメーに教えたところで俺の体調が良くなるのか? そうじゃねぇだろ」
一言もらせば、矢継ぎ早に言葉が返ってくる。それはもう正論ばかりで、これが探偵というやつなのかと俺は呆れる。この探偵は、もうちょっと俺に優しくしてくれてもいいんじゃないだろうか。言われるがままに、俺は次のノートを差し出しているというのに。
「……そうだけどさぁ」
もちろんそれを教えられたところで俺にはどうすることもできない。
そりゃ、俺個人としては見舞いでも看病でも何でもしてやりたいところだけど。でも、そんなの言ったところで嫌がられるだけなんてことはわかっている。大体俺は、新一の家に遊びに行ったことすらないんだ。もちろん家の場所は把握しているけど。
「つーか、また何で風邪なんて引いたの。夜中に犯人の追跡でもしてたわけ?」
軽く汗ばむような、そんな陽気が続いているけど、それでも夜になれば冷えることもある。犯人の追跡なんて、それこそ警察に任せていけばいいと思うけど、それを言えば事件の度に、その警察からわざわざ連絡なんぞを貰うこいつの立場はどうかしているんだ。それもタダ働きときているんだから、もう神経を疑うしかない。
「工藤?」
返事が無くて、俺は隣の席に顔を向ける。
ノートを写すのに集中しているのかとも思ったけど、この探偵に限ってそんなことはない。そんな単純な作業に集中できるような男じゃない。
「……海に落ちたんだよ」
わずかな沈黙の後に、返って来た言葉は、今日で一番俺を驚かせた。
「はあ!?」
「だから、さっきから声でけぇっつってんだろーが……っ」
今度は容赦なく睨まれて、俺はまた慌てて口を閉じる。教授からの視線はやはり無いけど、その代わりに周りの席からの物言いたげな視線を十分に浴びることとなった。授業中にする話ではなかったのかもしれない。後悔したところで遅いけど。
「……いや、だって海に落ちたって。大丈夫だったのかよそれで」
「大丈夫じゃねぇから風邪引いたんだよ」
「ごもっとも」
なんて、納得している場合じゃない。
「何でまた、海になんて落ちたんだよ。犯人が海に逃走でもしたのか?」
「……こういう時だけ勘がいいよな」
と言うことは、俺の台詞は間違っていないらしい。こういう時だけ、っていうのが個人的に引っかかるのだけど。
ノートを写す手をいったん止めて、手にしたペンを新一はくるくると回す。仕事にかまけると、ろくに食事すらとらないからだろうか。同年代の男と比べても、その指はずいぶんと細く感じる。
「トリック解いて証拠集めたはいいものの、犯人の奴しっかり逃走経路を用意してやがって……雨が降ってる中、よりによってボートで逃げ出すんだぜ? もちろんすぐさま追いかけたけど、その上追いつかれたとわかったとたん、こっちに向かってやけくそに発砲しやがって……」
「……それはまた災難なことで」
見た所、他に怪我をした様子はない。弾が当たってたりなんぞしたら、それはもう寝込むなんてところではなくて、今頃はまだ病室にいたことだろう。
「何つーか、相変わらず、学生とは思えねぇ生活ばっかしてんなー」
一体どこの大学に、ボートに乗って発砲される学生がいるというんだろう。
それをさして驚きもせず受け止める俺も俺なのかもしれないけど。もちろんそれで新一が怪我をしていたら話は別だ。
「ったく、あん時ばっかはキッドが羨ましくなったな」
「え」
そして、どうしてまた唐突に、そんな名前を出してくれるんだろう。
もちろんポリシーのポーカーフェイスは、このぐらいでは破れない。……つもりだ。
「……何でここでキッド?」
「だって、逃走の時にいつも使ってんだろ。ハンググライダー」
「あぁ……」
そりゃ、ハンググライダーならボートにも容易く追いつけるだろうけど。まずそれには、高い所に上がる必要があるってことをわかっているんだろうか。いや、問題はそこじゃないけど。
「やっぱ、使える道具が多いっていうのは有利だよな」
「まあ」
十分変な道具を持ってるじゃないか、という突っ込みは内心に留めておく。
「今度教えてくれよ」
「え? 何を?」
「ハンググライダー」
「……何で俺が?」
「キッドが使ってんじゃん」
俺はあの、天下の奇術師ではない。
―――ということになっている。
だって万が一にも、この探偵の前で認めでもしたら、その次の瞬間には警官を呼ばれてる。新一に捕まるのならまぁ本望だと思えないこともないけど、その後で監獄に入れられるのはごめんだ。断じてごめんだ。
「……や、キッドは確かに使ってるけど、俺はそんなもの使えないし?」
ダメ元でそう言ってみる。
「へぇ?」
教えてくれと言った割には、興味のなさそうな口調だった。でも、だからこそ俺は確信する。今までだって、多分、いや、十中八九そうだとは思っていたけれど―――これはばれている。もう確実に、ばれている。
「……普通使えねぇだろ、ハンググライダーとか。やる機会もねぇし」
「ま、普通はそうだよな」
普通は、と繰り返してくれるところが実に心臓に悪い。そんなことを言いながらも、ノートを写す手は止まらない辺りがさらに心臓に負担をかけてくれる。
新一はそれ以上何も言わず、俺は頬杖をつきながら黒板を眺めた。これから先一体どうすればいいのか、考えたけれどもちろんいい策なんて浮かぶわけもない。俺を警察に突き出す気はなさそうだというのが、唯一の救いだろうか。謎が大好物なこの探偵は、いくら世間を騒がしている怪盗だろうと、そこに謎がなければ興味を引かれることもないのだろう。それが幸いでもあり寂しくもあり。まったく、恋する男のなんて忙しいことだろう。
退屈な授業の中で、新一はほとんどの授業のノートを写し終えてしまった。もちろんその中には、今日授業のない教科のノートも入っていたし、俺はいつ新一が来てもいいようにと準備をしていたわけで、それに気付かない探偵ではないと思うのだけど。それに対する特別な感謝もなければ、コメント一つも無かった。いつものことだ。
いつものこと、なんだけど。
「……俺のノートって、何か工藤に貸すためにとってるような気がしてきた」
だっていまだ基礎しかやっていない授業なんて、とったところで後で見返すこともないんだ。
「何だよ。何か文句でもあんのかよ」
「文句っつーか……」
せめて感謝の一言ぐらい言ってくれてもいいんじゃねーの? と俺は思うんだけど。
そんなことを、言ったところで素直に聞く相手でもないとわかっている。
わかっているから、終わった授業の教科書やノートを鞄に詰め込みながら、俺はにやりと笑った。
「次にまた、工藤が授業を休んだ時にさ」
「あ?」
「名前で呼ばせてくれたら、その分のノート貸してやるよ」
「はあ!?」
心底から驚いたような、「わけがわからない」と、顔にありありと書いてあるような、そんな新一の表情は少しおかしい。笑いだしそうになるのを、俺は何とか堪える。
「毎回貸してやってんだから、そんぐらいのご褒美あってもいいだろ?」
ご褒美、っていうのは、ちょっとまずかったかもしれない。
「……なっ、何だよご褒美って!?」
案の定、後ろからはどこか慌てたような声が聞こえたけど、俺はひらひらと手を振って先に教室を出た。
どうせ次の授業では、また顔を合わせるのだろうし。
でも、答えがわかるのは少し先かな、と。考えながら、手持無沙汰に片手に花を咲かせてみれば、通りかかった女子生徒が小さな歓声を上げ、俺は笑顔と一緒にその花を差し出して見せた。
そんな、今日もいつもと変わらない日常の一コマで。
大学生活は、俺が想像した以上に楽しいものだった。正体がばれる危険性は、また別の話として。