新入生総代の挨拶依頼が来た時も、俺は、「あぁやっぱり」と思っただけだった。
 誤解を招きそうだけど、別に俺は思い上がってるわけでもなければ、新入生総代になるためにガリ勉をしたわけでもない。『仕事』に支障が出ない程度に勉強をし、そうして試験に臨んだわけだけど、解けない問題もなければ間違えたと思う問題もなかった。全部の問いに答えて、それで全部の回答が合っていると考えれば、自ずと答えは決まってくる。こんなのどこぞの探偵でなくても少し考えればわかることだ。
 だから、案の定なその依頼を俺はもちろん快諾し、それなりに準備をしてその日を迎えた。できれば花火の一つや二つ上げてやりたいところだったけど、生憎と入学式は昼間だし、俺にだって一応TPOというものはある。最初からあまり悪目立ちするのは良くないだろうと、とりあえず最後に鳩を飛ばす程度に留めておいたのだけど、学生たちには予想通り受け、俺はその後で呼び出しをくらった。
 そんな風にして教授たちに名前を覚えてもらうつもりはまったく無かったんだけど、まぁなってしまったものは仕方ない。適当に謝って、もう二度と鳩『は』出さないと約束して、そうして俺のキャンパスライフは始まった。とは言っても、最初はどれもこれもが説明ばかりで、そうしてすぐさまオリエンテーションという名の合宿があったりして、本格的な大学生活の始まりとは程遠かった。
 合宿を終えてその後の休日はたっぷり休んで、あまり仕事の間を開けたくはないんだけど、やっぱり学校生活が落ち着くまでは待った方がいいだろう。俺に限ってそんなヘマはしないと思いつつも、準備を怠っては完璧なショーは見せられない。それはエンターティナーとしてはあってはならないことだ。
 ようやく本格的な授業が始まって、授業の難しさなんてまだわからないけど、とりあえずキャンパスの広さは高校の校舎の比ではない。合宿で知り合った友人たちと、ここじゃないあっちでもないと騒ぎながら移動するのはそれなりに楽しい。ここで俺が、頭の中に叩きこんである地図を持ち出したら面白くないから、いったんその地図はしまっておくことにする。騙してるわけじゃない。俺はただ友達と一緒に、このバカ騒ぎを楽しみたいだけなんだ。
 午前中の授業を終えてた辿り着いた学食は、もちろん時間帯も合わさってそれなりの混雑を見せていた。そんな中で、どうしてその姿が目に飛び込んできたのかはわからない。そう、文字通り飛び込んできたんだ。俺にとっては。
「……めっ、名探偵っ!」
 俺の声はそれなりによく通る。
 響いた声に、当の本人はおろか周りの学生までもが一斉に振り返った。焦ったけど、そんなことに気にしていられるような余裕は無かった。俺のポーカーフェイスはどこに消えてしまったんだろう。
 だって。
 だって、まさか。
「……オメー」
 いち早くテーブルについて、オムライスなんぞをつついていたのは、確かに名探偵だった。
 俺の知っている『名探偵』ではない。俺はその姿を、写真やニュースの映像でしか知らない。一時期よくメディアに取り沙汰にされていたその姿を、もちろん知らないわけではなかったけど、奇妙な小学生に出会った後にふと気になり、調べて改めて脳裏にインプットされた姿だった。それはもう克明に。
 テレビでもなく写真でもなく、生でこの目で動く姿を見たのは初めてだった。鏡に映る姿はカウントには入らないだろう。だってそれは『名探偵』ではなく、『名探偵に扮した黒羽快斗』なんだから。
「……あー、あれ、もしかして工藤新一か?」
 隣に立っていた友人がそう呟く。
 もしかして、なんてものじゃない。それはもう、間違えようもないほどに、正真正銘工藤新一だ。―――江戸川コナンではなく。
「うお、びびった。あの探偵、ここの大学だったのかよ」
「そういや俺達と同い年だっけ。何かずっと高校生探偵な気がしてたけどなぁ」
 言いたいことはわかる。でも、いくら世に騒がれた高校生探偵だって、俺達と同じ人間だ。同い年ともなれば、もちろん同じくして高校を卒業し、同じくして進級するなり就職するなりするだろう。何ら不思議なことではない。
 そう、今。俺の目の前に、同じ空間に、あの名探偵がいることに比べたら。何ら不思議ではないんだ。
「おまえ驚きすぎだろ。いくら有名人だからって」
 友人の一人に揶揄するように言われるが、得意のポーカーフェイスの半分も顔に張り付けることはできなかった。
 俺の目の前で、名探偵はスプーンを置いて立ち上がる。そんな何でもない様まで、人の視線を集めて仕方ないのは、さっき俺が上げた大声の所為なのか。いや、きっとそれだけではないはずだ。
 静かな歩みで、探偵は俺の前へと近づいてくる。何でもない昼食中に、大声で名前を―――厳密には名前ではないけれど―――呼ばれたのだ、文句の一つぐらい言いたくなる気持ちはわかる。反射的に逃げたくなるのは、それはもう怪盗としての身に染みた性質のなせる技なのだろう。決して、目の前に突如現れた名探偵にびびっているとか、怖気づいているとか、そんなことはない。そんなことは絶対にない。
「オメー、何でこんな所にいるんだよ」
 もう視線を下げる必要もない。目線は多分、ぴったりすぎる程には合っている。
「……えぇっと、ここの学生なんで」
「へぇ、オメーもかよ」
 と言うことは、名探偵もここの学生ということなんだろう。学食だけ、何かの気まぐれでここに食べに来たというわけじゃなくて。
 隣から、物問いたげな視線を感じる。友人たちだ。先に昼食を食べてていいと、言いかけてそんな場合じゃないと気づく。俺はどうして、名探偵を目の前にしているんだろう。そもそもどうして声なんて上げてしまったのか。何をしているんだ。この姿で、こっちの姿で、名探偵に会うのはこれが初めてだっていうのに。
「あー、急に大声出して悪ぃ」
 頭を何とか回転させる。剥がれ落ちてしまったポーカーフェイスを、それでも何とか拾い上げて顔にくっつける。
「まさか同じ大学に、あの工藤新一がいるとは思わなくてさぁ。驚いて、つい大声上げちまってごめん。昼食の邪魔したよな」
 悪い、ともう一度謝って笑顔を浮かべる。
 それでもう、話は終わりになるはずだった。少なくとも俺の希望的にはそうだった。
 だけど相手は、あの工藤新一なんだ。名探偵なんだ。
「はぁ?」
 これ以上無い程に、名探偵は眉を寄せる。
 俺と名探偵の顔は不思議な程に似ている。それはもう、変装マスクなんてなくても軽く化けられるぐらいには似ている。でも今の名探偵の顔は、俺にはちっとも似つかない。俺はそんな顔はしないんだ。
「何言ってんだよ、オメー」
「……いや、だから、急に名前を呼んで悪かったと……」
「俺が言ってるのは、何で今さら初対面のフリなんてしてるのかっつーことだよ」
 渋面顔のまま、さらに名探偵は軽く俺を睨みつける。
 もちろんわかっていた。名探偵に、こんな誤魔化しが通用するはずがない。さてどうすればいいのだろう。ここで俺が何を言ったって、逆効果なことなんて明白だ。できることなら時間を戻したい。そうしたら俺は、友人たちの誘いを断って一人売店まで昼食を買いに行くんだ。おにぎりだろうがサンドイッチだろうが何だっていい。いっそのこと、昼食なんて無くて構わない。ここで名探偵に会うぐらいなら。
「……いや、だって、俺達初対面だよね?」
 それでもつい、俺は無駄な足掻きをしてしまう。
 名探偵は眉間の皺をさらに深めた。そんなに眉を寄せては、皺が癖になってしまうんじゃないかと心配になるぐらいに。
「なにくだんねぇこと言ってんだよ」
 ため息をつきながら、名探偵はそう言って。
 次の言葉は、声には、音にはなっていなかった。
「―――っ」
 名探偵が唇の端をわずかに上げたように見えたのは、俺の気のせいではないのだろう。でも、それを確認する時間なんて無かった。ポーカーフェイスもどこへやら、俺は飛び上がると同時に踵を返した。いや、学食から飛び出した。
「おい、黒羽っ!?」
 友人たちの声が聞こえる。もちろん、名探偵の声ではない。
「……最悪だろ」
 逃げてから気づく。逃げるべきじゃなかった。だってこれじゃ、そのまま名探偵の言っていることを肯定しているようなものだ。でもまさか、戻るわけにもいかない。戻れるはずがない。頭はいくら回転しても、この場で最善の策なんて叩きだしはしない。だってそうだろう? そもそもあの名探偵が同じ大学にいるだなんて、考えてもいなかったんだから。俺にだって予測不能の事態というのはある。今がまさにそうだ。
 一体これから、どうしろというんだろう。
 一体どう誤魔化せと? いや、誤魔化しなんてもうきかない。きくはずがない。
 だってさっき、名探偵は言っていたのだから。声には出さず。唇の動きだけで。俺にしかわからなかっただろうけれど、確かに。確かにあいつは言っていたんだ。

 ―――キッド。

 もう一つの俺の名前。かつては、親父のものだったその名前。
 どうしてばれたのかなんて、聞くこともできない。
 何度か顔を合わせた時、俺はもちろん素顔なんて見せなかった。けれど、怪盗としての仮面をかぶることを、いつしか忘れてしまっていたようにも思う。油断をしていたわけではないけれど、どこかで気を許してしまっていたのかもしれない。らしくもない。本当に俺らしく―――いや、怪盗キッドらしくない。まさかこうなるなんて、思いもしなかった。そんなことは言い訳にもなりはしない。
「……どぉすんだよ」
 人気のない廊下の角で、壁にもたれかかるようにして、俺はずるずると座り込んだ。
 そうしている間にも、昼食を食べる時間は刻一刻と過ぎて行く。けれどこれからの大学生活を考えれば、最早そんなこと俺にはどうでも良かった。空腹なんてくそ食らえだ。
「しんっじらんねぇー!」
 信じられなかろうがどうだろうが。
 けれど日々の生活は進んでいくのだ。



 *



「工藤ってさぁ、入学式出なかった口だろ」
 そう言った俺に、新一はわずかに驚いた顔をしてみせたけど、その変化は本当に些細なものだった。ほんの少し眉が上がっただけ、それだけだ。
「だれかに聞いたのか?」
「や、聞いたわけじゃねぇけど」
 例によって例にもれず、今日も工藤は休む暇なくノートを写している。ただし今日は、俺が貸したノートではない。ほとんどの授業が必修だとは言っても、もちろんそれ以外の授業もあるわけで、今新一が写しているのは俺がとっていない授業のものだった。それを少し残念に思う俺も、大概どうかしているのだろう。
「だってほら、あの時さ。学食で会うまで、オメー、俺がいることを知らなかっただろ?」
「それはお互い様だろ」
「いやそうなんだけどさ」
 俺が言いたいのはそういうことではなくて。
 でも、皆まで言う必要もなく、名探偵は持っていたペンをくるりと回して見せた。細い指のその動きに、どうしても視線が奪われる。
「入学式に出てたら、そんなこともないと思ってさ」
「……あぁ」
 ペンを回したまま、何でもないことのように頷く。
「何かやったのか、オメー」
「何かって?」
「オメーの頭がいいことは、もう十分わかってるつもりだしな。総代の挨拶で、それなりのマジックでも披露したってところか? しょっぱなの入学式から、そこまでド派手なことをするとは思えねぇから、ま、オメーにしてみたら簡単なやつを挨拶代わりに披露したってところなんだろうけどな」
 その後でしょっぴかれたんじゃねぇの、と、まるでその光景を見ていたかのような口調で名探偵は言う。その通りだったから、俺は肩をすくめることしかできない。この観察眼には本当恐れ入る。探偵になるべくして生まれたような奴だと思う。
「やっぱりなー」
 そうだとは思っていたのだ。
 逆に言えば、新一が今まで、俺が入学式で起こしたそれを知らなかったことにも驚いた。まぁ、今のところ特別親しくしている友人もできていないようだから、聞く機会も無かったのかと思う。
「入学式からサボりとか、やるじゃん」
「バーロ。事件だよ」
 もちろんそんなことはわかっている。大学をサボる理由が『事件』というのも、まったく大学生らしくないことだとは思うけど。
「その事件とやらは長引いてたわけ? 工藤、合宿も来なかっただろ」
「あぁ、何日か泊まり込みの事件で―――つーか、オメーよく覚えてるよな。俺が合宿にも行かなかったとか。そこでも何かやらかしたのか?」
「まさか」
 呆れたような声音で尋ねてくる名探偵に、俺は笑顔で首を振る。下手な誤魔化し等ではなく、本当に合宿では何もしなかった。特別、自ら目立つようなことは。結果的に目立ってしまったことは別として。だってそれは、俺の意思とは関係のないことだからだ。人生はいつだってなるようにしかならない。
「いねぇから逆に気づくんだって。いたら記憶に残るはずだろ」
「そうかぁ? こんだけ人の数が多きゃ、普通気づかねぇだろ。入学して早々なんて」
「あのなー、工藤はもうちょっと、自分が有名人なんだってことを自覚しろっての。あの高校生探偵がいたとなりゃ、だれだって気づくに決まってんだろ?」
「俺はもう高校生じゃねーよ」
 興味が無さそうな口調で新一は言う。そうだよな、もう高校生じゃないよな、と俺は心の中で呟く。小学生ですらないもんな、と。
 新一がいたとなれば、俺が気づかないはずがないんだ。あれだけの因縁のある奴を、そう簡単に忘れられるはずがない。同い年なんだ、同じ大学に通う可能性を少しは考えても良かったはずなのに、俺としたことがそれに気付かなかった理由なんて明らかだ。だってこの名探偵は、つい数か月前まではほんの小学生の姿だったから。もちろん、永遠にその姿でいるとは思ってもいなかったけれど―――でも、春になれば同じ身長になって同じ目線になって、こうして隣に座って同じ講義を受けるようになるとは露程にも思ってはいなかった。とんだ誤算だ。
「……いや、そうだよな。高校生じゃねぇよな、もう」
「何だよ」
 どことなく、俺の声には含みがこもってしまったのか。新一は小さくこちらを睨みつけてくる。俺は慌てて、降参とでも言うかのように両手を軽く上げる。
 まだ授業が始まるまでには時間がある。近くの席に座った女の子たちが、小さな声を上げながらこちらを振り返る。視線の先はもちろん俺の隣に座った名探偵で、けれど当の本人は気にした様子もなくただひたすらにノートを写し続けて行く。
 人の視線なんて、向けられることには慣れ切っているのか。それはある意味、俺も同じではあったけれど。でも、相手が女の子で、場所が大学ともなれば少し話は違ってくる。この探偵にはそういう意識は無いんだろうか。
「……無ぇんだろうなぁ」
「うるせぇよ」
 ちょっと独り言を漏らしただけでこの言いようだ。
 どうやら俺には、呟きをもらす自由すら無いらしい。この探偵の横にいる時に限って、という話だけれど。
 入学式から始まり、そこから数日間を見事にサボり、ようやく大学に来始めたかと思えば、それからも度々探偵は授業をサボる。それは全て事件が起きた時で、警察から依頼あるいは何かしらかの連絡を受けた時で、つい最近なんてパトカーで大学まで送ってもらっていたなんていう話まで聞いた。それが本当かどうかは、当人に聞かなければわからないけれど。
 とにかくこの探偵は色々と人並みから外れている。それを本人が自覚しているようで、あまりわかっていないことがまたおかしい。ネームバリューがありすぎて、それこそどこに行っても注目を集めることには成功しているけれど、その中で実際に工藤に声をかける学生はわずかだ。声をかけられた工藤も、また特別嬉しそうにするわけでも邪険にするわけでもなく、ただ淡々と相手をするのみだからそれに続こうとする学生が増えない。本人はそれをわかってはいないのだろう。ただそういうスタンスなだけなんだ。
「工藤はさぁ、友達欲しいとか思わねぇの?」
「はあ?」
 いつぞやのように、新一は露骨に顔を顰めてくれる。その顔は、できることなら止めてほしい。あまり心臓に良くないから。
「いや、だって、あんまり自分から他の奴に話しかけたりしねぇなーって……」
 それどころか、せっかく声をかけてくれる相手にすら、あまり愛想がよくないように思える。愛想のいい工藤新一っつーのも、それが警察相手でなければ想像がつかないもんだったけど。
「別に俺以外にも、自分から声かけねぇ奴なんてそれなりにいるだろ」
「まぁそうだけど」
「オメー本当、どうでもいいとこだけ見てんのな」
 暇なのか? と名探偵は言う。暇なわけじゃない。決して、そういうわけじゃないんだけど。
「大学なんて勉強するところだろ」
 冗談なのか本気なのか、よくわからない台詞だった。真面目に勉強するためだけに大学に通う奴が、一体どれだけいるっていうんだろう。俺には想像できない。真面目な新一っていうのも同じように。
 友人の大切さなんてものを、もちろん俺は説く気もない。大学での人付き合いなんて、それこそ当人の勝手というものだろう。交流に精を出すも良し、一匹オオカミを貫くも良し。
「でも、何かもったいねぇよなー」
「何がだよ」
「工藤と友達になりたいって思ってる奴なんて、それこそ山のようにいるだろうにさ」
「オメーさっきから何言ってんだよ」
 呆れどころか、いっそ軽蔑すらまじっていそうな程冷たい視線だった。貶したわけでもなければ、むしろ褒め台詞に入るだろうに、どうしてそんな絶対零度の視線を向けられなければならないのかわからない。そもそも新一は、俺に対して笑顔を向けてくれることが少ない―――いや、認めたくはないけど、もしかしたら一度だって無いかもしれない。認めたくないけれど!
「……工藤はさ、自分が周りからどう見られてるとか、いまいちわかってないよな」
「世間一般の大学生よりも、ちょっと知名度が高いことは自覚してるぜ?」
 片眉を上げて、新一は珍しくもからかうように言う。事件を解決する度に紙面やニュースを賑わせている奴の、一体どこが『ちょっと』知名度が高いなんてものだろう。間違いなく、新入生の中じゃ一番の有名種だ。いや、新入生と言わず、大学中で一番かもしれない。
「ま、有名人とお近づきになりたいって奴は、どこの世界にでもいるもんだからな」
「いや、そんな表面上のことじゃなくてさぁ!」
 やっぱりこの探偵は、自分のことをわかってなんていないんだ。
 そりゃあ他の奴らが今新一の一挙一動に注目しているのは、新一が世間で話題の高校生探偵―――だったから、だけど。多分新一がここまでメディアに露出していなかったとしても、もちろん新一の本質は変わらない。人目を自然と集めてしまうところも。あまりとっつきやすいとは言えない、この愛想のない態度だって不思議と癖になるくらいで……あぁもう、俺はかなり重症なのかもしれない。
 つまり俺は、この名探偵のことが好きなんだ。それはもうかなり、洒落にならないくらいには。
 どうすりゃいいのかと考え込んだのは最初の数日間で、その間にももちろん新一とは何度も顔を合わせた。取っている授業がほとんど同じなんだから当然だ。ポーカーフェイスの下で身構える俺に新一はいつだって涼しい顔を見せていて、一体何を考えているのかとこちらからも接触をはかった。その間にわかったことといえば、新一が大学で見せる顔は、俺の仕事現場で俺を追い詰める時に見せる顔とはまるで違っていて、事件明けなのか眠そうでだるそうで欠伸なんて漏らして時には髪に寝ぐせまでついていたりして、そんな姿がちょっと可愛いなんて思った時にはもう遅かった。
 キッドの時には捕まらないのに、ただの大学生に捕まってしまうなんて、俺も本当どうかしている。
「表面上のことじゃなくて、何なんだよ」
 どこか面倒そうに新一は言う。大体において、新一は常に面倒そうな空気を纏っている。活き活きとした、それこそ生産的な空気なんて、事件や謎を前にしなきゃ出ないんじゃなかろうか。
「……だから、そういう見かけだけじゃなくてさー。中身ももっと知ってもらいたいっつーか、何か高校生探偵って名前だけで見られるのはもったいねぇっつーか……」
「おまえがもったいがる必要もねぇだろ」
「それはそうだろうけど!」
 だって好きな奴がそれだけで判断されるなんて悔しいじゃん!
 なんてことは、もちろん言えるはずもなくて。
「……いや、だって、それでなかなか友達ができないっつーのもさぁ」
 別に俺は、それについて何か言いたいわけじゃないんだ。だってそれこそ、友達を作ろうがどうしようが、そんなことは当人の自由なわけで。その上で言うとすれば、俺にとっては新一に俺以上に親しい友人ができないことは好都合なわけで―――そう、この大学生活だけで言うなら、多分俺は間違いなく一番親しい友人の立場にいるわけなんだ―――でも、そう思っていてもなぜか不快感を感じてしまうのは、多分これは俺の性格によるものなんだろう。多分、気に入りの玩具は自慢したいとか、多分そういう類のもので。俺は新一を自慢したいんだ。俺のものでもないっていうのに。
「別に、いねぇわけじゃねーし」
「それはわかってるけど……」
「オメーは俺のことを友達だと思ってねぇんだ?」
「えっ」
 そしてこの名探偵は、妙なタイミングでまた妙なことを言ってくれるんだ。いや、妙なこと、というのとはまた違うのかもしれないけど。
 だって友達って。友達って。
「いや思ってるけど!?」
 むしろそれ以上の関係にできたらなりたいとすら思ってるけど! 言えないけど!
「へぇ。オメー、俺のこと友達だとか思ってんだ」
「思ってるよ? 当たり前じゃん!?」
「まあ俺は思ってねぇけど」
「新一ひどいっ!」
 高揚した気分が一気に奈落に落とされる。
「名前で呼ぶんじゃねぇっつってんだろ」
 心底から嫌そうな顔で言われる辺り、確かに友人扱いはされてないんだろうなってことはわかっていたけど。でも、改めてそれを突きつけられるのは辛い。思わず胸を押さえたくなるぐらいには。
「……何で友達だとすら思ってくれないのかなぁ」
 別に恋人にしてくれと言ってるわけじゃないのに。そんなことは間違っても言えない。
 顔を合わせればどちらからともなく会話をするし隣同士で座ったりもするし、普通に考えてこれは一般的な友人と言えるのだろう。少なくとも、俺のこれまでの人生を振り返ればそうと言える。大袈裟かもしれないけど。
「そう簡単に、怪盗と友人になる探偵なんているわけねぇだろうが」
「だから、俺はどこぞの怪盗じゃないんだけどなーって……」
「へぇ、そうかよ」
 名探偵からの不意打ちにも慣れた。逆に、名探偵も慣れているのだろう。俺の誤魔化しに。
 こんな関係が、卒業するまでのあと四年続くのかと思えば気が滅入る。でも、その間はずっとこうして一緒にいられるのかと思えば心が躍る。相反するその感情を、俺はどうしていいのかわからない。その解決策を、この在学中に見つけなければいけないのだろうかとも思う。その後のことなんてわからない。
「昼飯、学食で食いたいから」
「うん?」
「席とっとけよ」
「……えーっと、何で俺が?」
 今まで、そんなことを言われたことはない。偶然新一が学食にいるのを見かけて、隣を陣取ることは多々あったけれど。その度に俺は一々緊張していたなんて、きっとこの名探偵は知りもしないんだろう。普段は重箱の隅さえつつくような奴だけど、自分のことに関してはまるで無関心なんだから。
「何でって」
 扉を開け、教授が入ってくる。いつもの講義の始まりだった。
「俺達、友達だろ?」
 頬杖をついて。わずかに微笑んで。でも、からかうような笑みもそこにはどこか含まれていて。
 そんな顔で。
「……新一っ」
「だから、名前で呼ぶなっつってんだろ」
 とたんに嫌そうな顔になる。そんな顔すら愛しくて仕方ないだなんて、俺はどうかしているんだ。いつからこんな無欲になったんだろう。ただ隣にいられるだけで嬉しいだなんて。俺らしくもない。
「……信じらんねぇよなぁ」
「静かにしろよ」
 授業が始まったと新一は言う。まともに聞く気もないくせに。いや、俺よりかはあるんだろうか。少なくとも、授業に出ている時は新一は真面目にノートを取っているし、真剣に教授の声を聞いているようにも見える。俺はといえば、一応はノートを写すものの、教室中に響く教授の声の半分も拾ってはいなかったけれど。
 横目で伺う探偵の顔は、今日も変わらない。そうした顔は、どこか昔を思い出させるような気もする。まだ名探偵が『小学生』だった時に見せた横顔と。
「……違うって、わかってるんだけどなぁ」
「うるせぇよ」
 とたんに小言が飛ぶ。謝る代わりに、俺はやれやれと肩をすくめた。昼食は何を食べようかと考えながら。