あの男はおかしいほどに割烹着が似合う。
 似合うがしかし、なぜ我が家に割烹着姿の男がいるのだろうかと思えば、そこでいったん思考回路が止まってしまう工藤である。
「だって新一は、一人でいるとろくなもん食わないだろ?」
 だからオレが作りに来るのだと、さも当然のような顔で黒羽は言う。ご持参の、白い割烹着を身に纏いながら。
 確かに自身の食生活は悲惨な状況にあることは弁解のしようもないが、どうしてそこから「ならオレが作ろう」という発想になるのか、そうしてわざわざ割烹着など持参するのか、そもそも男が多少の料理をする際にわざわざ割烹着などを身につけるものなのか、工藤にとっては疑問がつかない。まさに謎の塊という男だった。
「……その割烹着、どうしたんだよ?」
「え? 家にあった」
「オメーの母親のかよ?」
「いや、使ってるとこ見たことないし、それはどうかなぁ」
 つまりは貰い物辺りということだろうか。この昨今、割烹着を貰う機会があるのかどうかは別として。
「新一、何か食えねぇもんある?」
「とくに無ぇよ」
「嘘つくなよ。レーズン食わねぇだろオメー」
 見栄張っちゃってこの、と黒羽は笑う。静かに眉を寄せながら、ハードカバーを持つ手に力がこもった。
「……オメーはパウンドケーキでも作ってんのか?」
 朝食にならそれもありかもしれないが、一般的な日本の夕食としてパウンドケーキは無いだろう。
「パウンドケーキはねぇけどな。ハヤシライスとか作るかもしんねぇだろ?」
「ハヤシライスなら、なおさらレーズンの出番なんてねぇだろうが」
「あれ、ライスにレーズン混ぜたりするレシピもあるんだぜ。名探偵知らねぇの?」
「……」
 そんなふざけたレシピを考えたのは、一体どこのどいつなのだろう。
 殺意を抱くとまでは言わないが、なぜその料理にレーズンを混ぜる必要があるのだろうとただただ思う。レーズンを入れることによって、ハヤシライスの美味さが増すとは到底思えない。パウンドケーキに入れるという方が、まだよっぽど理解ができる。それでも食べたくはなかったが。
「……何を作ろうとしてるんだよ、オメーは」
 険呑な表情を隠すことなく工藤が尋ねれば、返って来たのは満面の笑みだった。
「それは出来てからのお楽しみってやつだろ?」
「…………」
 これで出てきたのがレーズン入りのハヤシライスであったら、明日の昼食は黒羽の前でB定食を食べてやろうと工藤は決意する。B定食は毎食決まって魚がついてくる、それはそれは素敵な定食なのだ。
 鼻歌を漏らしながらキッチンへと向かって行く黒羽の背中を黙って眺めながら、けれど本当にレーズンが出てくることは無いだろうと工藤は思う。一般的な日本の夕食としてそぐわないというよりかは、本気で黒羽が工藤の嫌がる物を食卓に出すとは思えないのだ。そんなことをするぐらいなら、わざわざこの家まで食事を作りに来る意味がわからない。
 いや、そうでなくとも意味なんてわからないのだが。
 本当になぜ、この男は人の家にわざわざ夕食を作りにやってくるのか。それも割烹着などを持参して。
「オメーさぁ」
「んー? メニューは教えないぜー?」
「……聞いてねぇよだれも」
 何となく声をかけてしまったが、何を言いたかったのかは自分でもよくわからなかった。こんなことは工藤にとっては珍しい。
 広いキッチンの中を、忙しく動き回っている黒羽の姿がここからはよく見えた。黒羽が通い出すようになってから、冷蔵庫にはそれなりに食材が備蓄されるようになった。せっせと野菜などを買ってこられても、料理などしないのだから腐らすだけだと思っていたら、腐る前にまた黒羽は新たな食材を抱えてやって来て、そうして日々はそんなことの繰り返しだった。
 一体いつから、こんな生活が始まってしまったのか。
 別段不満があるわけではないが、ただ振り返ってみると不思議で仕方ない。何せ相手が相手なのだから。
「……違和感ねぇんだよな」
「何か言ったか、新一?」
 黒羽はとんでもなく耳がいい。リビングで漏らした工藤の独り言にも、逐一反応をくれるぐらいには。これでは迂闊なことは漏らせないと改めて思い知らされる。
「それ、似合ってんなと思ってさ」
 聞かれて困る独り言でもなかったから、工藤は素直に答えることにする。
「それ? 料理してることが?」
「や、じゃなくて、今着てるそれが」
「割烹着?」
「そう」
 振り返った黒羽は、微妙な表情を浮かべた。割烹着が似合っていると言われて喜ぶ男はいないだろう。そもそも、進んで割烹着を着る男が普通はいないだろうと工藤は思ったが。
「見てたらそう思えたんだよ」
「あー、新一に褒められるのは嬉しいんだけど……似合ってるかなぁ、これ」
 黒羽は片手で割烹着の裾をつまむ。どことなく情けない表情だった。
「まあ、似合ってるっつーか、やっぱり違和感がねぇんだよな。まあその色の所為だとは思うけどよ」
「色?」
「白だろ、それ」
 名前と反して、この男には白が似合う。あるいはそれは、工藤が黒羽快斗という人間に対して抱いているイメージによるものなのかもしれなかったが。けれど、一度築かれたイメージはそう簡単に崩されることはないのだ。
 割烹着の裾をつまんだまま、黒羽は変わらない表情を浮かべて工藤を見つめていた。
「でもオレ、普段そんな白い服も着てないぜ? 色物のが多いし、むしろ白シャツとか着てるのってオメーの方じゃ……」
「キッドはいつも白スーツじゃねぇか」
 同じ大学に入学し同じ講義を受けている今となっては、私服姿を見ている時間の方がずっと長い。それでもキッド姿のイメージがいまだ根強いのは、初対面の印象なのかキッドのインパクトの強さなのか。
「……や、キッドは確かに白スーツだけど、だからオレは怪盗とは関係ないんだけどなーって」
「オメーもしつこいな、そのネタ」
「いやしつこいのは新一の方だよね!?」
 キッドが、いや、黒羽快斗がこれ程までに諦めの悪い人物だとは知らなかった。もちろん国際手配されている犯罪者が、あっさり「お前はキッドだろう」「はいそうです」などと頷きなどしたら問題なわけだが。けれど、ここまでネタが上がっていてなお認めないというのはどういうことなのか。
「わかった、オメーはキッドじゃねぇんだな?」
「……もちろん」
 キッドの時の余裕釈然とした笑みはどこに行ったのかと訝しくなるぐらい、それは可哀相な笑みだった。
「じゃあ明後日の夜、一緒に夕飯食いに行こうぜ」
「えっ夕飯……えっデート? や、そうじゃなくていやあの明後日って」
「そう、キッドが予告を出してた日だな」
 何だか妙な単語が聞こえた気がしたが、恐らく気の所為だろう。黒羽が焦ったあまり妙なことを口走ったに違いない。
「オメーの好きなとこでいいぜ。何でも奢ってやるからさ。金欠だって言ってたろ」
「……いや、うん。それはもう、すっごい嬉しいんだけど。すっごい嬉しいんですけど。あの」
「何だよ。オレと一緒に飯食うの嫌なのかよ?」
「いやいやいや間違ってもそんなことないよ!? すっごい嬉しいけど! 本当死ぬほど嬉しいけど!」
「じゃあ行くんだな?」
 重ねて尋ねれば、黒羽はぐっと息を飲み込んだ。―――音が、聞こえるような気がした。
「……ごめんなさいその日は無理です」
 わかりきった答えだったが、ほんの少し面白くなかった。恐らくはきっと、黒羽があっさりとそう白状した所為だろう。そう工藤は思った。
「オメー、この間もそう言ってたよな」
「え? や、そうだっけ……」
「そうだよ。先々週の月曜日。これまた偶然にキッドの予告日にな」
「あぁいや、うん……まぁ……」
「……黒羽、お前さ」
 一体いつまで、白を切るつもりなのだろうか。
 もちろん、キッドが予告を出した日の誘いを断ったからと言って、それが証拠になるとは思っていない。けれどそこに至るまで、少なくとも、工藤新一が確証を抱くまでには様々な過程があるのだ。それはもちろん黒羽自身だってわかっていることだろう。
「……いや、あの、新一、実は」
 黒羽が、片手でぎゅっと割烹着の裾を握りしめた。それが割烹着でなければ、もう少しは様になっていただろうと思わずにはいられない光景だった。
「……あぁ」
「実はオレさ……その、キッドのおっかけやってて」
「……あ?」
「犯行の日は必ず現場に行きたいんだ」
 割烹着の裾を握りしめたまま、黒羽はそう言った。しっかりと工藤を見つめるその瞳には、ある種の決意にも似たものが浮かんでいるようにすら見えた。
 驚きよりかは呆れの方が大きく、呆れを通り越していっそ感心する程であった。まったく、どこまで諦めの悪い男なのだろう。それこそ、さすがは怪盗キッドと言うべきなのか。
「……そうかよ」
「わかってくれたか?」
「あぁ。好きなだけキッドを追いかけてろよ」
 面倒になってそう答えれば、黒羽は安心したように息を漏らして、またキッチンの中に戻って行く。
 呆れて、ため息すらも出なかった。手にしたままだったハードカバーをテーブルの上に置き、広いソファにだらしなく横になった。
「……馬鹿なのか何なのか」
 あんな言い訳が、本気で探偵相手に通用すると、まさか思っているわけではないだろう。ただの一時しのぎになればいいと思っているのか。それにしても苦しすぎる言い訳ではあったが、確かに工藤とて、黒羽快斗が怪盗キッドであるという確固たる証拠を手にしているわけではないのだ。
 一緒に講義を昼食を食べ、そうして今ではなぜか家まで通って来るような相手を、今さら監獄にぶち込みたいと思っているわけではない。ただ、真実を明らかにしたいとだけは思う。それはもう探偵の性なのだとしか言いようがないのだろうが、あの黒羽相手ではそう簡単には行かないようだ。
 それはそれで面白いと、言えなくもないのだろう。
 黒羽といると、とりあえず退屈だけはしない。こうしてまめに食事を作りに来てくれる友人だって初めてのことだ。見ているだけで飽きないとは思う。
「新一さー、じゃがいもはバターと塩コショウどっちが好き?」
 キッチンから顔を出して、黒羽が笑顔でそう問いかけてくる。
「別にどっちでも」
「作り甲斐のねぇこと言うなぁ」
 素直に答えれば、黒羽は不満そうに顔を顰める。聞かれたから答えたまでだと言うのに、どうしてそんな顔をされなければならないのだろう。むしろ不満なのはこっちの方だと工藤は思う。
「あ、後さ、新一納豆は食える人?」
「別に食えるけど……つーかオメー、だから何作ろうしてるんだよ」
 じゃがいもと納豆という組み合わせが、料理をしない工藤には全く想像できなかった。もしかしたら、普通にそれぞれ別の料理に使われるだけなのかもしれないが、どうしてか嫌な予感を覚えてしまう。
「ひ、み、つ」
 ご丁寧に指まで振って答えてから、黒羽は再び鼻歌をもらしながら冷蔵庫を開けた。
 そんな無防備な背中を見ていると、捕まえる気も失せてくる。
 そもそもは、こんな白の割烹着の似合う男が怪盗キッドだと言ったところで、恐らくはきっとだれも信じてなどくれないのだろうけれど。
...12.05.23
お題元 → [リライト] 「あの男はおかしいほどに割烹着が似合う。」
少し時間の進んだ大学生パロ。名前呼びを許してもらえた模様です。