黒羽は後背位が好きだ。
 いや、実際に好きかどうかはわからないが、オレが今まで黒羽とベッドを共にした幾つかの機会において、黒羽は自らその姿勢を取っていたのだから、まず好きと見て間違いは無いだろう。そうでなければ、自分から四つん這いになる意味がわからない。
 黒羽が好きな体位であるのなら、別に問題は無い。ただ、少しばかりその体位になるのが早いような気がする。何もしょっぱなから尻を向けられているわけではもちろん無いが、割と早い段階で黒羽はうつ伏せになってしまう。オレには背中しか見えない。腰にキスを落とすのも、背筋思う存分撫でるのも好きではあるのだが、いかんせん顔が見えない。キスができない。これは何とも物足りない。
 とはいえ、オレにとってこうした性行為の相手は正真正銘黒羽が初めての相手で、普通どれだけ前戯に時間をかけるものなのかもわからない。今までは気分のままにやってきたが、男同士であるならそうした時間はあまり必要ないものであったりするのだろうか。こんなことまさかだれに聞くわけにもいかないし、聞かれたところで困るだろう。プライドや羞恥心だって捨てられない。
 オレは恐らく、どちらかと言えば前戯にもしっかり時間をかけ、しっかりキスをし、挿入してからだってできることならキスをしたいわけで、自分で言うのもなんだけれど、この点だけ見れば女々しいのかもしれない。いや、よくはわからないが、キスをしたがるのは何だかひどく女めいているように思える。勝手な思い違いなのかもわからないが。
 そんなオレに比べて、あまり黒羽はそうした面を見せない。淡泊なのかもしれない。あるいは、男であるにも関わらず、挿れられる側であることに、もしかしたら思うところもあるのだろうか。最初の晩、黒羽があまりにあっさり「オレ、別に下でいいよ」と言ってくれたものだから、オレはすっかりその言葉に甘えてしまった。男として色々と考えることもあったが、それ以上に黒羽にとんでもなく惚れ抜いたオレは、どうしても黒羽を抱きたかったのだ。
 とんでもなく惚れ抜いた相手を、オレはもう何度かこの手で抱いている。愛していると好きなだけ告げて、好きなだけその中に射精して。―――もちろんそうすると後で黒羽に「風呂で後始末するオレのこと考えろよな」と文句を言われるのだが、それに対しじゃあ一緒に入ってオレがキレイにしてやると告げたところ、思い切り枕を投げつけられた。そんな風に文句を言われることはあっても、でも本気で黒羽が嫌がっていないことはわかるつもりだ。こればかりは思い込みではない。本気で嫌なのであれば、黒羽が大人しくオレに抱かれているはずがないのだ。そんな大人しい奴ではない。
 黒羽は嫌がってはいない。色々思うところはあるのかもわからないが、それでもオレを受け入れてくれている。その現状に、不満を覚えるオレがどうかしているのかもしれない。でもやはり、何度考えたところで、やはりオレからしてみればあまりにも早いタイミングで黒羽はうつ伏せになってしまうし、そう毎回毎回後背位ばかりというのも少しおかしい気がする。何だ。黒羽はそんなにも後背位が好きなだけなのか。
 わからないことは聞けばいい。かと言って、さすがに面と向かって「おまえ、後背位が好きなのか」とはさすがのオレも聞き辛い。もう少し付き合いが深くなればそうしたことも素直に聞けるようになるのかもわからないが、まだオレ達はようやく片手じゃ足りなくなるぐらい回数しか、ベッドを共にしたことはないのだ。その微妙な距離間は、今まで当然だがオレが味わったことのない類のものだった。
 例えばオレがそう聞いたところで、一体黒羽はどんな返事を返してくれるのだろう。「え、工藤は嫌だった?」と、あっけらかんと返されればいい。それが一番楽なパターンだ。男同士だという身体の構造を考えてみても、後背位というのは一番楽な姿勢なのだろう。一番楽な姿勢だし、一番お互いに気持ち良くなれる姿勢だとも思う。それを踏まえた上で、「だって工藤下手じゃん。あれで正常位とかになったら、オレ絶対イけないし」等と言われたら、多分オレは泣ける。それはもう心底から泣ける。
 黒羽ははっきりとした物言いをするようで、その実ものすごく空気を読むし人に対しての気遣いもできる奴だから、万が一後者のようなことを思っていたとしても、オレに直球でぶつけてくることはないだろう。けれど、黒羽はものすごく空気を読むし人に対しての気遣いも確かにできる奴なのだが、それでいて自分にどこまでも正直と言おうか、たまに読める空気を読むことを敢えて放棄するような奴でもあるから、はっきり言われかねないとも思うのだ。
 オレはやはり、女々しいやつなのかもしれない。あれこれ色々と考えるばかりで、それを黒羽に尋ねることができない。答えを聞くのが怖いのだ。二人きりでいる時に、現場での探偵然とした姿とはまるで違うと黒羽に言われたこともある。自分でもその通りだと思う。女々しい自分が嫌になるし、こんな風に女々しいところを見られて呆れられたくもないと思う。黒羽に嫌われたくはないのだ。
 嫌われたくはないからこそ、これは大事な問題なのだろうとも思う。恋人関係を続けるにあたって、セックスの相性というのは大事なものだろう。良ければ良いに越したことはない。オレはこれからも黒羽を抱きたいのだから。
「……工藤?」
 オレの前には真っ白な、けれど幾つかの傷を負った背中がある。初めての晩に、その傷を一つ一つ丁寧に舐めとってキスを落としたことを思い出した。その度に黒羽は小さく肩を震わせていた。
「……どうかした?」
 いつものように、前戯の途中で黒羽が背中を向けてしまったものだから、そこからついつい思案に耽ってしまっていた。そんな風に、肘をついて、黒羽がこちらに顔を向けてくることは珍しかった。大抵の場合、黒羽は枕に顔を埋めたままでいるから。
「何でもねぇよ」
「そうかよ?」
「あぁ」
 頷いて、せっかく黒羽が顔を向けているならと、その頭を掴むようにしてキスをした。黒羽は当然嫌がらない。嫌がらないが、オレがキスを深めようとしたそのタイミングで、まるで波が引くようにして身体を引いてしまう。
「……ならいいけどさ」
 小さく呟いて、再び黒羽は枕に顔を埋めた。いつもの姿勢。オレが後ろを慣らしている間、黒羽はそうして枕に顔を埋めて、両手で枕の端を握りしめている。見慣れた光景だった。見慣れた、と言う程には、まだ数える程しかそんな夜は迎えていないはずなのだが。
 それきり、黒羽は何も言わなくなった。早くしろとその背中が訴えているようにすら見える。黒羽は恐らく前戯にあまり興味はないのだろうし、男同士の行為なんて、早く終わらせたいのかもしれない。嫌々付き合ってくれているわけではないだろうが、黒羽だって一人前の男だ。女役の時間が長く続いて、嬉しいと思うわけがない。当然のことだ。
 オレに言わないだけで、色々と黒羽からすれば考えるところもあるのかもしれない。何せオレは、デリカシーに欠けるとよく言われる。友人にはもちろん、黒羽本人から言われたこともある。確かに、恋人との待ち合わせを放って殺人現場へと真っ先に駆け付ける男は、デリカシーが足りていない。それ以外にも、色々と足りていないにも程があるというものだろう。
 考えれば考えるだけ、思考が暗い方向へと向いていく。目の前には恋人がいて、無防備な背中を向けているというのに、おかしな話だ。その傷跡が今更ながらに目に痛い。
 そっと背筋を撫ぜた。黒羽の背中が震えたようにも見えたが、気の所為だったのかもしれない。
「なあ」
 何と尋ねればいいのだろう。この場に相応しい言葉がまるで浮かばなかった。
 どうしようもない。気のきいた言葉なんて、まるでオレから遠いところに存在しているようだ。
「こっち向けよ、黒羽」
 おまえの顔を見ながら、キスをしながら、熱を直に感じながら愛を交わしたいと思うオレが、一人先走りすぎているのだろうか。


 工藤とは後背位なセックスばかりしている。
 そうしようと思ってしているわけではなく、始めはただ単純に、色々と下調べを重ねた結果、男同士のセックスでは後背位が一番やりやすいと知ったからだった。セックスにおいて一番大事なものは『やりやすさ』ではないとは思うが、いかんせんお互いに初心者なのだからして、この場合はやりやすさが最も大事なものであると言っても過言ではないだろう。それ以上のものはまたおいおい追求していけばいいのだ。
 何となくだけれど、工藤とそういう関係になるのであれば、恐らくはきっとオレが下に、つまりはまあ挿入される側になるのだろうなという考えは薄々とあった。今まで挿入される側になったことはないし、悲しいことに挿入する側になった経験もないのだが、そこはまあ何となく。工藤のあの性格からして、とても大人しく押し倒される側になるとは思えなかったし、その点オレは何事においても適応できるだけの柔軟性を持っている。もちろんそれだけが理由ではないが、一番大きな理由を挙げるとすれば、工藤からの『おまえを抱きたい』オーラを感じたことだろうか。
 自分で言うのも何とも恥ずかしい。オレは特別小柄でも色白でも女顔でもなければ、守ってあげたくなるか弱げなタイプでも儚げなタイプでもない。間違ってもそういうタイプではない。考えただけでもむず痒い。でも確かに、オレは工藤からそんなオーラを感じたし、その後の工藤の様子を見ていても、やはりそれで間違いはないだろうと思うのだ。オレのこの手の勘はまず外れない。工藤はずっとオレを抱きたかったのだろう。
 尋ねたことも確認したこともないけれど、オレと工藤は恐らく同じ頃から互いのことが気になって、そうした中で追って追われて、何度かの逢瀬を重ねて、そうしてやっぱり同じ頃に恋に落ちていたのだろう。自分の気持ちに気付いたのが先なのか、それとも工藤のオレを見る視線の意味に気付いた方が先なのか、その辺りはまるでわからない。卵が先か鶏が先か。先に恋しく思われていたのか自分の方が思っていたのか。
 オレはそんな風に何となく互いの思いに気づいていたし、工藤もそんな風に何となく感じていたのだろう。ある時までは確かに探偵と怪盗の関係だったはずが、これと言った言葉も切っ掛けもなく、そこからはみ出した関係になった。さすがにあの白い怪盗服を、工藤の前で脱いだ日のことは覚えているが、素の姿のオレを見ても工藤は特別驚いた顔もしなかった。もしかしたら、とっくにオレの正体になど気づいていたのかもしれない。
 ある意味で暗黙の了解の内に、悪く言えばなあなあな感じで始まったオレ達の関係で、好きになったタイミングもそれに気付いたタイミングも、まるで謀ったように同じでそれが心地良くもありわかりやすくもありで、けれどやっぱりオレたちは似てはいても別の人間であるから、何もかもが同じわけではないのだ。性行為において、その違いが如実に表れたとオレは思う。原始的な行為は、原子的な違いすら気づかされるのかとかすかに驚いた。
 工藤はずっとオレを抱きたかったのだろう。反面オレは、工藤に抱かれたいと思ったこともなければ、逆に工藤を抱きたいと思ったこともなかった。その内セックスをすることもあるのだろうなと思っても、それはオレにとってはどこか遠い未来の出来事のようでもあり、酷い言い方をすれば他人事でもあったりした。到底想像がつかないものだった。
 一緒にいられるだけで幸せなんて、そんな頭がお花畑になっているようなことを考えていたわけではないけれど、でも経験したことのないものをリアルに想像することは難しかった。男同士であることを除いて、例えばこれがどこかの女子と付き合っているのでも、多分そうだったのだろうと思う。幼馴染が「快斗はお子様だから」という声音が聞こえてくるようだった。子供に子供とは言われたくないが、確かにオレは子供なのかもしれない。
 もう少し先のことだろうとばかり思っていたのに、案外その時は早くにやって来た。後でカレンダーを見てみれば、それはオレが工藤の家に初めて―――招かれて―――足を踏み入れてからちょうど三か月後のことで、偶然かもわからないが、何となく工藤のことだからきちんとそれだけの期間待ってくれていたようにも思えた。
 どうするか、と工藤は尋ねてきた。何とも直球な問いかけだった。
 どうすると尋ねながらも、そうしながらも、工藤の目ははっきりとオレを抱きたいと告げているのだからおかしかった。抑え切れないそのオーラが。自分がどんな顔をしているのか、工藤本人もわかっていなかったに違いない。肉食獣に見つめられた草食獣とは、きっとこんな気持ちなのだろうと思った。思わず背筋が震えたが、それは嫌な震え方ではなかった。
 正直、工藤にそんな風な目で見つめられてぞくぞくした。オレは決してマゾではないし、抱かれたい気持ちがあったわけでもないが、こいつにならまあいいかと素直に思えてしまった。それまでにも、きっと自分が抱かれる側になるのだろうなという漠然とした想像はあったが、それを一気にすんなりと受け入れてしまった。すとん、とオレの中で落ちついてしまった。それはやっぱり、オレがこの恋人のことをどうしようもなく好きだと思っているからだろう。自分がどんな顔をしているのか、わからないままに恋人をここまで落としてしまう辺りが、とてつもなく好きだと思えた。
 好きだと思えたからこそ、自ら抱かれる側でいいと志願したのだし、その辺りについては何も不満は無い。不満は無いが、いざコトが始まってから、オレはしまったと思った。
 予想以上に、抱かれる側というのは恥ずかしい。
 予想以上と言おうか、オレはそもそも具体的な予想どころか想像もろくにしていなかったのだが。だからまずいのだろうか。けれど、いくらシミュレーションをしようが、これは逃れられない問題なような気もする。普段普通にキスをする程度ならいいのだが、いざベッドに押し倒されて、ボタンを外されたりするともうまずい。無性に恥ずかしくてたまらなくて、そんなことはしなくていいからと叫びそうになってしまう。そんなことを言うのは、まあ、オレの首筋にキスをしたり、あらぬところをいじったり、摘んだり、キスをしたり、あらぬところをいじったり、そんなことを。
 セックスというのは、抱く側に主導権があるものなのだろう。そうではない場合もあるのかもしれないが、今のところオレにはよくわからない。押し倒されて、コトが始まってしまえば、後はもう好き勝手に工藤が動いている。相手は恋人であるから、もちろん嫌なわけはない。嫌なわけではないが、この恥ずかしさをどこに持っていけばいいのかオレにはまるでわからないのだ。
 具体的に言えば、漏れそうになる声をどうやって我慢すればいいのだろう、なんてことが。
 多分そんなことを言えば、工藤は考えるまでもなく「出せばいい」と言うのだろう。オレがチョコアイスが食べたいと言えば、「買ってくれば」と言うのと同じように。機嫌が良ければ金すら出してくれる。工藤はある意味で心の広い男なのかもしれない。時たまオレはそう思う。
 そう思うが、しかし、男の喘ぎ声というのはどうなのだろう。オレも工藤も、生まれつき同姓が好きだという性癖をしているわけではない。だというのに、なぜ男を好きになってしまったのだと言えば、そこはもう神様の悪戯だと思うしかないのだが、とにかくそんなわけだからして、きっと工藤はオレの喘ぎ声なんかを聞けば萎えるに違いないだろう。男なのだから。オレも工藤も、紛れも無い男同士なのだから。
 恥ずかしさはまだいい。オレ一人の問題だ。オレ一人が、羞恥心に耐えればいい。それだけの問題だ。
 けれど、思い切り喘ぎ声を漏らして、結果工藤がやる気を失くしてしまったら。万が一にも、そんなことを言われたら。途中で、「……やっぱ無理。止めよう」なんてことを言われたら。多分オレは泣く。ポーカーフェイスなんてとてもではないが装えない。怪盗だろうがマジシャンだろうが、ベッドの上ではただの人間だ。ただの黒羽快斗だ。それ以上でもそれ以下でもない。
 どうしようかと、初めての行為の最中からしてオレは悩んだ。ともすれば漏れそうになる声を、唇を噛みしめることで必死に抑えた。けれどそれにも限界というものがある。工藤がいつ気づくかもまた怖かった。そんな中で、その晩は、自然な流れで後背位になった。恐らくは工藤もまた、初心者には後背位が一番と事前に調べていたのだろう。この体位は幸いだった。何せ思う存分枕に顔を埋めていられる。時たま声が漏れてしまっても、ある程度は枕が吸収してくれている。ついでにある程度オレの唾液も吸収しているかもわからない。
 どんな体位にしろ、声を完璧に抑えるなんてことはまずできるはずもないのだが、工藤の顔を見ずに済むということもまたオレにとっては大きかった。ただえさえ肉食獣な顔をしているというのに、最中の工藤の顔はそれ以上にひどいのだ。その視線だけでも、犯されるには十分すぎる程だと思えた。だからそんな顔を見たくなくて、平静で見れる自身がなくて、ついついオレは工藤に背中を向けてしまった。枕に顔を埋めてしまった。そうするより他にはなかったのだ。
 いい加減工藤も、気づいているだろう。違和感の一つや二つ、覚えていても仕方ない。セックスにおける平均的な体位の回数なんて知らないけれど、多分後背位がトップでないことだけは確かだ。普通に正常位だろう。男同士のセックスの平均値だけを出したらどうなのかはわからないが。
「こっち向けよ、黒羽」
 今日の工藤はいつもと様子が違っていた。だからもしかしたらとは思っていたのだが。
 どう答えればいいのかオレは悩んだ。いや、答えるまでもなく、恋人の言葉に従うべきとはわかっているのだ。
「……どうして?」
 でもオレは、なかなか素直にはなれない。今自分が、どんな顔をしているのかもわからない。きっととんでもなく、おかしな顔をしている。もしかしたら、物欲しげな顔で工藤を見てしまうかもしれない。そうしたら工藤は、オレをどう思うだろう。男なのに、同じ男なのに、早く挿れられたがっているだなんて、おかしな奴だと思うだろうか。
「……」
 工藤がわずかに、悩んだ気配が伝わってきた。多分それは、間違ってもベッドの中で漂わせるものではないのだろう。起き上がって、キスの一つもした方がいいのかもしれない。この後に楽しいセックスをしたいと思うのなら。でも、そうできない。指が、枕を掴んだまま離れない。
「……おまえ、後背位が好きなのか」
 オレが顔を上げないものだから、工藤がそう言葉を重ねた。やっぱりなあと、そう思われていたんだなあと、オレはこっそり笑ってしまった。純粋に好きなわけではない。好んでそうしていたことは確かだけど。
「さあ?」
「あのな、言いたいことがあるならはっきり言えよ。おまえに一人我慢させるつもりはねぇし、オレだってその……ちゃんと、おまえを満足させてやれるよう、努力はしたいと思ってるし……」
「……うん?」
 どうしてそんな話になるのだろう。思い掛けない言葉を聞いた所為で、思わず顔を上げてしまった。振りかえった先で、工藤は情けなく肩を落としていた。獲物に逃げられたライオンのような顔だった。
「……何でそうなるわけ?」
 素っ裸でベッドの上、向かい合っているというのも何とも間が抜けている。オレは自然と、タオルケットを引き寄せていた。特別恥じらいを持っているわけではないけれど、そう見せ合うものでもないだろう。
「いや、だから……」
「だから?」
「……オレが下手だから、やりやすい後背位がいいのかなって」
 そっぽを向いて工藤は言った。あまり見ない類の顔をしていた。少なくとも、オレは初めて見る工藤の顔だった。恥ずかしがっているような、そうでいてばつが悪そうで、少し不服そうな、けれどそれ以上に申し訳なさそうな。
「工藤、自分が下手だって思ってるわけ?」
「いや、それは別に……おまえだって、毎回ちゃんとイってるし……ンな、そこまで下手ってわけじゃねぇかと……。でも、逆に特別上手いとも思えねぇしさ。男相手の経験だってねぇし、こういうのって上手い下手以上に相性だってあるだろうし……いや、だから」
 探偵らしからぬ、切りの悪い物言いだった。いつだって自信に満ちた様子ばかりの、工藤にしてはこれまた珍しい台詞だった。もちろん、推理と恋人とのセックスはまるで違うものだろうが。同じように構えることも、自信を持つこともできないとはわかっているけれど。
「……おまえに、その、女役押し付けててさ。悪いとはオレだって思ってて……だから、それ以外でオレができることがあったら、何でも言ってほしいって……その、嫌なことだって、同じようにさ」
「え?」
 何てことだ。
 別にオレは、女役を押し付けられたとは思っていないというのに。
 そんな誤解があったのかと、今更ながらに驚いた。これは少し問題なのかもしれない。具体的に何がどう問題なのかはわからないけれど、こうした誤解が積み重なって、関係が壊れていくことは往々にしてあるものだと思う。オレは間違っても、工藤とそんな結末を迎えたくはないのだ。
 迎えたくないのであれば、とれる選択肢は一つしかないわけで。
「……あー」
 けれど、面と向かって言うのはあまりに恥ずかしい。工藤に抱かれることは嫌じゃなくて、むしろ好きで、ぞくぞくして、でも恥ずかしい以上に嫌われるのが怖くて顔が見せられませんなんて。そんなことを。そんなことを、面と向かって言うだなんて。何の罰ゲームだろう。
「……黒羽?」
 工藤がオレの顔を覗き込んでくる。自然と、その手がオレの頬に触れる。至近距離で見つめてくる視線の熱さが、何とも心臓に悪い。悪すぎる。これを無意識でやっているから性質が悪いのだ。それを本人が気づいていない辺りがなおさらに。
「……あー、もう」
 向けられる視線に耐えられない。かと言って、また枕に逃げるわけにはいかない。
 だからオレは、枕の代わりに工藤の胸に顔を埋めた。こうすることもまた恥ずかしがったが、恋人同士なのだから許されるはずだ。それにこうしていれば、とりあえず工藤の顔は見えない。それだけで十分だ。
「黒羽……?」
 戸惑ったような声が上から降ってくる。それでも、当たり前のようにその手がオレの頭を撫でる。条件反射にでもなっているのだろうか。そうして撫でられることが、触れられることが、オレまで当たり前のように思えてくるから止めてほしい。贅沢な人間になってしまいそうで。
「いいか、一度しか言わねぇから、よく聞けよ」
 オレも男なら、いつまでも逃げ回っているわけにはいかないのだろう。
 覚悟を決めろと、自身に言い聞かせた。オレの告白を、工藤はどんな顔をして聞くのだろうか。やっぱり、その顔を見る勇気は、今のオレには無いのだけれど。