追い求めるモノ達
付き合いだしてもう数カ月になるというのに、恋人が一向に手を出してこない。
それは由々しき問題だった。今日も学校帰りに真っ直ぐに恋人の家に向かい、明日は休みだからどうせこのまま泊まってしまおうと画策しながら、うーんと快斗は考え込んだ。
正真正銘愛し合っている恋人同士が、いつまでも清い関係のままでいていいのだろうか。いや、良くない。
けれど実のところ、どうして恋人がいつまで経っても手を出してこないのか、快斗はその理由を知っていた。
恋人は二十七歳の働き盛り。そうして快斗はと言うと、十七歳の青春真っ盛り。ついでに言えば、恋人の工藤新一は男で、快斗もまた男だ。二十七歳が十七歳に手を出すのと、男同士でセックスをするということと。世間的には、一体どちらの方が問題なのだろうか。まあそんなことはさておいて。
恋人は変に真面目なところのある男だったから―――快斗からしてみれば、ただ単に融通がきかないだけに思えるのだが―――まだ高校生である快斗に手を出すことを渋っているのだろう。となれば、無事に大人の関係に至れるのは、高校を卒業してからか。あと一年以上も待っていられるわけがない。
「しゃあねーなぁ」
これだけ年の差があるのだから、こういう時こそ大人らしく格好をつけて誘ってもらいたいのだが。
待っていても仕方ないと諦め、快斗は自ら恋人の寝室に向かうことにした。シャワーを浴びているらしく、浴室からは水音が聞こえる。これはタイミングがいいと頷きながら、主のいない間に寝室へと忍び込んだ。どんなスタイルで待つのがいいのだろうと、ベッドの上で思案したが、もちろん快斗にわかるはずもない。
「色気の一つでも振りまければなぁ」
女であれば、下着姿にでもなっているところなのだが。例え快斗がパンツ一枚になっていようが、いっそのこと全裸でいようが、そうして振りまける色気なんて一ミクロンもあるわけがない。
女性を羨ましいと思ったのは初めてのことかもしれない。あの胸についた脂肪が快斗にもあれば、もしやとっくのとうに手だって出されていたのではなかろうか。恋人が巨乳好きであることを、もちろん快斗は知っている。本人は隠しているつもりなのがおかしい。
試しに着ているTシャツをめくってみたが、もちろんのこと胸部は今日もまっ平らだった。突然膨らみ上がっても困るのだが。無駄な脂肪なんてどこにも無い。それなりに鍛えてはいるが、それ以上に元々の痩せ体質が大きいのだろう。どれだけ食べても太らないのはいいことだ。さすがは成長期。
足音が聞こえて、快斗はシャツを元に戻した。ドキドキというよりは、むしろわくわくしながら恋人の訪れを待った。
「……何してんだおまえ」
見慣れたパジャマを羽織り、片手でわしわしと頭を拭きながら、工藤が部屋へと戻ってきた。
「帰らなくていいのかよ」
普段であれば、工藤がシャワーを浴びたり何なりしている時に、勝手に帰るのが常であった。快斗はいつだって突然工藤の元を訪ねるが、工藤がそれに嫌な顔をするようなことはない。嫌な顔はしないが、喜ぶような顔もまた見せない。そうして歓迎するような真似もしないが、だからこそ快斗も自分の好きな時に訪ねてくるのだし、また自分の好きな時に帰るのだ。
好き勝手さが許される関係が、また心地良かった。時には歓迎してほしいと思わないわけでもなかったが、自由な空気は何よりも心地良い。
「だって明日土曜だし」
「……あぁ、高校は休みか。オレは午後から仕事だぞ」
「うんうん」
つまり午前中は休みだと聞いて、快斗は笑顔を浮かべた。それは何とも好都合。
「泊まるなら泊まるでいいけどな。お袋さんには言ってあんのかよ」
「昨日から旅行で出かけてる」
「またかよ。オメーのお袋さん、本当旅行好きだよな……。つか、なら客室行けっておまえ。何でオレのベッドに入ってんだよ、おい」
やっとそこに突っ込んでくれたか。
このまま何事も無かったかのように、隣で寝られたらどうしようかと快斗は不安に思っていたのだ。さすがにそこまでの鈍感野郎ではなかったということか。
「おい、快斗」
「オレさー、今日ここで寝ようと思って」
「……はあ?」
「夜這われにきました」
日本語が少しおかしかったかもしれない。
この場合は、何と言うのが正しい日本語なのだろう。ぽかんと口を開けた工藤には、もしかしたら快斗の言いたいことが伝わっていないのだろうか。
「えーっと、夜這いな、夜這い。それの受動態な。夜這われるって使い方はおかしいけど、でも夜這いするっつーとオレがおまえを……もがっ」
伸びた手の平が、乱暴に快斗の口を塞いだ。
ベッドに乗り上がった工藤が、無表情に快斗を見つめていた。ふがふが、と快斗は呻いた。
「……説明しなくていい。言葉の意味はわかってる。わかりたくねぇけどわかってる」
「ふがふが」
「わかってるけどな、どうしてそうなるんだ。突然すぎんだろ、おまえ。夜這われに来たって……んな言葉聞いたことねぇぞ。何考えてんだよおまえ」
「ふがー。ふがふがふが」
「ふがふがじゃ何言ってるかわかんねぇよ」
それは工藤が快斗の口を塞いでいるからであって。
両手を動かし、快斗は邪魔な手の平をべりっと剥がした。思いの外、あっけなく工藤の手は離れて行った。
毛先からは、ぽたぽたと水滴が落ちている。肩が冷えそうだなと思いながらも、まっすぐに快斗はその顔を見上げた。髪が濡れているだけで、ずいぶんと印象が変わる男だ。
「だってオメー、全然オレに手ぇ出してこねーじゃん」
「……手ぇ出してこねーって」
「まあおまえとオレじゃ? 十も年が離れてるわけだから? おまえ変に生真面目なところがあるし? なかなか手も出しづれぇんだろうなーってところはわかってるからさ。だからオレの方からひと肌脱ごうと……や、この場合脱ぐのは服だな」
「快斗」
何ならこの流れで脱いでやろうかと思えば、真面目な声音で名前を呼ばれた。説教をされる時の声にも似ていて、夜の寝室で聞きたい声ではないなと心底から思った。
「……アホなこと言ってないで、さっさと帰るか客室行って寝るかしろ」
予想した答えではあった。あったがしかし、あまりに予想通りすぎる言葉に快斗は盛大に眉を寄せた。
「何だよ。可愛い恋人がここまでお膳立てしてやってんだぜ?」
「だれもお膳立てしてほしいなんて言ってねぇだろ。余計なお世話なんだよ」
「余計なお世話って何だよ。据え膳食わぬは男の恥って言葉知らねぇの? オメー不能かよ。立派なのは見た目だけかよ」
「殴るぞ」
「暴力はいやーん」
身をよじって逃げようとすれば、大きなため息が返ってきた。恋人がこれ以上無い程の誘いをかけているというのに、その態度は無いだろう。いくら何でも快斗だって傷つく。
「……そんなにオレのこと抱きたくねぇの?」
巨乳好きな恋人のことだから、本当に自分相手では勃たないのかもしれない。いや、試したことがないから、そんなことは工藤自身にもわからないのかもしれないが。
そもそもその気にならないのだろうか。キスは何度もしているが、逆に言えばキスしかしていない。何とも清い関係だ。今どき中学生だって、これ程に清い関係は無いだろう。
「……んなことはだれも言ってねぇだろ」
「でも、何もしてこねーじゃん。あんまりにも何もされねーと、オレだってさすがに色々と考えるんですけど」
「ガキは勉強することだけ考えてろ。色気づくのは大人になってからでいいんだよ」
「工藤」
ことあるごとに、工藤は年齢を持ちだす。それは卑怯ではないのかと快斗は思う。
だってそればかりは、どうやったって乗り越えることはできないのだ。日々を過ごせば身長は伸びる。誕生日だって迎える。けれど快斗が工藤の年齢に追いつくことはない。いつまで経っても、工藤からすれば快斗は子供のままなのだ。十という年齢差は、決して小さなものではない。
「なあ」
抱きたくないのなら仕方ない。無理強いなんてできない。そもそも、無理やり抱いてもらうというのはどうなのだ。そんなことをされたいわけではない。
ただ、工藤が何かしらの我慢をしているのなら。快斗のためを思って、少しでも耐えてくれているものがあるのなら。そんなもの無用だと言いたいのだ。
大事にされることは嬉しいが、決して人形のように扱われたいわけではない。多少なら、乱暴な扱いをされたって構わない。工藤が相手であるのなら。
「……ガキがわかったような口叩いてんじゃねぇよ」
「だから、何でそうやっていつもガキ扱いばっかり……っ」
「ガキはガキだろ。さっさと寝ろ」
「工藤!」
帰れと言わないのは、時刻を気にした結果だろうか。もう辺りは高校生がうろついていい時間ではない。
けれど、そうした恋人の気遣いもまた腹立たしい。日頃あまり構ってはくれないくせに、こういう時ばかり、まるで保護者のような顔をすることが。
「さっさとこの部屋から出てけ」
無表情に言って、工藤は快斗の腕を引っ張った。大人の男の力だ。引きずられるようにして、快斗はベッドから追い出された。足がもつれ、カーペットの上に座りこんでしまった快斗を見下ろし、恋人はこの日一番焦った声を上げた。してやったり、と快斗は内心でにんまりとした笑顔を浮かべた。
「お、おっ、おまえ! 何つー格好してんだよ……っ!」
「工藤が少しでもそそられるように吟味した結果?」
「そそられるかっ!」
「えー」
まあ確かに、インパクトは足りなかったかもしれないが。
やはり、ズボンを脱いだだけではいけなかったか。自身の生足を見つめて快斗はそう反省する。
寝巻代わりにとこの家に置いていたTシャツは一回りほど大きいもので、軽く下着を隠してくれる。いわゆる『萌え』というやつを狙えるのではないかとも思ったのだが、どうやら甘かったらしい。
「あ、彼シャツの方が良かった?」
「快斗っ!」
気づいてそういえば、またまた怒鳴られた。どうすれば工藤が喜んでくれるのか、そればかりを考えているというのに。
「……オメーは本当、何をやってんだよ」
工藤はベッドに腰を下ろす。どんな難事件の後でも、これ程疲れた顔は見ないだろうと快斗は思った。おかしい、予定では今頃盛った工藤にまんまと襲われているはずだったのだが。
「……色気がねぇからかなぁ」
けれどそんなもの、一体どうしろと言うのか。
弱音なんて吐きたくはないが、こうまで行き詰ることも滅多にない。今までの人生が、あまりに順風満帆過ぎたのだろうか。工藤の恋人になれたことも含めて。
「……快斗?」
「……オレに胸がねぇから、だから手ぇ出してくんねーの?」
そうだと言われたら、一体どうするつもりだったのだろう。
わからなかったが、気づいた時には口からそんな言葉が漏れてしまっていた。見上げた先で、工藤は驚いた顔をしていた。
「オレじゃ嫌? オレの身体じゃ、やっぱその気にならねぇ? だとしたらさ、オレにはどうもできねぇけど……あ、変装とかは得意だぜ。去年の文化祭で女装喫茶やった時だって、本当の女子だって間違われたぐらいで」
「快斗」
名前を呼ばれて顔を上げる。いつの間にか、俯いてしまっていた。
工藤の両腕が伸び、まるで小さい子供のように抱き上げられる。そのまま、再びベッドの上へと上げられた。先ほど、快斗をベッドから引きずり出した人物とは思えない程、その手つきは優しかった。
「あのな、オメーに不満があるとか、オメー相手じゃその気にならねぇとか……そういうことじゃねーよ」
「工藤、オレ相手でちゃんと勃つ?」
「……あのな、直球に尋ねてくるんじゃねーって」
そう言われても、そこが一番重要なことなのだから仕方ない。返事によっては、今後の付き合い方が左右しかねない。
それは工藤にもわかっていたのだろう。大きなため息をもらし、自身の膝で頬杖をつきながら、呆れたように言葉を吐いた。
「……ちゃんとその気になるから安心しろ」
「ほんとに? ほんとのほんとに? 社交辞令とかじゃなく?」
「どんな社交辞令だよ、ったく」
苛立ったように言い、工藤の腕が伸びた。簡単にさらった快斗の頭を、その胸にすっぽりと抱え込んでしまう。大人の男の人なんだなぁと、実感する度に快斗はどうしようもない気持ちになる。郷愁にも似た気持ちを覚えるのは、過去を思い出してしまうからなのだろう。
「オレだって男だぞ。好きな奴が傍にいりゃ、色々と考えるのは当たり前だろうが。だけどな、オレはそれ以前に大人なんだよ。で、オメーはガキなんだよ。わかんだろ、そんぐらい。オレの立場も少しは考えやがれ」
「オレ、工藤が相手なら何されたっていいぜ」
この場に流されたわけではない。本気で快斗はそう思っている。だというのに、片手で軽く頭を小突かれた。
「……って」
「そういうことを平気で言える辺りが、オメーはガキなんだよ」
「んだよ」
人を好きになることに、大人も子供もない。好きになった相手だからこそ言っているのだ。工藤にだからこそ。そんな快斗の気持ちが、わからないわけでもないだろうに。
「一時の、その場限りの付き合いなら何でもできるんだよ。でもおまえはそうじゃねぇだろ。……そうじゃねぇって、オレは思ってるんだよ」
小突かれた部分を、今度は優しく工藤の手の平が撫でた。わかりやすくも、珍しい工藤の優しさだった。
将来のことなんて、考えたこともない。せいぜいはぼんやりと、どこの大学に行くかなぁと考えるぐらいで、その先のことなんて快斗には何もわからない。
高校を卒業しても大学に入ってもその後も、工藤が傍にいてくれたらいいなとは思う。思うが、確約なんてものはどこにもない。工藤はいつ何時、日本を出てしまうかもわからない。不安だからこそ、それを言葉に出すことは無かった。出してしまえば、とたんに現実になってしまうような気もしていた。
それが幼さなのかもしれない。
そう言われてしまえば、多分快斗は否定できない。
「……ずっとオレといてくれんの」
「オメーが嫌だって言わない限りな」
「オレが言うわけねぇじゃん。工藤忘れたの? オレが先に工藤のこと好きになって、どうしようもなく好きでたまらなくて、傍にいたいって駄々こねたんじゃん。そうしたら工藤が」
仕方ねぇなと笑ってくれた。おまえが傍にいたら楽しいかもなと言ってくれた。その頃の工藤は、いつだって煙草の匂いがした。快斗が堂々と工藤の家に上がれる権利を得た頃、いつしかその匂いはしなくなった。そういうことだった。
「おまえは本当若かったよな」
懐かしむように工藤は言う。頭を撫でる手は止まらない。
「今も若いんですけど」
「大人になるとなぁ。好きなものを好きって、なかなか簡単に認められねぇようになるんだよ。少なくともオレはそうだな」
「何で」
「さあ? 自分がそれまでに築き上げてきた価値観を、崩したくねぇって思うのかもな」
その考えは、快斗にはどうもわからない。自身の価値観が一体どんなものなのか、それすら定かではない。十代を終える頃には、定まっているものなのだろうか。
「あと、臆病になるな」
「臆病?」
「大人になればなるほど、怖いもんが増えてく」
「大人のくせに? つーか、工藤に怖いもんなんてあるのかよ」
そんな顔は見たことがない。工藤が怯えている顔なんて。どんな事件だろうと、どんな凶悪犯が相手であろうと、いつだって怯まず向かって行く背中しか快斗は知らない。そんな背中が好きだった。だからどれだけ寂しかろうが、工藤が仕事だと言えば大人しく見送る。デートの約束を破られても、あの背中があるのなら仕方ないと思える。
呆れたような、それでいてどこか楽しそうな、小さな笑い声が降ってきた。
「大人なんて、怖いもんだらけだよ。だから保身に走る。ガキの頃みたいに、無鉄砲なことなんてできなくなるんだよ、いつの間にかな。そんだけ守るもんが増えるって考えりゃあ、まあ悪いことでもねぇんだろうけど……でも、割と人生は退屈になるな。振り返って考えてみるとだけど」
「工藤、退屈なのかよ」
「おまえが現れる前はな」
「え」
とんでもない口説き文句を。
今、聞かされた気がした。
恐らくそれは、気の所為ではなかったのだろう。工藤の手が、ことさら優しく快斗の頭を、そうして頬を撫でた。慈しむような指先だった。
「オレの人生を、とんでもなく変えてくれたんだよ、おまえは。良いようにも悪いようにもな。ガキの相手なんてするつもりはこれっぽっちもなかったのに、今じゃどんだけオレがオメーに振り回されてんのかわかってんのか?」
「……オレ、別に、振り回してるつもりなんか」
「これからも、おまえがいてくれるだけで楽しい人生になるんだろうなって思う。だから失敗したくねぇとも思う。保身に走るんだよ、やっぱりな。でも、それ以外にできねぇんだよ。……後悔なんてしたくねぇし、おまえを泣かしたくもねぇから。だからやっぱり、今はおまえを抱けねぇよ、快斗。ガキに手ぇ出す気にはなれねぇ」
「工藤」
「その代わり、ガキじゃなくなったら、嫌ってほど手ぇ出してやるから覚悟しとけよ」
笑みを含んでいるような声だった。冗談めかした響きを持たそうとしていたのかもしれない。
瞬きをすることも忘れて、快斗は暗い部屋の中、正面の壁だけを見つめた。頭の中で、何度もその言葉を再生した。再生する度に、身体に染みわたっていくような気がした。指先までもが熱くなった。
どうしようもなく、ただ、心が震える。
「……工藤」
発した言葉までもが震えていた。好きという気持ちが溢れすぎて、到底この身体には収まらないのだ。
大人になれば、もっと気持ちを制御することもできるのだろうか。わからない。先のことなんて何もわからない。快斗にわかるのは、ただ今この時だけだ。無我夢中でしがみつけば、工藤の手の平がぽんぽんと背中を叩いてくれる。あやされる。子供扱いだ。でも心地良い、嬉しい。
「……オレのこと好き?」
想いを言葉にしてほしい。態度に表わしてほしい。そう願ってやまないところが子供なのかもしれないし、あるいは女々しいのかもしれない。
「オレがこんだけ我慢してて、それでも欲しいなんて思った相手は、オメーだけだぞ」
「そっか」
快斗と付き合う前は、どれだけの女性と夜を共にしていたのだろう。そんなことが、つい気になって仕方ない。尋ねたところで、自身が落ち込む結果になるとわかっているから口には出さない。工藤だって、過去の付き合いを匂わすようなことは絶対に言わない。そんなところだけ無駄に気遣いの行き届く男だった。腹立たしい程に。
「わかったのかよ」
「うん、わかったからさ……わかったから、一緒に寝ていい?」
「……あのな」
「そういう意味じゃなくて。普通に、一緒に寝るだけ」
一度くっついてしまったからだろうか。このままお休みと挨拶をして、一人で客室に向かうことが嫌だった。
同じ家にいるといっても、この家はいささか広すぎる。まるでホテルに泊まっているかのようなのだ。客室に入ってしまえば、工藤の物音など何も聞こえない。待っているのは冷たいシーツだ。
「一緒に寝るだけって、おまえ……」
「何かさ、工藤と一緒にいるとさ、本当落ち着くんだよな。死んだ親父のこと思い出すなぁって……あ、別に工藤をおっさん臭いって言ってるわけじゃねぇけど」
「……うるせぇよ」
声が一段と低くなった。これは問答無用で追い出されるかもしれないと、快斗が覚悟するのと工藤が立ち上がったのは同時だった。
「工藤」
「ちゃんと下履いとけ。パンツ丸出しの奴とは一緒に寝ねぇぞ」
言い捨てて、工藤は部屋から出て行った。歯を磨くのか、あるいは寝酒でも取りに行ったのか。
どちらにしろ、今夜はこのままここで眠っていいらしい。ベッドの中に隠しておいたズボンを引っ張り出し、いそいそと快斗は両足を突っ込んだ。予定とはだいぶ違うが、部屋を追い出されることを考えれば、まずまずの結果と言えるだろう。
それに、思い掛けない言葉も聞くことができた。
「オレ、愛されてるんだなぁ」
工藤はどうにも言葉が足らなくていけない。もっと日頃から愛を囁いてくれれば、快斗がこうも不安になることもないのだが。けれど、普段聞くことがないからこそ、こうしてたまに告げられる言葉が愛しくもある。思い出して快斗はにやける。
「早く手ぇ出してくんねーかなー」
言葉だけでも、これ程心は満たされるのだ。
この上身体まで一つになることができたら、どれだけの幸福感を感じることができるのだろう。
想像するだけで、胸の中はいっぱいになった。幸せが溢れすぎて、このままでは死んでしまうのではないだろうかと、本気で快斗はそう考えた。幸福感に包まれたまま、勢いよく枕に顔を埋めた。工藤の匂いがして、やっぱりそこにも幸せが待ち構えていた。
幸福過多で死にそうだと、思いながらに笑みがこぼれた。
部屋の中には、しばらくの間、だらしのない快斗の笑い声が響いていた。
「……父親を思い出すって」
冷たい水を一気に喉に流し込んでも、気分はあまり変わらない。
「恋人に言うことか、それが?」
どうにもあの幼い恋人には、ファザコンの気があるようだ。幼少の頃に父親を亡くしたとあれば、それも仕方のないことなのかもしれない。けれど今までにも、幾度となく違和感を感じていた。恋人の温もりではなく、父親のそれを求められているような。あるいは混合しているのか。
「……ねぇだろ、マジで」
快斗本人は、気づいていないに違いない。それでいい。亡き父親に対するコンプレックスなど、気づかない方が幸せだ。今さらどうすることもできなのだから。工藤にだって、埋めることはできない。年上で、同じ男であると言っても、工藤は快斗の父親ではない。当然だ。
工藤の中に、快斗は父親の姿を求めている。あるいは、父親の姿を無意識に求める思いが、工藤に行きついたのか。
もちろんそれだけではないとわかっている。父親を恋しく思う気持ちだけなら、肉体関係を望むこともないだろう。むしろ、今現在の状況に満足すべきだ。だから快斗の思いが、丸きりファザコンのそれであるとは思わない。思わないからこそ厄介だと言うべきか。
恋しく思う相手に、父親のように思われるほど虚しいことは無い。快斗を養子にしたいわけではないのだ。結婚はできずとも、精神的には生涯の伴侶にしたいと工藤は願っている。大学受験の意識も薄い相手に、そこまでの思いは重荷にしかならないだろうと、言葉にすることは控えていたが。
「……オレは父親じゃねぇんだって」
その認識を改めさせない内には、到底手など出せるはずがない。万が一にも、致している最中に、親父などと呼ばれたらそのまま死ねる自身がある。そうした場合も腹上死と呼ばれるのだろうかと、考えて工藤はため息をもらした。今夜はいささかもれるため息が多すぎる。
今頃寝室で、快斗はどんな顔をしているのだろうか。戻ればきっと、「おかえりー!」と出迎えてくれるに違いない。それは悪くない想像だった。快斗がいる日常は、いつだって工藤にとっては優しい時間だ。そこには殺人事件を招くような陰湿な匂いも、歪んだ嫉妬も怨恨も何もない。その日学校であった出来事を、面白おかしく快斗は話してくれる。工藤の意識がそれると、突然のマジックで驚かされる。ただ楽しくて、心安らぐ時間だけがそこには待っている。
甘えているのだ。心の平安を、自分はあの、まだ高校生の恋人に求めているのだろう。無意識に、そんな工藤を癒してくれる恋人だからこそ。
「……しゃあねぇよなぁ」
快斗は工藤に亡き父親の姿を求め。
工藤は快斗に心の平安を求める。
お互いに足りない者同士だ。だからこそ、男同士であるというのに惹かれ合ったとも言える。自分に足りないものを、補ってくれる相手だと、無意識の内にわかってしまったのだろう。それ故に、簡単に手放すことなどできない。身体を満たしてくれる相手には事欠かなくとも、心を満たしてくれる相手などそうはいない。少なくとも、工藤の今までの人生にはいなかった。
「戻るか」
手を出したくとも出せない。そんな相手と、一晩ベッドを共にする。
それがどれだけ辛いことなのか、子供にはまだわからないのだろう。責めるつもりはなかった。翌朝、目を覚まして真っ先にその寝顔を見れるのだと思えば、そう悪くないことのようにも思えた。これもまた、惚れた弱味と言うのだろうか。
どうしようもない、と工藤は苦笑した。
生殺しな時間が待っているとわかっても、それでも寝室にあの小生意気な恋人がいるのだと思えば、足取りは自然と軽いものになっていた。
...12.09.10
年の差快新を書いてたら、新快でも楽しそうだなぁと思ってつい。
手を出したくても出せない関係とかがすごく好きです。あとファザコンな快斗はテンプレな気もしますが好きすぎて。つい。