優しさと罪滅ぼし
 ここしばらくは、久々に少し厄介な事件に巻き込まれていた。
 山奥の村での連続殺人事件。それだけであれば慣れたもの―――と言うのは我ながら少し問題であるような気もしたが―――ではあったが、閉鎖的な農村は得てして余所者には口を割らないものだ。工藤が村人から依頼を受けたわけではなく、全くの別件でその山に向かったところ、帰り際に偶然巻き込まれてしまったという状況もまた悪かった。
 招かれざる客に、なぜ自分たちが協力しなければならないのかと、村のことは村人で解決すると、そんな視線と空気をありありと身体中で感じながらも、最終的には無事事件は解決した。その工藤の努力の甲斐あってか、村を去る時には何人かの村人が見送りをしてくれた上に、礼にと言って土産まで持たせてくれた。
 人に感謝されたくてこの仕事をしているわけではないが、やはりありがとうと言ってもらえれば素直に嬉しい。例え土産にと持たされた地酒が重たく、これを東都の自宅まで持ち帰ることに少々気が滅入ったりもしていたのだが、それを表情に出す程工藤は子供ではなかった。多少その笑顔が力の無いものだったとしても、恐らくは疲れの所為だと思われただろう。
 最寄りの駅までは、警察のパトカーに送ってもらった。こんなことなら車で来るのだったと後悔しても遅い。重たい地酒を抱えて乗り継ぎをし、ようやく新幹線の出る駅まで戻ってきた。
 東都行きの発車までには少し時間がある。普段であれば、土産物屋でも覗いて時間を潰すところだったが、この地酒を抱えて無駄に動き回る気力は最早工藤には無かった。待合室の椅子に腰かけ、携帯の存在をようやく思い出し電源を入れた。村ではまともに電波が入ることも無かったため、無駄に電池を減らすよりかはと切ってしまっていたのだ。
 すぐさまセンターからメールが届いた。仕事で出かけると言っていたため、警察や事務所からの連絡は無かった。警察はともかく、事務所から連絡が何も入っていないのは、気遣いではなくただの諦めだろうとわかっている。一度工藤が仕事に出てしまえば、連絡が付くことなど滅多に無い。こうして別の事件に巻き込まれることなどしょっちゅうで、けれど工藤の不在中にも、上手くその辺りを回してくれるスタッフがいるため、工藤は所長という立場に関わらず、気軽に事務所を空けることができるのだ。まったく、今度のボーナスは少し弾んでやらなければならないだろうか。
 けれどそんな中で、同じ差し出し人からのメールが何通かあった。
「……快斗」
 メールの文面はどれも短い。高校生男子のメールなんてそんなものだろう。始めの数通は似たような内容で、『今仕事?』『いつ終わる?』『もしかしてどっか出かけてる?』と、工藤の仕事状況を問うものだった。日付を見れば数日前になっている。
「やべぇ」
 直前に会っていた警部には出かけることを伝えていたし、もちろん事務所のスタッフにだってそうだ。けれど肝心の、恋人にそれを伝えることを忘れていた。
 最後に送られてきたメールは二日前のものだ。文面は少しばかり長かった。
『仕事忙しそうだな。何回もメールしてごめん。もうメールしないから、仕事が終わって暇になったら連絡してほしい。待ってる』
 とんでもない言動で、日々工藤を振り回してくれる相手とは思えない程、それは殊勝な文面だった。らしくないととっさに思い、けれどそういう気遣いのできる奴だったとすぐさま思い直した。快斗がただの自分勝手な子供であったら、いくら押されたところで絶対に付き合いなどしなかった。元々工藤は子供好きなわけでも何でもない。
 慌てて電話をしようと思い、けれど時間を見てため息をついた。平日の昼間。ということは、快斗は学校に行っている。
 タイミングの悪さは、何も今に始まったことではない。学生と社会人。自由になる時間帯がどちらも違いすぎるのだ。その上工藤の探偵という職業は、時間に縛られる仕事ではない。自身でも、日々の労働時間がどれ程のものになっているのかわからない。休日でも、事件に巻き込まれることなんてざらにある。
 デートの約束を反故してしまったことなんて、もう数えきれない程にある。その度に快斗は「またかよー」と呆れたため息をついてくれたが、最後には決まって「ま、仕事なら仕方ねぇけどさ」と笑ってくれた。物わかりのいい奴だと思っていたが、今更ながらに、そんな快斗に少しばかり甘え過ぎていたような気がして工藤は反省した。まったく、高校生相手に何をしているのだか。
 まだ少しばかり時間はある。気合いを入れて、工藤は地酒を抱え直した。土産物屋を覗き、適当に美味しそうな菓子を二つ程選んでからホームへと急いだ。新幹線へと乗り込めば、後は東都に着くのを待つだけだ。重たい地酒を足元に置き、工藤は深く息を漏らした。
 途中で何度か目を覚ましたものの、新幹線の中ではほぼずっと眠っていた。おかげで、東都に着いた時には少し身体の疲れは取れていた。時刻は夕方だ。タクシーに乗り込めば、「ご旅行でしたか」と運転手に声をかけられる。あえて否定することもないので、「えぇ、まあ」と頷きながら、江古田までと告げた。
『今から行く』
 もう学校も終わっている頃だろう。快斗は部活もバイトもしていない。運が良ければ会えるだろうと思ったが、タクシーがどれだけ進もうと、返信は返ってこない。授業が長引いているのか、それか友人と遊びにでも出かけているのか。
 まあ、会えなければ会えないで仕方ない。土産だけでも置いて帰ろう。恐らく快斗の母親は家にいるはずだ。
 母親がいる中、タクシーで家まで乗り付けるというのも、少し気まずいような気はしたが、さすがに土産はともかくこの地酒を抱えて駅から歩く気にはなれない。
 仕事帰りなのだ、黒羽夫人もそれぐらいは許してくれるだろう。嫌われているわけではなく、むしろその真逆とも言える程の好意を向けられているとは思うのだが、やはりどうにも恋人の母親と顔を合わせるのは気まずい。何せこれだけの年の差に比べ同性だ。まったく、よく文句の一つも言われないものだと工藤は感心する。その点はさすがは快斗の母親とでも言うべきか。
 夕方の道路は多少混んではいたものの、さほど時間もかからず江古田の黒羽家の前に到着した。支払いを終えて車を降りる。泊まりための荷物は小さなものだったが、土産に地酒にと、最終的にはかなりの大荷物となってしまった。こんなはずではなかったのだが。
 荷物を抱えて、さてチャイムを押すかと顔を上げた。多少身構えてしまうのは、やはり快斗の母親がいると思う所為だろうか。今までにも何人かの女性と付き合ったことはあるが、親と顔を合わすような段階には終ぞ発展しなかった。ここまでの深い付き合いをしたのは、快斗が初めてだ。例え身体の関係こそ無かろうが。
 携帯はいまだ震えない。メールにすら気づいていないのかもしれない。つくづくタイミングが悪いとため息をついた。その時だった。
「わー、工藤っ!? 工藤工藤工藤っ!」
「うわっ」
 いきなり後ろからタックルをされた。いや、抱きつかれた。
 振り返らずとも、もちろん相手なんてわかっている。重たい荷物を抱えたまま、工藤は数歩たたらを踏んだ。
「……っぶねーな! 転んだらどうしてくれんだよ!」
「わー、工藤だ工藤だ本物の工藤だー! うわーおかえりおかえり! おかえり工藤!」
 とりあえず、地酒を足元に置いてから振り返った。振り返ろうとしたが、ぴょんぴょんと跳ねた癖毛しか見せない。快斗はぎゅうぎゅうと工藤の背中にしがみついていた。
「おい、ちょっと離れろって快斗。もういいだろ」
「おかえりおかえりー!」
「わーったっつの。それはいいから、おい、快斗……」
「工藤おかえり! 工藤おかえり!」
「……ただいま」
 ため息をつくように答えれば、けれどその答えに快斗はどうやら満足したらしい。素直に身体を離すと、笑顔で工藤の顔を見上げ、そうしてもう一度「おかえり」と言った。ここまで走って帰ってきたのか、その額には汗が浮かんでいた。
「さっきメールしたんだけどな」
「おう、見た! ちょうど学校出たとこでさー、すげぇびっくりした。んで、急いで帰ってきた」
「あのなぁ、だったら……」
 返信ぐらいしろと言いかけて、言葉を飲み込む。それは自分が言えたものではないと思ったからだった。
「でもさ、工藤どっか遠くに行ってたんだろ? もっと帰ってくんの遅いかと思ってたからさ。マジで今びっくりした」
「こっち戻ってきてから連絡したんだよ。あっち出たのはもっと早かったけどな。……つーか、オレの帰りがもっと遅いと思ってたんなら、走って帰ってくることなかっただろ」
「いてもたってもいられなかったから」
 だから走りました、と真顔で快斗は言う。どこかふざけているような態度にも見えたが、どれだけ快斗が急いで帰ってきたのかは、その汗を見ればわかる。ハンカチを取り出すのも面倒で、工藤が袖口でその汗を拭ってやれば、快斗は口元を緩めて笑った。猫が喉を鳴らす時の顔に似ていると思った。
「ほらよ」
「え、なに」
「土産」
 片手に持ったままだった袋を差し出せば、快斗はきょとんっと目を丸くさせた。「えー」と声を上げながら袋を受け取る。中を覗き込み、そうしてまた声を上げた。
「えー、えーっ」
「何だよ」
「えー、だって土産って、えー!」
「不満か、オレからの土産が」
「ちげぇっつーの。えー、どうしよ。えー、これどっち貰っていいの? 好きな方貰っていいの?」
「両方おまえのだよ」
「ええーっ!」
 とりあえずうるさい。
 そう言ってやろうかとも思ったが、快斗の頬は紅潮している。落ちつきのない様子で、袋と工藤の顔を交互に見つめている。
 土産と言っても、ただの菓子だ。と言っても、コンビニのアイス一つで大喜びする奴だから、きっと喜ぶだろうとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。いや、喜んでくれるに越したことはないのだが。
「両方って、えーっ! いいの、いいの? 両方もらっていいの? 両方食べちゃっていいの、えーっ?」
「だからいいって……おまえに買ってきたんだしよ」
「うわーうわーうわーっ!」
 快斗はひしっと袋を抱きしめた。中に入っている菓子箱を潰さないよう、もちろん手加減はしているのだろう。
「……そんなに好きな菓子だったか?」
「うん! オレ、チョコレート大好き!」
「そ、そうか」
 選んだのは、チョコレートと、それからパイ生地の菓子だった。もちろん快斗がチョコレート好きだと知った上でそれを選んだのだが、予想以上の喜びように、工藤は戸惑いを隠せなかった。かつて女性にプレゼントを贈った際にも、ここまで喜ばれたことはなかった。
「わー、マジで美味そー。工藤ありがと! わーもうすげぇ嬉しい!」
「……いや、大したもんじゃなくて悪かったな」
 こうまで喜んでもらえるのなら、もう少ししっかり選べば良かったと後悔した。土産物の菓子なんて工藤の目にはどれも似たようなものに思えて、適当に手近なところにあった物を選んでしまった。もちろん、美味しそうだと思ったことは確かだが。
「今度はもっと、美味そうなの買ってきてやるからさ」
「何で? オレ別に、工藤が買ってきてくれるんなら何だっていいよ。甘いもんなら大抵好きだし」
「いや、何つーかな、その……」
「っていうか、土産が嬉しいっていうかさぁ。仕事で忙しいのに、工藤がオレのこと思い出してくれてたっていうことがすげぇ嬉しい」
 いまだ快斗の頬は赤かった。袋を抱きかかえたまま、少しばかりその視線は逸らされている。照れているのだろう。
「……快斗」
「あ、でも、それでお菓子もらえたらもっと嬉しいけど! 工藤がくれるもんっていつも美味いし!」
 照れ隠しのように早口に言う。その頭を、工藤はぽんぽんと叩いた。静かにしろという意味合いを含めたわけではなかったが、快斗は口をつぐんでしまった。赤いままの頬を、工藤はじっと見つめた。
 ただ土産そのものに喜んでいたわけではなかったのだ。一度事件となれば、工藤がそれに没頭してしまうことを快斗は知っている。だからこそああまで喜んだのだ。けれど実際に仕事の最中には、工藤は快斗のことなど思い出しもしなかった。たまたま、新幹線に乗る前に快斗のメールに気付いたからだった。罪滅ぼしのような気持ちで、土産に手が伸びた。それだけだった。
 そんな工藤の些細な気紛れに、こうまで笑顔を見せるのは快斗だけだ。
 罪滅ぼしのつもりが、余計に罪を背負ってしまったような気持ちになった。
「……快斗」
「なに?」
「明日、どっか行くか」
「どっかって?」
「トロピカルランドとか」
 快斗に以前ねだられていたことを思い出して、工藤はそう口にした。確かその時は、「そのうちな」と適当に答えていた気がする。
「えー?」
 今日の快斗はその台詞が多い。
「えー? えー? トロピカルランドぉーっ?」
「……何だよ」
 ただし土産をあげた時とは、今回は全くその声音が違っていた。声のトーンと言うべきか。
「えー、だってー」
「んだよ。おまえがこの間行きたいって言ってたんだろ。もう忘れたのかよ」
「言ったけどー。確かに行きたいって言ったけどー」
「じゃあ何でそんな嫌そうな声出すんだよ。喜べよこのクソガキ」
「えー、だってー。工藤が急にそんなこと言い出すからー? 工藤が優しいと何か怖い」
 裏がありそう、と快斗は言う。図星であったから、工藤は一瞬ぐっと言葉に詰まった。
 高校生に見抜かれるとは何とも情けないが、けれど確かに常の自分なら言い出さないことではあっただろう。現に以前ねだられた時には、それを却下しているのだから。
「……オレだってたまには、オメーに優しくしてやろうって気分にもなるんだよ」
「うんそれは知ってる。だから、その優しさが今日の土産だったのかなーって。なのにその上トロピカルランドってさー。そんなに続けて優しさ発揮しちゃうとかどういう風の吹きまわし? 明日が終わったら、オレ向こう数カ月は工藤に優しくされねぇかもじゃん? うっわそれこえー! 工藤の優しさこえーっ!」
 怖い怖いと言いながらも、快斗は笑っている。からかっているのだ。ため息をついて、今度は黙れという意味合いも込めて、軽くその頭を引っぱたいた。
「明日の予定変更。オレの家で書庫の整理な。ちゃんと手伝えよオメー」
「えっ、トロピカルランドは?」
「オレに優しくされると怖いんだろ? だったら安心しろ、当分優しくしてやんねぇからさ。明日はこき使ってやる」
「えー、そんなーっ! うそうそ、怖いとか嘘! 優しい工藤大好き! 工藤さん愛してるっ!」
「ばっ、こんなところで何言ってんだよオメーは……!」
 近所の人に妙な誤解をされたらどうするのだろう。事実誤解ではないのだが。
 工藤が一人で慌てていると、ガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえた。「あんたなに家の前で騒いでるのよ。工藤さんも、よければ上がって下さいな。立ち話もなんですから」と黒羽夫人に言われ、工藤はすかさず「すみません」と頭を下げた。
 その横でずっと、快斗は「明日はトロピカルランドー!」と騒いでいる。このうるさい口をどうやって閉じさせたらいいものか、工藤は真剣に思案した。すぐ傍に親がいるとなれば、無理やり塞ぐこともできない。まったくこれだからと、ただため息だけがこぼれた。

...12.09.15
年の差新快の日常で。工藤さんと千影さんの会話とかも書いてみたい。