おねだり上手
 子供は何ともねだるのが上手い。
 初めて家に行きたいとねだられたのがいつだったのか、最早オレは覚えてすらいない。初めて家にやってきた快斗が、ものすごく喜んで、そうしてはしゃいでいたことは覚えている。「すげー!」「でけー!」と、いかにもな子供らしい感想を一通り述べてから、快斗は家の探索を始めた。見られて困るようなものも特にないから、一人で遊んでいてくれるのならそれはそれで構わないと、それはそんな快斗を放っておいた。
 最初の頃は、家に来る度にそうしてはしゃいでいた快斗だったが、何度か訪ねてくる内に、当然だが一々家に驚きはしゃぐようなこともなくなった。代わりにと言うべきか何なのか、だんだんと快斗が家にやってくる頻度は増し、今では休日の度に家で快斗と顔を合わせているかのような状況だ。
 とは言っても、別に快斗の来訪回数が多いと、オレは文句をつけたいわけではない。オレの仕事は不定休で、日頃は忙しくあちこちを駆け回っている所為か、休日のオレは自分で言うのも何だが怠惰なものだ。できるだけ家から出たくはないし、できるだけ家にこもって本を読んでいたい。普段は東都を中心に、ひたすら動き回ってばかりいるのだから、休日はそのぐらいのんびり過ごした方がバランスが取れていいだろう。
 オレがそうやって家にこもってばかりいるから、快斗が家にやってくるようになった。子供らしく、どこかに連れていけと騒ぐことも時にはあるが、大抵の場合オレが疲れてソファに横になっていれば、快斗は快斗で大人しく過ごしている。今日もまた、そんないつもと変わらない休日を過ごしていた。
「なあ、くどー」
「……あぁ?」
 肘掛を足置き代わりにして、オレはだらりとソファに寝そべっていた。三人掛けのソファは、それでもオレが寝ころぶには少々手狭だ。
 ただでさえ手狭だというのに、そのオレの上に、まるで馬乗りになるようにして快斗がのっかっている。正直重い。重い以外の何物でもない。けれど一応相手は可愛い恋人であるから、オレはその一言を何とか口にしないよう耐えていた。おかげで開いている本の中身が、あまり頭に入ってこない。
「なあってば」
「だから何だよ」
「キスしてー」
 馬乗りからうつ伏せに体勢が変わった。負荷のかかる場所が、一点から広範囲になったところで、かかる重さは変わらない。変わらず重い。
 こいつは自分のことを、体重四十キロそこそこの女子高生だとでも思っているのだろうか。いや、四十キロちょいだったとしても、圧し掛かられたらやはり重い。疲れた身体にはとりあえず堪える。
「はいはい」
 わずかに頭を上げて、すぐそこにあった快斗の唇にキスをした。そうして圧し掛かられたのでは、満足に本も読めやしないではないか。
「ほら、キスしてやったから退け。邪魔なんだよ」
「……工藤」
「何だよ」
 リクエストに応えてやったというのに、恋人の声は暗い。
「もっとちゃんとしたのしてくれよ」
「ちゃんとしたって何だよ。オレのキスはちゃんとしてねぇっつーのか」
「もっと! 大人にするようなやつ! 激しすぎて腰砕けになっちゃうようなやつ!」
「……」
 そんなキスされたこともないだろうに。
 腰砕けになるようなキスがどんなものなのか、こいつはわかっているのだろうか。どうせドラマや映画から得た知識程度しかないくせに、まったく。
「ガキにンなキスするわけねぇだろ。いいから退け。重てぇんだよこのやろ」
「年齢差別反対!」
「差別じゃねぇ区別だ。十八歳未満への性的行為は法律で禁じられてんだよ。オレの法律の元に清く正しく生きてんだからとりあえず退け。オレの胃袋が潰れる」
「工藤のアホー!」
 人の上でぎゃいぎゃいと騒ぎたてるその身体を、オレは乱暴にラグの上に落としてやった。相手が体重四十キロそこそこの女子高生だったら到底やらないであろう行為だが、生憎と快斗はそんな繊細な作りはしていない。むしろ適度に乱暴なぐらいでちょうどいい。
 しばらくの間快斗はうるさく騒いでいたが、オレは無視をして本を開いた。快斗は時として耳を塞ぎたくなる程の騒がしさを発揮してくれるが、それが長続きすることはあまりない。長続きしようものなら、オレは多分さっさと快斗を家から追い出していることだろう。薄情なわけじゃない。オレの耳の鼓膜にはただ限界があるだけだ。
 オレが数ページ程読み進める間に、だんだんと静かになった快斗は、またソファに寝そべるオレににじり寄ってきた。そうしてワイシャツの上から腹をまさぐられる。愛撫というには、そのおぼつかない指先の動きはどうにもくすぐったい。くすぐったいが、相手にするのも面倒で、オレは本を読み続けた。まさか襲われることもないだろう。
 と、油断をしていたのが悪かったのか。
「……ってぇ!」
 思い切り腹を抓られた。
 いや違う。噛まれた。
「このっ、快斗! テメー……!」
「へっへー。オレの情熱的なキッスー」
「どこがだよっ! 犬みてぇに噛みついただけじゃねーかっ!」
 慌てて起き上がり、腹部を確認した。シャツの上からがぶりとされたようで、血は出ていなかった。さすがにいくら何でもその辺りの手加減はしていたのだろうが、何せ唐突すぎて驚いた。これが犯人とやり合っている時なら話はまた別なのだけれど。
「工藤がまともなキスの一つもしてくれねぇから悪いんだろ」
 噛んだ本人は、自身の正当性を主張するかのような顔で言う。それが人の腹を噛んだ奴の態度か。いや、そもそもがどうして恋人の腹を噛むのだ。
 自分で言うのも何だが、オレはあまり心が広い方ではない。ついでに言えば気が長い方でもない。事務所にこもっているよりかは、実際に現場に足を運ぶ方が遥かに向いている。身体を動かすことが性に合っているのだろう。
 だからというわけではないけれど、ほぼ無意識に腕が伸びていた。けらけらと笑う快斗の腕を引っ張って、その口を無理やりに塞ぐ。快斗が言うところの「腰砕けになるようなキス」というのがどういうものなのかはわからないが、とりあえず快斗が力なくオレにもたれ掛かってくるようになるまで、さほど時間はかからなかった。息継ぎのタイミングもろくにわからないお子様が。
「……これで満足かよ。あぁ?」
 唇を離すと、どちらともわからない唾液がつうっと垂れた。快斗の唇もまた濡れている。大きく口を開けて、これでもかと息を吸いこんでいる。頬が紅潮しているのは、酸欠のためだろう。垂れた唾液を、ぐいっと指先で拭ってやった。快斗の頭は、そのままオレの胸に倒れ込んできた。結局重たい。
「……やっべー」
「ガキが生意気なこと言ってんじゃねぇよ。わかったら馬鹿な真似は……」
「工藤にキスされんの、すんげぇ気持ちいー」
 赤い頬のまま、見上げて快斗はそんなことを言う。必然的に上目遣いになるのがまたいけない。まだガキの、高校生相手にそそられるだなんて。オレはそこまで欲求不満なわけじゃない。……と、思いたい。二十七にもなる男がまさかそんな。
「息継ぎもできねぇくせに、何言ってんだよ」
「そりゃ、ちょっと苦しかったけどさ。でも何か……工藤に乱暴にされると、すごい背中がぞくぞくする」
「……オメーな」
 大丈夫なのか、こいつは。
 いや、悪いのは他でもないオレ自身か。高校生に、そんな台詞を言わせてしまうというのはどうなのだろう。少し反省すべきなのかもしれない。もう少し清く正しい生活を心掛けるべきだ。青少年のためにも。
「もうしねーぞ」
「わーってるよ」
 聞き分けがいい。わずかに驚いていると、「まあ、工藤を犯罪者にはしたくねぇからな」としたり顔で快斗は笑う。そう思っているのなら、人を煽るような真似をするのも止めてくれないものだろうか。ため息をつくしかない。
 いまだ赤い頬のまま、快斗はソファに乗り上がってくる。というよりも、オレの膝の上に。だから少し、こいつは自分の体重を自覚してくれないものだろうか。快斗は十分に痩せているけれど、高校生男子の体重は十分に重たいのだ。でも、その身体を抱え直してしまうオレにも、やはり問題はあるのだろう。どうしようもない。
「キスだけでさー、こんだけ気持ち良くなれるんだからさ」
「……あぁ?」
「身体も一つになれたらさ、もっと気持ちいい……っつーか、幸せなんだろうなぁ」
 どこか夢を見るような、ぼんやりとした声音で快斗は言う。
 セックスというのは文字通り生殖行為であって、ドラマや映画ではロマンたっぷりに描かれるそれも、実際はひどく生々しいものだ。まだそれを、子供のこいつは知らないのだろう。経験が無いのだから当然だ。その無知さが愛おしい。大事にしたいとただ思う。実際にどうすればいいのか、いまいちオレはわからなかったりもするのだけれど。
 大切な相手を大事にするということは、本当にどうしようもなく難しい。この年になってそれに気付く。
「……そのうち、な」
「そのうちっていつだよー」
 快斗は不満げな声を上げるが、その顔は笑っている。濡れたままの唇が、どうしようもないぐらいには扇情的に見えて、オレは視界からその唇を塞ぐために、手元にあったクッションを力いっぱいに押し付けた。

...12.09.18
工藤さんの上に馬乗りになってる快斗が可愛いなぁと。工藤さんの理性は割と儚い。