泣き顔よりも愛おしい
 その日は事務所で泊まり込みの仕事をしていて、スタッフの一人にすごい勢いで起こされた。
 すわ殺人事件かと身構えたが、スタッフが差しだしてきたのは見覚えのある週刊誌だった。オレは首を傾げる。
「いいから見て下さい、これを!」
 苛立ったようにスタッフがページをめくる。ならば最初から開いて渡してくれればいいものを。けれど、その開かれたページを見てオレは目を見開いた。よく知っている顔がそこには載っていた。よく知っているというか、一応毎日鏡で見ている顔が。
 毎日鏡で見ている自分の顔と、それから見覚えのある女性が一緒に写されていた。確か先日の依頼人だ。場所にも見覚えがある。繁華街の薄暗い路地裏。何も好き好んでそんな場所に赴いたわけではなく、そこが事件現場だったのだ。けれどそんなことは、記事には一言も書かれてはいない。その時は事件に夢中で気づいていなかったが、場所が場所な上、オレは少しばかりややこしいポーズを取っていたようだった。いやそれも、全ては事件解明のためなのだが。
 けれどそんなこと、しつこいようだが記事には一言も書かれていない。なぜなのかと憤ることは簡単だが、そうやって人々の好奇心を煽ることが、この手の週刊誌の役目なのだろう。
「それだけじゃありませんよ」
 スタッフは言ってテレビを付ける。ちょうど朝のニュース番組が流れている時間帯だった。チャンネルを回せば、これまた見覚えのある顔が映される。鏡で確認する前に、こうしてテレビで自分の顔を見るというのはどうなのだろう。芸能人ならば当たり前のことなのかもしれないが。
『迷宮なしの名探偵とは言われていますけどねぇ。さすが、謎を解くのと同様、女性の心を解くのも得意といったところなんでしょうかね』
 うるさい。ほっとけ。
「どうするんです、所長」
「……とりあえず、シャワー浴びる」
 昨日は夜遅くまで―――と言うよりも、ほぼ明け方まで資料を漁っていた。軽く汗を流し、替えのシャツに身を包んでから、オレは呆れ顔のスタッフを残し事務所を出た。よりによって、どうして今は夏季休暇中なのだろう。もちろんオレではなく世間が。いや、世間というよりも、この場合は学生か。
 車を走らせて江古田に向かう。案の定快斗は家にいた。そうして黒羽夫人はパートに出かけていて留守だった。いいのか悪いのか。
「よう、元気か?」
「……おかげさまで」
「朝から悪いな。ちょっと仕事で近くまで来たもんだから、どうしてるかなと思って……」
「女性の心を解いたり、恋人の顔を見にきたり、いやぁ売れっ子の探偵は忙しいなー?」
「……おう」
 快斗がニュースを見ていない可能性に賭けたかったのだけれど、そんなことは甘かったようだ。
 仏頂面を隠そうともしない快斗の後に続いて、家に上がる。リビングに入れば、今まさに、朝のワイドショーではオレの姿が映されていた。せっかくの夏休みなのだ、もう少しこいつは惰眠を貪ったらどうなのだろう。少なくともオレだったら昼近くまで寝ている。休日は怠惰に過ごすのが信条だからだ。
「あのな快斗。あの記事は誤解だ。オメーがまさか鵜呑みにしてんじゃねぇかと思って、オレはそれをだな……」
「浮気がばれた彼氏や旦那って、とりあえず『誤解だ』って言うよな。クラスの女子が、彼氏の浮気癖が治らないって、そんなことしょっちゅう愚痴っててさぁ」
「今どきの高校生ってそんななのかよ……。いや、オレは違うぞ。誤解を誤解だって言って何が悪いんだ。彼女は先日のオレの依頼人で、ほら、先週忙しくてしてただろ?」
「依頼人と何でこんな所にいんだよ。すぐ傍にラブホでもあるような雰囲気じゃん。やー、オレはそんなところ行ったことねぇからわかんねーけど? 子供だからわかんねぇけど?」
「そこが事件現場だったからだよ! 彼女の恋人が殺されて、その直前に会っていたのが彼女だから警察に疑われてたんだよ。結局は物取りの犯行で、だから大してニュースに取り上げられもしなかったけどよ……」
「なるほどなるほど、恋人を亡くして傷心している美人な依頼人を、事件を解決するついでに慰めて、ついでにたらしこんでやったと」
「だれがたらしこんでるかっ!」
「え? 工藤が」
 タイミングよく、テレビには週刊誌に掲載された写真がアップで映される。
 確かに慰めている―――と言うよりは、たらしこんでいるように見える写真かもしれなかった。それは認めよう。一見すれば、オレが依頼人を壁際に追い詰め、口説いているようにすら見える。むしろそうとしか見えなかった。自分のことながら頭が痛い。
「美人の上さぁ。胸でけーよな、この依頼人」
「……あのな快斗」
「やー、別にいいぜ? オメーが巨乳好きなことは知ってるし? オレだって、学校で可愛い女の子とすれ違ったらついつい見ちゃうし? クラスの子に、部活で作ったお菓子なんて貰ったらそりゃあ嬉しいし? 男ならだれだってそんなもんだよな。単純単純。傍に可愛い子とか美人がいれば、ついでにおっぱいでかかったりしたら、ふらーってなっちゃうオメーの気持ちもよーくわかるよ」
「いや、快斗。オレはな、別にそんなつもりじゃなくて……」
「でもさぁ、そういうのってオレにばれないようにやってくれない? オメーが浮気したなんて思ってねぇけどさ。でも、一瞬でも他の女にふらついたなんて、オレは知りたくねぇしさあ。そういうのって付き合う上で大事なことだと思うし。オレにはさ、胸もねぇし、そういう意味で工藤のこと満足させてあげられねーしさ」
 快斗はオレの方を見ようとはしない。ソファに座りこんで、視線はただテレビに向けられている。オレの姿は消え去り、もうニュースは次の話題に映っていたが、快斗は視線を逸らそうとはしなかった。瞬きすらしない。
「……快斗」
「つーかさ、オレ、そういう意味じゃ全然工藤のこと満足させてあげられてないし? 何かそれ考えたら、オメーがこうやって他の相手に走るのも仕方のねぇことなのかなーとか、ちょっと思ったりもするんだけどさ」
「走るわけねぇだろ。そんなことするぐらいだったら、そもそもオメーとなんて付き合わねぇよ」
「あー、まあそうだろうけどさ」
 軽く頷きながらも、全くそうは思っていないような声音であった。
 その正面に回り込んで、オレは快斗の顔を覗き込んだ。瞳が揺れている。思わず頬に手を伸ばしたが、緩く首を振られた。
「オレの気持ち疑ってんのか」
「そういうわけじゃねぇけど。でも何か、こういうことがあると、やっぱ考えるっていうかさ。十も年が違うのってやっぱでかいなーって。オレはいつになったら、ちゃんとした工藤の恋人になれるんだろうなって……その前に、工藤がオレに飽きちゃうんじゃないかなって……」
 快斗の瞳がさらに揺れた。まずいと、思った瞬間にくしゃりとその顔が歪んだ。
「……何でそういうこと、オレに考えさせるんだよー! そんなこと考えたくねぇのによー!」
「か、快斗」
「オメー大人だろ、名探偵だろ! だったら恋人を不安にさせるようなことするなっつーんだよ! しないでくれよお願いだからわーん!」
「悪かった、悪かったから! 泣くなって、おい、快斗」
 女性の涙にはそれなりに慣れていても、こいつの涙には慣れていない。なぜなら泣き顔を見たことがあまり無いからだ。
「わーんわーん! 工藤は巨乳美人が好きなんだろー、オレじゃ物足りないんだろー!」
「だから、そんなことねぇっつってんだろ! オレはオメーが好きだって」
「好きなのに何も手ぇ出してもこねえじゃねーかよー! やっぱり巨乳美人じゃないとその気にならねぇんだろうわーん!」
「ンなわけねえっつの! いい加減そこから離れろって、おい……!」
 わーんわーんと声を上げて快斗は泣いている。両手に顔を埋めているから、どんな顔をしているのかはオレにはわからない。ついでに言えば、どう慰めていいのかもわからない。
 子供を泣き止ませるのは苦手だ。苦手というよりも、何せ経験が無い。泣き顔を見るのは初めてではないといえども、以前のこいつはもっと静かに泣いていた。こんな風に、声を荒げて泣くようなことはなかった。それ程悲しませてしまったのだろうか。こんなに声を荒げるなんて、まるで本当に小さな子供のようで―――
 いやちょっと待て。
「……快斗」
「わーんわーん!」
「おまえ、ホントは泣いてねぇだろ」
「あ、ばれた」
 ひょっこりと快斗が顔を上げた。
 その右手にはしっかり、目薬が握られていた。一体いつの間になんて、こいつに言うだけ無駄である。
「……おまえな」
「やー、だって工藤のこと責められる機会なんて滅多にないからさぁ。ここはぜひとも何かしてやらねばと思いまして」
「怒るぞ」
「怒っちゃいやーん」
 身体をくねくねとさせて言う快斗の姿を見ていたら、怒りもどこかに行ってしまった。泣かせてしまったのでなければいいなんて、そう考えられるほどまだオレは人間ができてはいない。とりあえず身体から力が抜けた。力は抜けたがどっと疲れた。女性が時として泣き真似をする生き物だということは知っているが、こいつの場合はそれとも違う。
「くどー、怒った?」
 今度は逆に、快斗がオレの顔を覗き込んできた。少しばかり心配そうな顔で。そんなところは素直に可愛いと思うのに。
「……少しも気にしてねぇのかよ」
 一体どこまでが、こいつの本心だったのだろう。子供らしく正直なようでいて、その実そうではない。マジシャンたるものポーカーフェイスが大事なのだと言って憚らないこいつは、恋人と一緒にいる時でさえその得意のポーカーフェイスを用いるのだから性質が悪い。
「んー? だって一緒に写ってたの、依頼人なんだろ?」
「そうだけどよ。だけど、あんな誤解を招きそうな写真を見て……」
「あー、あれってどうせ、依頼人と亡くなった恋人の、最後の場面かなんかを再現してたんだろ? 被害者と最後に会ってたのは、その依頼人だったって当初は言われてたんだからさ。で、そこを写真に撮られて、いいように書かれたってところだろ?」
「……おう」
 高校生だからと馬鹿にしているわけではないが、時たまこいつの頭の回転の良さには驚かされる。ただのガキではないのだと思い知らされるようで、けれどその次の瞬間、テレビに映った魚の映像に悲鳴を上げていたりするのだからよくわからない。
「別に今更、そのぐらいで工藤のこと疑ったりしねぇよ」
 これはつまり、信頼されているということなのだろうか。
 恋人なのだから当然だと、素直に思えない程度には、オレは十分に捻くれているのかもしれない。そんな真っ直ぐさは、とっくのとうにどこかに置き忘れてしまった。
「……オレのこと、信じてくれてるのか」
「信じてるっつーか、まぁ……だって工藤、他に好きな相手ができたりしたら、絶対オレのこと振るだろ。どっちも都合よくつまみ食いしようだなんて、そんなこと考えねぇだろ。まあ、忙しいからそもそもそんなこと無理そうだけどな」
 オレの人間性を信頼されているのかそうでないのかは、今一つよくわからない返答だった。けれどオレの性格的にも、また現在の仕事状況的にも、確かに二股なんてできるわけがない。今現在、こうしてここにいるというのも褒められたことではない。今頃は事務所に残ったスタッフが、残った仕事の対応に追われている頃だろう。
「……茶でも入れるか」
 急いで事務所に戻るべきだとわかっていたが、そうする気にもなれなかった。かと言って、この場の空気は微妙に居心地が悪いもので、オレはその空気を変えるためにも立ち上がった。オレの家に入り浸っている快斗程ではないが、オレもそれなりにはこの家に足を踏み入れている。飲み物を入れるぐらいのことはできるだろう。
「オメーも飲むだろ。紅茶とコーヒーどっちが……」
 いいか、と。
 尋ねる前に、オレの背中に何かがぶつかってきた。
「快斗」
 ぶつかってきたそれに向かって、オレは声をかけた。向かってと言っても、オレは前を向いたままだったが。振り返っても、どうせこいつの癖毛しか見えない。
「おい、快斗。邪魔だ。動けねぇだろ」
「……工藤」
「んだよ。言いたいことがあんのなら、茶ぁ飲みながら聞いてやるっつーの。そんなのんびりとはできねぇけど……」
「……ほんとはちょっと怖かった」
 こいつはどうにもポーカーフェイスが上手い。そうでなくても、感情を隠すのが上手い奴だと思う。
 子供らしいようでいてそうではない。『子供らしさ』というのがどういうものなのか、快斗といると時たまオレはわからなくなる。頭の回転が速い奴なのだろう。その速さには時たま驚かされる程で。だからこそ一緒にいて心地良い。子供相手だというのに、空間を共にすることが苦痛ではない。オレにとっては。
「工藤が浮気なんてするわけねぇって、ちゃんとわかってるけど。オメーは浮気なんてする奴じゃねぇから、だから好きな相手が他にできたら、オレは振られるんだろうなって」
「快斗」
「……さっき、家に来た工藤の顔見た時。オレ、振られるのかなって、ちょっと思った」
 そうじゃなくて良かった、と。
 消え入りそうな声だった。
 我慢なんてできなかった。背中にしがみついたままのその身体を、振り払うようにしてから思い切り掴んだ。腕を引いた。快斗の身体は簡単にオレの腕の中におさまった。唇を塞ぐ。目を閉じることも忘れて、むしろその目を見開いて、こちらを見返すその顔がおかしかった。思い切り口内を犯した。
「―――っ」
 逃げ惑う舌先が愛おしかった。生意気なことばかり言っていても、経験なんて何もない。その先を、全てオレが教え込むことになるのだろうと、考えるだけで指先が痺れるような感覚を覚えた。快斗の拳が、オレの胸を軽く叩いた。
「……わり」
 相変わらず、息を吸うタイミングがわからないのだろう。唇を離せば、真っ赤な顔をして、快斗は息を吸い込んだ。色気の欠片もないそんな仕草が、どうしようもなく可愛く見えた。濡れた唇を、指の背でそっと拭ってやった。
「……今度は」
「あ?」
「呼吸、整えてからに、して」
 荒く息をしながら快斗は言う。深呼吸をしてからキスをするつもりだろうが。それはどうなんだと思ったが、ここで否と言うこともないだろう。
「はいはい、わーったよ」
 頭を撫でながらそう言えば、満足したように快斗は笑って頷いた。
 泣き顔よりもよっぽどいい。例えそれが、嘘泣きだったとしても。自分自身に呆れながらも、オレはただそう思った。
...12.09.20
週刊誌に取り上げられる工藤さんが好きすぎて。あと快斗の嘘泣きが好きです。