キスとアルコール
 仕事が終わり地元駅前まで戻ってきた時には、時計の針は夜の十一時を過ぎようとしていた。探偵である工藤に定時という言葉は存在しない。ついでに言えば、決められた休日等も存在しない。立派なワーカーホリックだと我ながら思うが、探偵になることは幼い頃からの夢であったので、工藤は比較的今の生活に満足している。満足しているが、やはり帰宅がこの時間になると身体は疲れる。
 コンビニで適当な飯とビールを買って帰ろうと考えていた時、視界の隅に見慣れた癖毛頭が映った。世の中に癖毛の持ち主など腐る程いるが、その癖毛は工藤にとっては実に馴染み深いものだった。
「こら、快斗。こんな時間に高校生がなにうろついてんだよ」
「……うわ、工藤?」
 背後から頭をごつんと叩けば、驚いたように快斗が振り返った。
「びっくりしたぁ。工藤何してんの」
「仕事帰りだよ。オメーこそ何してんだよ。高校生がうろついていい時間じゃねぇだろうが」
「高校生の頃から、夜中だろうが明け方だろうが殺人現場をうろついてた工藤さんには言われたくありませーん」
「事件現場には警官がいるだろ。一番安全なんだよ」
「殺人現場ってところからして、既に安全じゃねぇだろそれ」
 確かにその言葉も一理ある、と納得しかかってしまったがそうではない。
「何してたんだよ、こんな時間まで」
「クラスの奴とカラオケー」
「夜遅くまでやることか」
「別にいいじゃん、明日休みなんだし」
 そう言いながらも、制服姿でこの時間うろつくことがまずいとはわかっているのだろう。学校帰りに直行したわけではなく、一度家に帰ってきちんと私服に着替えている。
「お袋さん、早く帰って来いとか言わないのかよ」
 工藤自身の親は放任主義だったが、何度か顔を合わせたことのある黒羽夫人は、世話焼きな母親といった様子だった。黒羽家から帰る際、手作りの料理を持たされたこともある程だ。
「うちのお袋は、今週末は旅行でいませーん」
 ケケケっと快斗は笑う。母親がいないからこそ、少し羽目を外して遊んでいたというところか。
「おまえなぁ」
 一応快斗とて男なのだ。多少帰りが遅くなったところで、そこまで心配することではないのかもしれない。工藤自身、高校生の頃からあちこちの事件現場をうろついていた身であるから、あまり偉そうなことを言えたものでもない。
「ちゃーんと真っ直ぐ家に帰るからさ。心配すんなって。じゃ、工藤またなー、おつかれー」
 ひらひらと手を振って、快斗は駅に向かって歩き出そうとする。快斗の地元は江古田で、この米花からは数駅程離れている。
 夜風が、快斗の癖毛を揺らした。機嫌良く去って行こうとする、恋人の腕を工藤はすかさず掴んだ。
「おわっ」
「何してた?」
「はっ?」
「だから、今日何してたかって聞いてんだよ」
「カラオケだってさっきも言っただろ。何だよ、浮気でも疑ってんのかよ? 今日はずっとクラスの奴らとだなぁ……」
「酒飲んだなおまえ」
 顔を覗き込みながら言う。快斗は変わらぬ表情のまま、見つめ返してくるだけだった。頬が紅潮しているわけでもなければ、その足取りが取り立て危なっかしいわけでもない。
「酒ぇ? オレの様子が、酔っ払いみたく見えんのかよ。オメーの目、節穴なんじゃねぇの?」
「酔っ払いには見えなくてもな、酒の匂いはしっかり残ってんだよ。探偵の嗅覚甘く見んじゃねーぞ」
「ありゃりゃ」
 ばれちゃったか、とあっさり快斗は言う。
 隠し通せる自信があったのか、さらりと白状しながらも、その様子は実に残念そうなものだった。少しは悪びれたらどうなのかと工藤は呆れる。
「オメーのポーカーフェイスは立派なもんだけどな、見た目だけ取り繕っても無駄なんだよ。つーか、高校生がカラオケで酒飲んでんじゃねーよ。アホか」
「まあまあ、ほら、若気の至りってことで」
「若気の至りじゃねぇ! 少しは反省しろ」
「いてっ」
 それなりの力で頭を叩いてやれば、快斗はすかさず両手で後頭部を押さえこんだ。そのまま唇を尖らせて見上げてくる様子は、全く反省しているようには見えなかった。簡単に反省するようであれば、そもそも未成年飲酒なんてふざけた真似はしていないことだろうが。
「……何だよー、工藤は二十歳になるまで酒も煙草もやってなかったっつーのかよ。興味があるのは殺人事件だけだって?」
「だからって、外で飲む奴があるかっつーんだよ。家で飲むぐらいならいいけどな、こんな時間にガキが酒の匂いさせて歩いてたら、補導してくれって言ってるようなもんだろーが」
「えー、オレ、そんな酒の匂いしてる?」
 くんくんと快斗は自分の腕の匂いを嗅ぎ始める。どれだけ嗅いでもわからないのだろう、眉を寄せて工藤を見上げる。
「酒の匂いなんて、自分よりも周りの方が感じるものなんだよ。ずっとカラオケにいたんなら、鼻だって麻痺してんだろ」
「そういうもん? でもさオレ、補導なんてされねーよ」
「その自信はどっから来るんだ、どっから」
「逃げ足には自信がありますものでー」
 確かに快斗の足は速い。運動神経がいいのだろう。頭の回転も早ければ、当然学校での成績もいい。だというのに、こんな馬鹿なことをするのだから呆れて仕方ない。二十歳になるまで一滴も飲むななんて、そこまで頭の固いことは言わないが、もう少し飲み方を考えたらどうなのだ。
「……ったく、帰るぞ」
 声をかけて歩き出せば、数歩遅れて快斗は着いてきた。
「くどー? 帰るぞって、オレの家こっちじゃないんですけどー?」
「酔っ払いのガキを一人で帰らせられるか。このまま家泊まってけ。お袋さんもいねぇんだろ」
「おお」
 相槌ではなく、それは感嘆の声だった。
「すげぇ。酒飲んで駅前歩いてると、工藤の家に泊まれるんだ」
 これはいいことを知ったと、嬉しげに呟くその頭を、再度工藤は引っぱたいてやった。


 ポーカーフェイスでもって、見た目からは全く酔っているようには見えない快斗だったが、歩く内にだんだんと酔いが回ってきたらしい。
 工藤家に着くまでの道のりで、快斗はわずかな段差で三回程転びかけ、一度は道を間違えた。最終的には見かねた工藤がその腕を掴み、まるで連行するようにして家に連れ帰った。表情こそ素面同然なので、その様子には違和感を感じて仕方なかった。恐らくポーカーフェイスは癖になっているのだろう。
「それでよく、一人で家まで帰るつもりだったな? あぁ?」
「いやいや、一人だともっとしっかりできるの。工藤が傍にいると油断しちゃうの」
「言ってろ」
 では、工藤が傍にいなければ、転びかけるようなことも無かったというのだろうか。到底信じられない。その思いがそのまま顔に出てしまったのか、靴を脱ぎながらも、快斗は不満げに眉を寄せた。
「オレの言葉信じてねぇな、その顔」
「酔っ払いの言うことなんて信じられるか」
「わーん、恋人の言うことも信じてくれねぇなんてひでーよわーん!」
「泣き真似は止めろ」
 うるせぇと頭を叩けば、大して力を込めたわけでもないというのに、快斗はよろけて壁に頭をぶつけそうになった。工藤は慌ててその頭に手を伸ばす。すんでのところで、快斗は壁に頭をぶつけずに済んだ。何て危なっかしい。
「……ううーん、ちょっと世界が回ってるなぁ。まあ今日も地球は回ってるんだから当然だけど。あっちょっとこれ哲学っぽい」
「どんだけ飲んだんだオメーは」
「えー? そんな飲んでねぇよ。何か甘いやつを二杯ぐらいー?」
「もう外で飲むんじゃねぇよ」
「はーい」
 その返事を一体どこまで信じていいものなのかはわからない。とりあえず明日、酔いが覚めてから、もう一度説教をする必要がありそうだと工藤は思う。
「大人しくしてろ。水入れてやっから」
「おお、工藤が優しい。快斗感激」
「水頭からぶっかけたら酔いも覚めるかもな」
「ごめんなさい」
 大人しくソファに座りこんだ快斗を横目で見ながら、工藤がキッチンに向かう。空に近い冷蔵庫を見て、そういえば快斗に気を取られ、うっかりコンビニに寄るのを忘れてしまったことを思い出した。
「……あー」
 到底今からコンビニに戻る気にはなれない。そもそも、夕飯を作るのが手間であるからこそ、コンビニで手早く済まそうとしたのであって。
 諦めながら、ミネラルウォーターをグラスに注いで部屋に戻る。相変わらず表情こそ酔っているようには見えない。けれど水を一気に飲み干すと、快斗は勢い良くソファに倒れ込んで行った。酔いが回り、恐らくは眠気に襲われているのだろう。
「シャワーは明日浴びろ。今浴びるのは危ねぇ」
「えー。でもずっとカラオケにいたから匂いついてるー。キレイにしたいー」
「そんで今度は滑って転ぶ気か? 大人しくしてろ。女子じゃねぇんだから匂いなんか気にすんな」
「だって臭いとー。工藤一緒に寝てくんねぇだろー?」
「……元々一緒に寝る気なんてねぇよ」
 思わず真顔で呟き返してしまえば、あながち冗談でもなかったのか、快斗は「ひどい!」と声を上げた。「前は一緒に寝てくれたのに」とも台詞は続いたが、そんな機会がそうそうあっては困る。こちらの理性は生憎とそこまでの強度を誇っているわけではないのだ。
「えーんえーん。ひどいよー工藤が傍にいてくれないと、寂しくてオレ寝れないよーえーんえーん」
「オメーな、酔ってるからかだんだん泣き真似下手になってんぞ」
 それとも敢えて下手な泣き真似をしているのか。わからない。ラグに直接腰を下ろしながら、寝ころんだままの快斗に視線をやった。眠ってしまう前に、早く客室に追いやるべきだろう。
「ほら、快斗。オメーはさっさと寝ろ……」
 寝ころんだまま、快斗が身動ぎする。
 工藤もまた、しゃがんでいるからだろう。襟元の内側が覗いた。反射的に手を動かしていた。
「おい」
「工藤、着替えさせてくれんの? やさしー」
「ちげぇよ。おまえこれどうした」
「これ?」
 快斗がわずかに身を起こす。とは言っても、襟の内側―――首筋なんて、鏡でもなければ本人に見えるものではない。
「何かなってる?」
「……赤くなってんな。虫さされに見えねぇこともねぇけど」
「あー、そうだ。さっきカラオケで」
 カラオケで虫に刺されたと言うのも少しおかしい。その可能性が全く無いわけでもないだろうが、公園で遊んでいたわけではないのだ。
「友達にぶちゅっとやられちゃいましたー」
 肘掛にもたれかかりながら、快斗は明るい声音で言う。わずかばかり、工藤は口元を引きつらせたが、酔っている快斗は珍しくも工藤のそんな変化には気付いていないようだった。
「……今どきの高校生は、カラオケで友達にキスマークつけるのが流行りなのか?」
「いやいや、まさかそんなふしだらな。友達が来週、初めて彼女の家に泊まりに行くとかでさー。予行演習、みたいな?」
「何だそりゃ」
「まあ、酔っ払いのやることですからー」
 けらけらと快斗は笑う。酔いがだいぶ回ってきているようだ。駅前で顔を合わせた時、ずいぶんあっさり別れるものだと思ったが、その時にはこれを見られてはまずいと思っていたのではないだろうか。全ては工藤の予想に過ぎないが。
「……酔ってたとしても限度ってもんがあるだろ。ふざけた真似ばっかしてんじゃねぇよ」
「えー、ふざけたのはオレじゃなくて友達なのに」
「どうせオメーは嫌がりもしなかったんだろ。囃し立てるようなことでもしてたんじゃねぇのかよ。あぁ?」
「工藤はちょっとオレのことを誤解してるって。これはだなぁ、酔った友達が泣き叫ぶオレを無理やり押し伏せて力づくで……」
「快斗」
 静かに名前を呼べば、快斗はほんの少しだけ身を起こした。そうして、不思議そうに、けれどどこか楽しげにも見える眼差しで工藤の顔を覗き込んでくる。
「工藤、怒ってる? もしかして焼き餅?」
「……羽目外して遊ぶのも程々にしろってことを言ってんだよ。外では酒を飲むな。みっともねぇ首晒して歩くな」
「みっともねぇって、工藤だって今まで気づいてなかった……」
「返事」
「……へーい」
 いかにもしぶしぶと言った様子で快斗は頷いた。そのまま再び、またソファに倒れ込んで行く。声をかけるのも面倒になって、そんな快斗を放って工藤は浴室へと向かった。熱いシャワーを思い切り浴びれば、少しはさっぱりするだろうかと思ったが、そんなことは間違いだった。
 風呂上がりのビールも無ければ、そもそも夕飯すら無い。多少の食材ぐらいなら探せば見つけることはできるだろうが、間違っても料理なんてする気にはなれなかった。
 全ての元凶は、工藤がシャワーを浴びる前と変わらず、ソファの上にいた。けれど、聞こえてくるのは小さな寝息だ。今更客室の場所を知らないわけでもなかろうに、どうしてこう一々手がかかるのだろうか。
「おい、快斗」
 声をかけても無駄だろうとはわかっていた。それでもつい言葉が漏れる。
 健やかな寝顔だった。悩みなんてなに一つも無さそうな。無防備にさらけ出された首筋に、どうしたって視線が行く。寝ているとなれば、その襟元を閉めるわけにもいかない。
「……このクソガキが」
 付き合ってくれるまでは諦めないと、そう言ったのはどこのどいつだと思っているのだろう。
 そんなことを言いながらも、あっさり他の男に痕なんてつけられるとは。全くもって腹立たしい。子供はこれだから嫌なのだ。自分の言ったことをすぐに忘れる。大人にもそうした面はあるのかもしれないが。
 首筋に顔を近づけた。快斗は先ほど自身の匂いを気にしているようなことを言っていたが、臭いなどとは思わなかった。カラオケ特有の匂いよりも、甘ったるいアルコールの匂いの方が遥かに強かった。それ以上に、快斗自身の匂いがした。
 強く吸いついても、快斗は身動ぎ一つしなかった。安堵よりも、落胆の方が少しばかり大きかった。上書きの成功した首筋を親指の腹でそっと撫でて、工藤は小さく笑った。
 馬鹿なことをしていると我ながら思ったが、そればかりは仕方ない。子供に付き合うには、このぐらい馬鹿な方がいいのだ、きっと。

...12.09.21
手を出さないと言ってる割に、何だかんだでいつも微妙なことをしちゃう工藤さんが好きです。
工藤さんて割とむっつりな方かなーと思ったりもするので。そんな工藤さんが好きです。