旅に出たいと言ったオレに、母親はこう言った。
「いいんじゃない? あんたならどこでも寝れるでしょうし、変な物食べてもお腹も壊しそうにないしね」
それが仮にも一人息子にかける言葉かと、オレは少なからず憤ったが、現実はその通りだった。旅に出てからまだわずかな時間だが、オレはどこでも寝れるし何を食っても腹を壊しはしなかった。
そんなわけで―――と言うわけではないけれど―――今晩も野宿である。
「おまえ野宿ばっかしてねぇか?」
不満そうに新一は言う。野宿ばっかと言われるとあれだが、でもまあ一週間の内に、確かに宿に泊まる夜の方が少ないことは事実だ。
「だってしょうがねぇだろ。ンな毎晩毎晩宿に泊まってたら金だってかかるし、そもそも一日じゃ次の町までそう移動なんてできねぇよ」
「オレに乗ってきゃいいだろ」
「あー、うんうん」
せっかく飛行タイプの獣を使役獣にしているのだ、そう考えるのが普通のことなのかもしれないが、とりあえず新一の背中の乗り心地は良くはない、とだけ言っておこう。精一杯の言葉を選んでも良くはない。まあそもそもが、人を乗せるために翼を持っているわけではないから、仕方ないことなのかもしれないが。
「……ンなにオレに乗るのが嫌だってか」
そうしてオレの使役獣は、些細な一言ですぐに機嫌を損ねるのだ。
「いやいやいや、だからね? 結局町に行ってもそう毎日泊まるような金はねぇし! そもそも旅っつーのは、自分の足で歩いてなんぼのもんだろ、うん」
慌てて言ったオレに、新一は不機嫌な顔つきのまま、ふんと鼻から息を吐く。
何とも人間めいた姿だ。その見た目はそっくりそのまま人間そのものだけれど、もちろんこれは新一が姿を変えているだけであって、その正体は翼を持った銀竜だ。
高い知能を持つ獣程、人間そっくりの姿を取れるのだというが、それには仕草までも含まれるのだろうか。あるいは、竜というのも不機嫌な時には鼻から息を吐くものなのか。
「大体さぁ、野宿ばっかって、新一にはその方がいいんじゃねぇの?」
人間はもちろん家の中で暮らす生き物だが、獣というのは自然の中で暮らすものだ。
初めて新一を連れて宿屋に入った時、新一はその狭い部屋にひたすら文句を言っていた。曰く、「オレが元の姿に戻ったら入らねぇじゃねーか」とのことだったが、そもそも宿屋というのは竜を入れる前提では作られていないのだ。
「森ん中なら、好きに元の姿に戻ってくれて構わねぇし……いや、やっぱあれだな。ここはちょっと構うな。次の町に近ぇし、昼間も旅人にすれ違ったから、万が一のことを考えるとだな、うん」
普通竜というのは、使役獣などにはならないものだ。知能の高い獣は、人に使役されることを嫌うからだ。
普通の旅人が新一の姿を見れば、野生のモンスター、つまりは敵と見なすだろう。新一がやられてしまう心配など微塵もしないが、そうして尊い命が犠牲になる様なんて見たくはない。
「まあおまえには、どっちみち不自由を強いてるのかもわかんねぇけど……」
「……オレは何だっていいけどな、おまえはどうなんだよ」
「へ?」
「人間は家の中で、ベッドで寝るもんだろ。こんな野宿続きで、おまえの身体は平気なのかよ」
不機嫌な顔はそのままに、新一はそう言ってくれた。
オレはただひたすらに驚いていた。焚き木に枝を追加することも忘れ、まじまじと新一の顔を見つめていた。
「何だよ」
「……いや、おまえが、まさかオレのことを心配してくれてるとは」
普通に考えれば当たり前のことなのだが、オレにとっては驚きでしかなかった。何せオレは、日々この新一によって命の危険に晒されていると言っても過言ではないからだ。
「自分の主人の身ぐらい心配して当然だろ」
「オレを一応はちゃんと主人だって思ってるんだな、おまえ」
そのことにも驚きだ。
まあ、主人と思っている上で、この言動なのかと思えばそこにも色々な意味で驚きなのだが。
「オレがおまえを心配したら悪いのかよ」
オレが薪をくべないものだから、新一が焚き火に木の枝を突っ込んで行った。そうして、火の勢いが弱い部分に、新一はぽっと火の粉を吹きつける。新一がいるおかげで、オレの用意した火打石が活躍したことは一度も無い。
「……いやあ、何か、うん」
何せ日頃、ちょっとでも機嫌を損ねれば、すぐさま「燃やすぞ」と脅される所為で、まったく感謝の気持ちなど抱けないところなのだが。
けれどやはり、新一がいてくれるおかげで、オレの旅は今のところ順調だと言えるのだろう。何せ他のモンスターからの脅威は欠片程にも感じない。その分新一から脅威を感じているわけなのだが、まあそれはさて置き。
「……うん、いや、まあ、ありがとな。心配してくれるのは嬉しい。けど、オレは身体は丈夫な方だし、別にこのぐらいの野宿なら平気だから」
「丈夫って、オレが間違えて踏んだだけでも死んじまうくせに」
そう言うことを言われるから、オレは身の危険を感じずにはいられないのだが。
「それは! オレじゃなくても! 人間じゃなくても! 竜なんてでかい相手に踏まれたら、大抵の生き物は死ぬんだよっ!」
「弱っちい生き物ばっかだよな」
「ちょっとは自分の大きさを自覚しようね!? お願いだからしようね!?」
新一は返事をしなかった。鼻から息を吐くように、今度は口から火の粉を吐いた。焚き火に火をつけるぐらいでは、きっと物足りないのだろう。
「……マジこえぇ」
そうか、新一にその気が無いとしても、うっかり踏まれるという危険性があるのだった。
仮にも主人をそんな『うっかり』で踏んで欲しくなど無いのだが、オレだって近所の野良猫の尻尾を、うっかり踏んでしまったことはある。大きさ的に考えて、きっと新一にはそんなようなものなのだ。何て恐ろしい。
身体を震わせながらも、雰囲気を変えようと、オレは食事の支度にとりかかった。とは言っても、携帯食料を水で戻し、そこに多少の味付けをしたスープという簡素な食事だ。何せ野宿、贅沢は言っていられない。
「おまえも食うか?」
「いらねぇ」
「あっそ」
一応礼儀かと思って尋ねるものの、新一の返事はいつも変わらない。
何でも竜というのは、辺りに漂う『気』を吸収する生き物らしい。それが何なのかはさっぱりわからないが、とりあえず食料が一人分で済むというのは楽なものだった。使役獣を連れ歩くというのも、もちろんそれなりにお金のかかるものなのだからして。
新一はあまり口数が多い方ではない。いつ何時新一の機嫌を損ねることになるかもわからないから、オレも暇だからと言って気軽に声をかけることもできない。
例えばちょっとオレが故郷の話をしただけでも、新一は不機嫌になるのだ。オレに幼馴染がいたとか、故郷の祭りではいつも奇術を披露していただとか、そんなことを話しても不機嫌になる。
どうやら、オレがだれかと親しくしていただとか、付き合いがあっただとか、そんなことを聞くのが嫌らしい。どんな独占欲だと呆れる。
「ごっそーさん」
鍋にはまだスープは残っていたが、これは明日の朝食用だ。
とりあえず腹が満たされれば、同時に睡魔もやってくる。
やることもないのだから、野宿の夜は睡魔の訪れとともに大人しく寝るに限る。麻袋から薄っぺらい毛布を一枚取り出す。この季節はこれで済むから荷物も軽いが、冬になったらさすがに野宿はきついだろう。どうするべきか。
「おい」
先のことをあれこれ考えつつ、麻袋を枕に、そうして毛布に包まって横になろうとすれば、新一に声をかけられた。
新一の眠っている姿というのはあまり見ない。オレが熟睡しすぎているのかもわからないが、食事だって『気』でいいというのだし、そもそも大きさが違うのだ。睡眠時間もまた違うのだろう。
「何だよ?」
「こっち来い」
新一が無表情に手招きをする。毛布に包まったまま、オレはその姿を見つめた。
「……え、何で?」
と言うよりも、一体どこに。
「いいから来いっつってんだろ」
それが主人に対する言い草か。
と思ったが、情けないかな、オレにもちろん拒否権などがあるわけもなく。
「な、何だよ」
若干警戒しつつ近づいたオレを、胡坐をかいて座っていた新一が見上げた。
と、その腕が動き、そう思った時には、オレの視界はぐるりと回転していた。
「うわっ、おっ」
「どうだよ」
とりあえず混乱するオレの耳に、そんな得意げな声が飛び込んできた。そうして視界にも。にんまりと笑う新一が、オレを見下ろしていた。
そうしてオレは言うと、その新一の両腕に抱きかかえられていた。膝の上に乗せられた形で。
「……いや、おい、何してんだよっ?」
「地面の上より寝やすいだろうが」
胡坐をかいた新一の足の上に、オレは横抱きにされていた。まるで赤ん坊が寝かしつけられているかのように。
オレは当然赤ん坊サイズではないから、だいぶ身体は新一の足の上からはみ出ている。けれどそこは竜の腕力なのか、オレの身体はしっかりと支えられているものだから、確かに寝心地は良いのかも―――いや、いいわけがない。
「こうすりゃおまえの身体の心配もないしな」
うんうんと、満足そうに新一は頷いているが、オレの身体の前にオレの気持ちの心配をしてくれないだろうが。
「や、無理だろ、こんな体勢で寝ろとかないから……!」
「何でだよ。楽だろ」
「どこが!? おまえに抱えられたこの体勢のどこが!? 普通に考えてねぇから!」
「オレはおまえの身体を心配してやってんだろ。いいからつべこべ言わずにさっさと寝ろ」
「人に抱えられたまま寝ろとか無理だろ!?」
「オレは人じゃねぇ」
「そういう問題じゃねえええっ!」
オレが思い切り暴れても、もちろん新一の腕が外れるはずもない。どれだけの馬鹿力なのだ。結局、オレが疲れ果てる方が早かった。当たり前の結果だった。
「……何なんだよおまえ……」
無駄に体力を消費してしまった。
ついでに言えば、さっき食べたスープの栄養分も、何だか消費してしまったような気がする。睡魔もどこかに消えてしまった。
ぐったりと力の抜けたオレを見下ろして、常にない上機嫌で新一は笑顔を浮かべていた。日頃不機嫌な顔ばかり見ているから、とてつもない違和感を覚える。
「主人の身体を気遣うとか、よくできた使役獣だよな、オレって」
「……あぁそう」
本気で言っているのなら、オレは竜という生き物の知性を疑うところだ。
いや、新一一人の所為で、竜全体の知性を疑うのは申し訳ないとも思うけれど。
疲れて思わず目を閉じるが、そうすると新一の視線を感じる。人ではないとわかってはいるけれど、かと言って相手は犬猫ではないのだ。これ以上に寝にくい状況があるだろうか。
「……あのさぁ」
抜け出すことは諦めたが、それならばせめて人の顔をじっと見つめるのは止めて頂けないものだろうか。
そう注文をつけようとしたオレに、珍しいご機嫌顔のまま、新一は言う。
「何かいいな、こういうのって」
「……何が?」
まったくもって、オレにはいいところなど何一つも見つからないのだが。
強いて言えば、新一の体温が温かいところだろうか。けれど暖を取るのなら、焚き火と毛布で十分だ。
「おまえを抱えてるのが」
「はあ?」
「オレだけが、おまえを抱えてるっていう状況がいい」
「……はあ」
一体それはどういう意味かと、聞き返すことすら億劫だった。
何なんだ。本当に何なんだ。新一が何をしたいのか、オレにはさっぱりよくわからない。気に入りのオモチャを、一人占めしているような気持ちなのだろうか。……そうなのかもしれない。
「……いやあ、さぁ」
一応は、オレの身体を気遣ってくれていることも、本当なのだろう。
ごつごつとした地面よりかは、確かに新一に抱えられている方が心地はいい。それと寝やすさはまた別の話として。
「ほら、さっさと寝ろよ。眠いんだろ」
どこかのだれかさんのおかげで、とっくに眠気なんて覚めてしまったのだが、そんなことを言っても寝ないことには話にならない。明日も旅は続くのだ。
乱れた毛布を、新一が引っ張り上げてオレの身体を覆う。こうした気遣いは確かに嬉しい。新一にとっては、人形の世話をやいているような気持ちなのだとしても。
「何なんだかなぁ」
思わずぼやけば、眉を顰めた新一に、「いいから寝ろ」とすごまれる。だれの所為で寝れなくなったと思っているのだ。
何とか体勢を整え、なるべく毛布に顔を埋めるようにした。視線を感じて仕方ないが、やはり新一の機嫌はいいらしく、その雰囲気は不思議といつしかオレを眠りに誘ってくれた。
新一はそのまま、一晩オレを抱えたままでいたらしい。抱えたまま、少しでも睡眠を取ったのかどうかはわからなかった。
ただ、翌朝の新一は、やはり珍しい程の上機嫌顔のままだった。鼻歌すら漏らしそうな程だった。
新一の機嫌がいいと、オレもまあ嬉しい。何せオレの命の危機が無くなるのだ。これで嬉しくないはずがない。
「また野宿の時は、オレが抱えてやるからな」
けれどできることなら、それは謹んで遠慮申し上げたい。
[13.01.29]
人間が膝に子猫を乗せて可愛がってるような心境の銀竜工藤さん。