探偵と怪盗ゲーム
「新一くーん。あっそびっましょー」
玄関の扉を開くと、笑顔でそんなことを言われた。
「……小学生か」
「懐かしくていいだろ?」
「懐かしいっておまえな」
そう言うには、あまりに『小学生』だった時の記憶には、オレにとっては新しすぎる。思い出すのも嫌な記憶―――なんてものではもちろん無いが、ため息をつきつつもオレは黒羽を招き入れた。
「お邪魔しまーす」
「遅かったな来るの」
「ちょっと授業終わるの長引いて」
言いながらも、慣れた様子で黒羽は靴を脱ぎ、スリッパに両足を突っ込んだ。家に来るのも初めてではないのだから、それも当然だろう。
オレが何かを言う前に、勝手に上がりこんだ黒羽は真っ直ぐにリビングへと向かって行く。すれ違う瞬間に、残ったシャンプーの香りに気付いた。控えめなそれ。
「……おまえ、風呂入ってきてんの?」
「え? あー、午後が体育でさ。すっげぇ汗かいたから、来る前に軽く」
「ふうん」
だから余計に来るのが遅くなったのかとも思ったが、男の風呂なんてさして時間もかからない。
余所の家のシャンプーの香りは、どうしてこうも鼻につくのかわからない。決して嫌な意味ではなくて。日頃身近にない匂いだからこそ、逆に気づいてしまうのだろう。そんな、黒羽の家の匂いを振りまきながら、黒羽はリビングのソファに腰を下ろした。そうして、どこかわくわくとした顔でオレを見上げた。
「で、何する?」
「は? 何って……」
「せっかく泊まりに来たんだろー。目一杯遊ばなきゃ損じゃね? でもオメー、ほっとくといつの間にか本でも読んでそうだと思ったからさ。そこはちゃーんとオレが考えて、色んな遊び道具を持ってきたんだよなー。ジェンガだろ、ウノだろ、人生ゲームだろ」
ソファの上に、次から次へと黒羽は遊び道具を並べていく。恐らくは翌日分の着替えしか入らないであろう小さな鞄に、どうしたらウノはともかく人生ゲームまでがおさまっていたのか。いや、どう考えても収まらないどころか、まだ黒羽は家に来てから一度もその鞄を開けていない。
「……あのな黒羽」
「あ、もちろんトランプもあるぜ。まぁそれはいつも持ち歩いてるんだけどな。あれ、けどどこに仕込んだっけな……こっちだっけな」
「オレはトランプがやりてぇわけじゃねーよ。そうじゃなくてな」
「そうそう、あと一番のメインはこれー! 黒羽快斗自作の、その名もずばり怪盗と探偵ゲーム!」
ぽんっと小さな煙幕を立てて、人生ゲームに負けず劣らずでかいボードを、黒羽はテーブルの上に広げてみせた。だからその身体の一体どこに、これ程の物を仕込んでいるのだろう。考えるだけ馬鹿だとわかっているけれど。
「……何だよこれ」
「んー、まぁ人生ゲームみたいなもん? プレイヤー二人がそれぞれ探偵と怪盗に分かれて、先にゴールした方が勝ちっていう。同じマスに止まっても、ほら、色が分かれてるだろ? 探偵にとってはいいマスでも、怪盗にとっては違ったりするわけ。探偵には事件マスがあって、行く先々で殺人事件やら何やらが待ち受けてるんだぜーこれおまえの日常そのものだろ? あと怪盗の方は、嫌だけど監獄ルートなんかもあって、ここに止まるとこっちの方に飛ばされて、指定された目が出るまで監獄から出ることができないっつー」
「あのな黒羽、がんばって作ってくれたところ悪ぃんだけどな」
「そりゃもうがんばったの何のって! 昨日夜なべして作ってたんだぜーオレ! あ、置くコマはこれな。ほれほれ、こっちも上手くできてんだろー」
型でも取って流し込んだのか、本物の人生ゲームのコマよりも、ずっと立派な物がそこにはあった。片方は青スーツに蝶ネクタイで、片方はシルクハットに白スーツ。何がモデルかなんて最早聞く必要もない。そもそも探偵と怪盗ゲームなところからして。
「あと、探偵の方でさー。怪しげな黒づくめの組織に変な薬を飲まされてうんたらかんたら、ってやつも入れてやろうかと思ったんだけど、それはあまりに工藤が可哀相すぎるかなっていうオレの優しで、その辺りは」
「黒羽。はっきり言うけどな、オレは一晩中ゲームをするためにオメーを今日泊まりに誘ったわけじゃねぇんだよ」
どうしてそんなことを、本人を目の前にして言わなければならないのかわからない。
黒羽は目を見開き、手にしていた怪盗のコマを手持ち無沙汰のようにもてあそんだ。細い指の間から、怪盗が現れたり消えたりしている。
「別に、ゲームじゃなくてもいいぜ。ただ喋ったりとか、映画見たりとかでもさ。ちゃんと工藤がオレの相手をしてくれんなら」
「……この上もなく相手をする気でいるっつーの」
それはそれは、と黒羽が笑う。何だか妙に腹の立つ笑顔だった。こんにゃろ、と心の中だけで漏らしながら、オレはその唇を塞いでやった。べろりと舐め上げ、離れた時も、まだ黒羽は笑っていた。でも、その黒目はじっとオレに向けられていた。
「こういうことをするために呼んだんだよ」
セックスするために決まってんだろバーロー、とはさすがに言えないが。
恋人を初めて泊まりに誘ったのだ。それ以外の一体何だと言うのだろう。
「……あー」
キスの後に、こんな間の抜けた声を出されたのは初めてだ。と言っても、まともにキスをした相手はこの黒羽が初めてなのだけれど。
「……やっぱりー?」
「何だよその声。その顔。嫌なのかよテメー。のこのこ人の家にまで来ておいてこのやろ」
「いやいや、嫌がってるだなんてとんでもない。いつだって愛してますよ名探偵。ほらこの探偵と怪盗ゲームにだって、特定のマスにとまるとデートイベントが発生するように」
「ゲームはどうでもいいんだよ、離れろそっから!」
「ひっでぇオレがんばったのに!」
がんばりどころを、こいつは少々どころかかなり間違えている。どこの世界に、恋人に泊まりに誘われてボードゲーム作りをする奴がいるのだろう。しかも無駄に手が込んでいる。
「……緊張してんのか?」
「えー、だれがー?」
「オメーがだよ」
「何でオレが緊張しなきゃなんねぇんだよ。自慢じゃねぇけどな、オレはガキの頃から全く物怖じなんてしない子だって近所からも評判で」
「じゃ、緊張なんて全くしてねぇんだな。心の準備もばっちりで、ただ単に暇を持て余した上で、おまえはこの探偵と怪盗ゲーム作りに勤しんでたってわけなんだな? あくまでも暇だったからゲーム作りをしていたと」
「……いやそりゃ何せ初めてのことだからね? オレだって人並みぐらいにはもちろん色々思うところがあるわけでして」
ならば、なぜ最初からそう言わないのだろう。
勘のいいこいつが、もちろんオレの言いだしの意味に気付かないわけがないのだ。オレはただの男友達を泊まりに誘ったわけではない。
本気で黒羽が、一晩遊び尽くすつもりでなくて良かった。徹夜でゲームだなんて冗談ではない。いや、もちろん相手が男友達なら、たまにはそうした日もいいのだが。相手が恋人でさえなければ。
「極力痛くねぇようにするからさ」
オレの気遣いの台詞に、黒羽はじろりとした視線を返してきた。
「おい、極力って何だよ。そこは普通、絶対優しくするからって約束するところだろ」
「もちろん優しくもするし、痛くねぇように気を付けるつもりだけどよ。でもそりゃ初めてなんだからある程度は痛ぇだろ。考えりゃわかるだろそんなん」
「わーってるよオレだって! わかってるからこそ緊張すんだろ! オレの気持ちを察しろよ少しは!」
「なら最初からそう言えよめんどくせぇな。なのに何でオメーはこんなゲーム作りなんてどうでもいいことばっかしてんだよ」
「初めて工藤に泊まりに誘われてそりゃあ嬉しいし行きたいし泊まりてぇけど泊まるってつまりあれだろそういうことだろオレがああされてこうされてなわけだろって考えたらどうすりゃいいのかわかんなくて思わずゲームでも作るしかなかったオレの気持ちがオメーにわかるのかよ恋人ならそんぐらい察しろって言ってんだようわーん!」
一気にまくしたてた挙句、泣き真似をしながら黒羽はソファに突っ伏した。
気持ちがわかるのかと言われても。とりあえず、その状況ですることがなぜゲーム作りなのかはオレにはさっぱりわからない。オレは昨日がんばって寝室の掃除をしていたというのに。何だこの差は。
泣き真似だとわかっているのに、演技が妙に上手いから少しばかり焦る。とりあえず緊張していることだけは嘘ではないのだろう。恋人としてはその緊張をほぐしてやるしかない。
「わーったわーった。絶対優しくしてやるから。約束するから」
「今さら言われてもおせーんだよ! 何だよその、とりあえず言っておけばいいんだろって言い方はよぉ!」
「オメーがこう言えっつったんだろうがよ」
「もっと心こめて!」
「……」
めんどくせぇ。
おかしい、普段の黒羽は絶対にこんな奴ではなかったはずなのだが。マリッジブルーならぬ初夜ブルーか。言ったら怒りそうだから、とりあえずオレは黙っておく。
「大体オメーはなー、今まで言わなかったけど! 黙ってたけど! 大体においてデリカシーってもんがねぇんだよ! オレがオメーのために何をしてもな、それを当然だとすら思ってんだろ。いや、そりゃあオレが好きでしてることだから、別に一々感謝しろって言ってるわけじゃねぇけど、でもそこで多少の気遣いってもんがだな」
「黒羽」
「社交辞令だってわかっててもな、ありがとうの一言があると無いとじゃ人間大違いなんだよ。そんな些細な一言でな、よーし次もがんばろーとか思えちゃうもんなんだよ! 別にこの前オレが弁当作ってやった時に、オメーが何も言わなかったことに対して言ってるわけじぇねぇぞ。全部食べてくれたしそれはそれでいいんだよ。いいけどな、でもな」
「黒羽」
いつまでも平気で喋り続けそうなその口に、手の平を押し付けた。
「弁当は美味かった。また作ってくれ」
「……んだよ。今更言ったってな、おまえ」
「で、愛してるから抱かしてくれ」
「……だから、嫌だなんて言ってねぇだろオレは」
そういえばそうだった。
ならもっとわかりやすく態度で示してほしいと思うのだが、オレも大体において言葉が足りなかったりするものだから、その辺りはお相子と言えるのだろう。仕切り直しとばかりにキスをすれば、黒羽はおずおずと唇を開いてくれる。最初の頃は無かったそんな仕草が愛らしい。
下唇を軽く吸ってから離れれば、黒羽は小さく息をついた。そうして、どこか甘えるような仕草で、オレの肩に頭をこすりつけてきた。
「……オレが今まで大事にとっておいた純潔、ちゃんと貰ってね名探偵」
それはもうもちろん。
余すところなく頂くつもりだと答えれば、少し勢いが良すぎたのか、「ほどほどでいいからね」と窘めるようにして言われてしまった。