続・ファザーコンプレックス
「今日さー、いい物買ったんだけどー」
 今にも鼻歌でも歌いそうな顔で、風呂上がりの黒羽がすすすっと工藤の傍へと寄って来た。
「買い物に行ってたのか?」
「帰りにちょっとね。で、これなんだけど」
 どこからともなく、黒羽は小さな箱を取り出して見せた。今さらそんなことで驚く工藤ではないが、それを黒羽が「かけてみてよ」と差し出してきたことには軽く目を見開いた。
「かけるって? つーか、何でオレだよ。オメーが買ってきたんだろ」
「だから、工藤にと思って買ってきたんだってば」
 軽く寄せられた眉は、察しが悪いと言っているかのようだった。いや、事実そうなのだろう。
 珍しいこともあるものだと、嬉しさよりかは遥かに大きい困惑を感じながらも、工藤はその箱に手をかけた。
 黒羽は決してケチなわけでも、ましてや倹約家なわけでもないが、何せまだ駆け出しのマジシャンだ。工藤家で二人暮らしを始め、家賃等は一切かかっていないとはいえ、収入が少ない分は出費もまた抑えている。そうして今日は、工藤の誕生日でもなければクリスマスでもなく、何かしら自分たちに関係のある記念日等でもないはずだ。そもそも男二人、記念日を祝う習慣等はあまりない。
 困惑を抱えつつ、箱を開けた工藤は、中身を見てさらにその困惑を膨らませることとなった。
「……眼鏡?」
「疑問形のところ悪いけど、それ以外の何かに見えるのかよ、それが?」
「オレは別に視力なんて下がってねぇぞ」
「ンなのわかってるっつの。ちゃんと伊達眼鏡だ、伊達眼鏡。ファッションの一環だろ」
「ファッション」
 何の変哲もない黒ぶちの眼鏡は、あまりお洒落等に関心のない工藤から見ても、さしてセンスのいい物だとは思えなかった。それどころか、何かを彷彿とさせる。
「……何か、妙に懐かしいのは気の所為か?」
「あぁ、そうだな。昔にもオメー、そんなのかけてたよな。ほら、童心に返っていいだろ」
「何がだよ」
 今更コナン時代を懐かしんでどうしろというのだろう。確かに日常の合間に、ふとあの頃の生活を思い出すことが無いわけではなかったが、それで十分だ。わざわざそれと似た眼鏡をかけたいなんて思わない。
 手にとった眼鏡をまじまじと見つめてから、工藤は小さく息をついた。どうにもかける気にはなれない。と言うよりも。
「あのな、何でいきなりこんなもん買ってくんだよ。これ、ンな安物じゃねぇだろうが」
「まあまあ。実はまだもう一つプレゼントがありまして」
「だからな……」
 まるで魂胆がわからない。
 今度はどんな箱だと、身構えた工藤の前で、黒羽はぽんっと一枚の洋服を取り出してみせた。モスグリーンのカーディガンだ。
「ほら、最近寒くなってきただろ? 夜に本を読む時になんて、ちょうどいいかなーと思ってさ」
 にこにこと微笑みながら、黒羽は有無を言わせずそのカーディガンを工藤の肩にかける。腕を通さずとも、サイズがぴったりなことはすぐにわかった。そもそも、工藤と黒羽の体型はほぼ同じなのだ。服を買うのに、これほどサイズで困らない相手もいないだろう。
「うんうん、サイズもぴったり」
「……あたりめーだろ」
 いっそわざとらしいその呟きには呆れる。
 黒羽のセンスは悪くはない。サイズもぴったりなら、その肌触りもなかなかのものだった。けれどこの色はどうだろう。グリーンが嫌いなわけではないが、いささか年よりめいて見えるような気がする。家で着る分には、色なんて関係ないと言われればそれまでだが。
「ほらほら、せっかくカーディガンが似合ってるんだからさ。眼鏡もかけろって」
「いやだからな、何で急にこんなプレゼント尽くしに……つーか、カーディガンはまだわかるとしても、眼鏡は何でだよ!」
「だからファッションだって。ファッション。ファッションに意味なんてねーの。似合ってればそれでいーの」
「家でそんなファッション気取ってどうすんだよ!」
 そもそも似合うとは思えない。それ以上に、工藤の趣味ではない。
 だというのに、半ば無理やり黒羽は眼鏡を奪うと、一瞬の隙をついてそれを工藤の顔にかけてしまった。すかさず工藤は顔を顰めたが、「うわあ」と声を上げた黒羽の声が、思いの外に興奮しているのがわかって、ついされるがままになってしまった。
「……すげぇ、思った通り。工藤かっこいい」
「……この服に、この眼鏡が?」
「そう、その服に、その眼鏡が。もう本当かっこいい。世界で一番かっこいい。今すぐ結婚したいぐらいかっこいい」
「じゃあ明日になったら、おまえ市役所で婚姻届を持ってこいよ……じゃなくてな」
 落ちついた色のカーディガン。
 それに、コナンを思い出させるこの眼鏡。
 けれど、コナンの時にかけていた眼鏡は、元々工藤家にあった物だ。そう、父の机に入っていたもので―――
「……ふざけんなよオメー」
「え、何が? ふざけてねぇよ。オレ、本気で工藤のことかっこいいって思って……」
「バーロ! 眼鏡はもちろんだけどな、この服も、この間会った時にうちの親父が着てたもんそっくりじゃねーか!」
「あ、ばれた」
「ったりめーだろ!」
 悪びれもなく、黒羽はぺろっと舌を見せる。
 もちろん工藤にばれることなど、予め想定済みだったのだろう。工藤が探偵であろうとなかろうと、恋人にここまでされて気づかないわけがないのだ。
「何なんだよオメーは! どんだけうちの親父が好きなんだよ、あぁ!? オレにまでこんな格好させやがって……!」
「こんな格好って、別に変なコスプレさせたわけでもねぇだろ。優作さんに失礼だぞオメー」
「親父の服装真似させられて、嫌がらない奴がいると思ってんのかよ!」
「えー? オレはけっこう楽しかったけどなぁ、親父と同じ格好すんの」
 懐かしむように黒羽は言う。そういえばこの恋人は、あの目立つステージ衣装を、好んで着ているような奴だった。このファザコンは筋金入りなのだ。
 そんなことは、もう付き合いだした頃からわかっていることではあったが、未だに慣れない。自身の父親に思慕を募らせるだけならまだしも、どうしてかそれが工藤の父親にも、同じように向けられているから厄介なのだ。
 亡き父親の面影を、どこか重ねているのだろうか。マジシャンであった黒羽の父と、作家である工藤の父と。あまり似ているようには思えないのだが、そんなことは黒羽には関係がないことなのか。
「でもさ、そうやってると、本当工藤と優作さんて似てるよなぁ」
 親子なのだから、似ているのは当然だ。
 そう言ってやりたかったが、この上もなく嬉しそうな顔で見つけてくる黒羽相手に、何を言えばいいのかも最早わからない。
「……ンなに嬉しいのかよ」
 だったらいっそ、親父のところに行けばいいと、危うく口から出かかった言葉を飲み込む。
 そんなことを言えば、この黒羽のことだ、本当に行きかねない。そう思えてしまうことがまた悲しくてたまらない。こいつを繋ぎ止めておくのは至難の業なのだ。
「だってこれからさ、工藤って、もっと優作さんに似てくだろ。年を重ねたらさ」
 似たいとは思わない。けれど親子である以上、その可能性は高いのだろう。
「そうやってさ、工藤がだんだん優作さんに似てくのとか、オレが一番間近で見てられるんだなーとか思うと、すげぇ嬉しい。年とるのが楽しみになるなーって、すげぇ思う」
 嬉しそうに、けれどその一方で、どこか照れくさそうに黒羽は笑った。
 そのまま、照れ隠しのように、工藤の腹部に抱きついて顔を埋める。らしくもなく、素直な甘え方だと思った。
 怒るべきか諦めるべきか、抱きしめてやるべきかその上でキスをしてやるべきか、どうすればいいのか途方もなく困った。伊達眼鏡であるから、もちろん度は入っていない。けれど久しぶりにかけた眼鏡は、そのフレームは、視界をずいぶん狭くさせるものなのだと久しぶりに思った。
「……オメーは、オレが好きなのか、うちの親父が好きなのか、どっちだよ」
 父親に似ていく様を見るのが嬉しいだなんて。
 この顔を、この姿を、そっくりそのまま愛したらどうなのかなんて、もちろんそんなことは言えないが。
「えー? そんなこと聞くの? 聞いちゃうの?」
「聞いて悪いかよ」
「恋人に聞くことじゃねぇと思うけどなぁ。聞かなきゃンなこともわかんねぇって、男としてどうなの」
「あのな、だれも好き好んでンなことが聞きたいわけじゃ……」
「優作さん」
 埋めていた顔を上げて、小さな笑みを浮かべて、黒羽は言った。
「……は?」
「だから、優作さんの方が好き。だって、工藤と違って変な焼き餅なんてやいたりしねぇし? 大人の包容力っつーのかなー。甘えていいんだなーって言われなくてもわかるもんがあるっつーか。頼り甲斐があるっつーのかなぁ。……それに、だれかさんと違って、オレを夜遅くに疲れさせたりもしないわけだしー?」
「……て、めっ!」
 カっと頭に血が上った。
 思考が働く前に声を上げ、けれど同時にひらりと黒羽は身体を翻した。瞬きをする間に、その身体はキッチンへと逃げ込んでしまっている。
「待ちやがれ、黒羽、てめぇな……っ!」
「あはは、冗談だっての! んな怒るなよ。ほら、コーヒー入れてやっからさ」
 日頃は夜にカフェインをとると、すぐに黒羽はうるさいことを言うのだが。黒羽自身も、それなりに悪かったと思っているのだろうか。
「……ったく」
 悪態をつきながら、眼鏡を外した。
 実用性を考慮し、カーディガンはまだ百歩譲って着用するとしても、やはりこの眼鏡は頂けない。コナンだった頃は毎日かけていたそれも、今となってはどうにも慣れない。視界の狭さが煩わしい。
「工藤ー、ミルクと砂糖はー?」
 キッチンから声だけが届く。呆れながら工藤は顔を向けた。
「いらねぇよ。ンなの知ってんだろオメーだって」
「はいはい、でも夜にブラックとか胃に悪いにも程があんだろ。ミルク入れておくからなー」
「だったら聞くんじゃねーよ!」
 自分で淹れるべきだった。後悔したところでもう遅い。
 どれだけミルクのたっぷりと入ったコーヒーが出てくるのだろうと、早くもげんなりとして椅子に座り直す工藤の姿を、予想したかのように黒羽がひょいっと顔を覗かせた。顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「ブラックばっかがばがば飲みやがって。身体に悪いっていつも言ってんだろ。ちょっとは我慢しろっつの」
「うるせぇな。オメーだって毎日毎日甘いもんばっか食ってんじゃねぇかよ。人のことなんてほっとけ」
「ひどいわ。パパの身体を心配して言ってるのに」
「だれがパパだっ!」
 今の黒羽に言われると洒落に聞こえない。
 思わず本気で怒鳴りつければ、再びキッチンに引っ込んだ黒羽は、ぎゃははっと遠慮のない笑い声を上げてくれた。
「……後で覚えてろよ」
 そう呟きながらも。
 出されたミルクたっぷりのコーヒーを、何だかんだ言いつつも、結局自分は飲み干してしまうのだろうなと。わかっているからこそ、ため息を漏らすしかないのだ。
 寒さも厳しくなるこの時間、羽織らされたままのカーディガンが、十分過ぎる程の温もりを与えてくれることが、幸いと言っていいのかは工藤には生憎とわからなかった。

...12.10.21
「ラビュー Oh,my darling」のファザコン話と多分同設定。ファザコン快斗がものすごく好きです。