最近巷では天使を飼うのが流行りだという。
ここ数年の間にその存在が確認されることになった天使を、あろうことか人間が『飼う』というその業の深さはいかがなものかと思うのだが、人間の業の深さなんて今に始まったものではないのだろう。オレは別段その辺りを説きたいわけではないし、探偵であるオレに天使を飼うという趣味はない。
だというのに。
「天使いりませんか?」
チャイムが鳴ってドアを開けると、ぶわっと何かが飛んできた。風に乗った、それは純白の羽根だった。
「……は」
「天使いりませんか? 今ならお安くしますよ、お兄さん」
これでもかと言わんばかりの大きさの羽を、ばっさばっさと揺らしながら、そう言ったのは天使だった。オレは何度か瞬きをした。
「……何のご用ですか」
「だから、天使を飼いませんか? 今なら特別価格でご提供! 今日からあなたの家に可愛い天使が仲間入り!」
「天使が天使の斡旋もしてんのか」
「いや、この場合は売り込み? 探偵さん、オレを飼ってくれない?」
しっかりその両足は地面についているというのに、ばっさばっさと羽は動き続けている。その度に、舞った羽根がオレの顔に飛んでくる。まるで破れたクッションから飛び出してくる羽毛のようだ。
「……悪いけど、天使を飼う趣味はねぇから」
他を当たってくれとオレは静かに告げた。どんな天使だろうと、今は引く手数多なものだろう。
天使を飼うのは一部の人間、金持ちの趣味だ。それでも何せ絶対数が少ない。いや、所謂天国にはたくさんの天使がいるのかもわからないが、生憎人間が行ける場所は精々が宇宙ぐらいだ。天国に天使を捕まえに行くことはできないのだから仕方ない。
「そんなこと仰らずに。天使のいる生活、いいですよ。一度試したらもうやみつきになること間違いなし! オレが保証します」
えへんと天使は胸を張った。天使というと圧倒的に金髪のイメージが強いのだが、実物はそうでないと最近になってオレは知った。今オレの目の前にいるのは短い黒髪の、日本人顔の男だ。その顔と背中から生えたでかい羽が、何とも不釣り合いに見えて仕方ない。
「だからな、天使を飼いたい人間なんて他にたくさんいるだろって。他をあたれっつの」
「何でそんなに嫌がるんですか」
「何でそんなにしつけぇんだよ」
「だって、だれかに飼ってもらわないと、オレ人間界で生きていけねぇし」
あっさりとした顔で天使は言う。天使は人間界に来ると弱体化するだの云々と、テレビで見たことはある。ようはあれだ、魚を海や川から出した後は、きちんと環境を整えた水槽で飼育しなければいけないのと同様なのだろう。何とも世話がかかる。勝手に天国から降りてきた身で、全く。
「小判、だっけ? 食べ物と交換するやつ。それだって持ってねぇしさ」
小判て。いつの人間だこいつは。いや人間ではないけれど。
「それに、この世界のことだってまだよくわかんねぇし。だれかに面倒見てもらわねぇと、オレすぐ死んじゃうっての。天使は寂しいと死んじゃうんだぜ?」
「……どっかで聞いた台詞だな」
「だからほら、ここは男らしく、どーんとオレの面倒見ようぜ」
両腕をばっと広げて天使は言った。一際激しく羽が動く。容赦なく顔面に飛んできた羽根を、オレはすかさず振り払った。鼻がむずむずする。
「おまえ、とりあえず羽動かすの止めろ。鬱陶しい」
「天使のシンボルなのに」
「うるせぇここはオレんちだ。動かしてぇならどっか行って好きなだけ動かしてろ」
「動かすの止めたら飼ってくれる?」
どうしたらそうなるのだ。
飼うわけがないだろうと、言いかけたところで盛大の腹の虫の鳴き声を聞いた。言うまでもなく、天使の腹からだ。
オレは思わずその腹に視線を向けたが、天使本人もまた、自身の腹に目を向けた。お互いの視線の行き先が一致したところで、これ以上もなく天使は両肩を落としてみせた。
「……あー、腹減ったなぁ」
そのわざとらしい独り言は何なのだ。
腐った牛乳でも飲ませてやろうか。その羽根が抜け落ちたって、オレの知ったことではないのだ。
最近家の中をとみに狭く感じる。
それは気の所為ではなく、現実的に家の中はだいぶ狭いことになっているのだ。元が一人暮らしの家だ、そこに人間が一人増えただけでもだいぶな変化だというのに、こいつは通常の人間の三倍程は場所を取るのだ。巨漢というわけではないが、使用される面積的にはそれに等しい。
「新一、新一」
名前を名乗ったとたん、まるで二十年来の親友のように、親しく下の名前を呼ばれるようになった。
と言うのも、何でも天使には名字という概念が無いのだそうだ。快斗と名乗った天使は、だから快斗以上でも快斗以下でもないということだ。
名前がかぶった際に不便ではないのかと尋ねれば、天使は「さあ?」と首を傾げて見せた。今まで身近で、名前のかぶったケースはなかったのかもしれない。あるいは気にもとめていなかったのか。
人間の常識で考えたところで仕方ない。何せ相手は人間ではないのだから。
「なあなあ、今日の飯なに? なに? 人間界っていいよなぁ。オレ、が食べたくてこっちに降りてきたんだよな。いやぁ、本当にこっちの世界は素晴らしいよなぁ」
一般的に、なぜ天使が天界(なんてものが存在するとは、オレはこの年までついぞ思っていなかったわけなのだが)から降りてきたのかは、不明とされている。
こいつの話を聞いていると、もしかしたら他の天使も割合と似たような理由だったりするのだろうかと、つい考えてしまうのだが、そんな天使はこいつだけにしてもらいたい。いや、人の―――もとい天使の勝手と言われればそれまでだが。ただしオレに迷惑をかけない範囲にしてもらいたい。
「オレはこれから仕事だ。腹が減ったんなら勝手に何か食ってろ」
「がーん」
「擬音語は口に出さなくていい」
「……ええー。だって、勝手にってー」
天使は目に見えてがっかりした顔になっていた。冷蔵庫にはそれなりに食材が入っているし、冷凍食品なんかもそれなりに詰まっているのだが、天使は電化製品を使えないのだ。
それどころか火を怖がる。動物かと呆れたが、ドアから恐る恐る顔を覗かせ、オレがベーコンエッグを作っている様子を眺めているその姿は、なかなかに面白い物だった。
「新一の作ったご飯が食べたいなー。食べたいなー。新一の焼いた目玉が食べたいなー」
「目玉焼きだ。焼いた目玉言うなオレの目を食うみたいだろ。とにかく、オレはもう出かける時間なんだよ。おまえの飯なんか知るか」
「つれないこと言わないでー。今日のラッキーカラー占ってあげるから!」
「……いらねぇ」
女子高生辺りなら喜ぶのかもわからないが、オレは男だ。そして探偵だ。ラッキーカラーのハンカチなんぞを持ち歩いて、そうして事件が解決できれば苦労はしない。
「そんなこと言わずに」
ばさばさと音を立てながら、天使はオレに近づいてくる。
何がばさばさと言っているかなんて、そいつの翼に他ならない。そうしてあちこちに羽根をまき散らせながら、オレの視界を圧迫しながら、こいつは我がもの顔でオレの生活に入り込んでくるのだ。
「羽根を散らかすなっつってんだろ」
鼻先に飛んできた羽根を、オレは手の平で振り払った。オレのそんな態度を見て、天使は悲しそうに眉を下げるが、相手が天使だろうが鳥だろうがクッションだろうが、舞い散る羽根なんてゴミなだけだ。こんなゴミみたいな羽根を、ありがたって大金出して買い集める金持ちの考えがオレにはわからない。
「……新一がオレを飢えさせるよぅ。うっうっう」
「飢えたくなかったらさっさと天国に帰れ」
「そんなちょくちょく行ったり来たりできるような距離じゃねぇもん……」
「そうなのか?」
具体的に天界がどこにあるかなどもちろんオレは知らないが、その翼があれば移動は楽なのだろうと思っていた。そうでなくては何のための翼なのか。オレの家に羽根をまき散らすためか。
「そうだよ。オレがどんだけ苦労して人間界に降りてきたのかなんて、新一は全然わかってないんだ……それもこれも、偏に人間を幸せにしたいと思っているからだというのに……」
「おまえさっき、が食いたくてこっちに降りてきたって言わなかったか」
「あ、新一、そろそろ行かなくていいの? 仕事なんだろ?」
打って変わってこの態度だ。都合が悪くなるとこうなのだから、こいつは本当に天使なのだろうか。
「……ったく」
朝から無駄な時間を過ごしてしまった。いい加減、そろそろ家を出ないとまずい。
「好きにしてろ。でも勝手に家から出るなよ」
希少価値の高い天使を狙い、ここ最近世間では誘拐事件の類も頻繁に起こっていると聞く。殺人事件の類ではないから、オレに声がかかることは無いものの、そうした話ばかりはやたらと耳に入ってくるのだ。
「……うへへへ」
「……気持ち悪ぃな」
「えー、だってー」
くねくねと天使は身体をくねらせていた。恐らくはそうなのだろう。けれど翼がばっさばっさと揺れている上に、そこからさらに羽根がばさばさと舞っているものだから、視界が塞がれていけない。こいつはどれだけ羽根を巻き散らかせば気が済むのだ。禿げにでもなりたいのか。
「何だよ」
「だってー。新一がオレのこと心配してくれてるからー」
くねくねくねくね。天使は動き続ける。ばさばさばさばさ。そうしてオレの家は散らかっていくのだ。
「……少しはじっとしろ!」
「ぎゃんっ!」
鬱陶しいその翼を思い切り引っ張れば、弾みで何枚か羽根が抜けてしまった。天使の羽根というのは、一体どれほど抜けやすい作りになっているのだろうか。あれか、ちょうど生え換わりの時期なのか。そんな馬鹿な。
「ひどいっ、ひどい! 何で羽根抜くの! 何でオレの羽根抜くの!」
そうして思い切り羽根をまき散らしている癖に、人がちょっと抜いてしまえば、ここぞとばかりに文句を言うのだ。
何て面倒な。けれど一応抜いてしまったことは悪いとも思うから、オレは手の中にあったその羽根を、光り輝く翼の中に、ぐいぐいと押し込めようとした。が、もちろん戻らない。
「抜けた羽根はもうそのままなんだよ!」
天使は叫ぶ。
まあそりゃそうかと思い直して、オレは手の中の羽根をまじまじと見つめた。
床にひらひらと落ちて行く羽根とは違い、オレの手の中に羽根は、不思議なことにキラキラと輝いている。いや、そこまでは大袈裟かもわからないが、淡く発光していることは確かだった。これの集合体が、あの光り輝く翼を形成しているのだと思えば、なるほど納得なのだった。
「……キレイなもんだな」
人間は総じてキレイなものが好きだ。だから本来はただの石ころであるはずのダイヤモンドなんかが、あれほどの大金でやり取りされているのであって。
「……それ、新一にやるよ」
「あ?」
「その羽根。持ってるといいことがあるぜ」
ふざけた顔はしていなかった。天使は笑顔を浮かべつつ、それでも真面目にオレを見つめていた。
「いいことって……じゃあここの羽根を全部かき集めたら、一等の宝くじにでも当たるのか?」
金には困っていないから、その言葉は冗談だったけれど。
オレのそんな冗談にも、天使はゆるゆると首を振った。今度は翼ではなく、癖の強い黒髪がゆるゆると揺れた。
「自然と抜け落ちた羽根に効果はねぇよ。力が無くなって抜けた羽根なんだからさ。でも今新一が持ってる羽根は、まだ抜け落ちるはずじゃなかった、力のある羽根だから」
だから今日は一日いいことがあるぜと天使は笑う。何とも嬉しそうな笑顔だった。つい先ほど、羽根を抜かれたと叫んでいた奴と、同一人物とは思えない表情の変化だった。
「……ふうん」
超能力とか占いだとか、これを持っていればいいことがあるだなんて、そんないかにもな胡散臭い台詞を、今までオレは信じたことなどはなかったが。
けれど目の前にいるのは天使だ。信じるも信じないも、目の前にその存在を見せられてしまえば、ただ現実を受け入れることしかできない。そうしてその天使が言うのだ。
「……ま、栞にでもするかな」
「シオリ? シオリってなに?」
すかさず天使は問い掛けてくるが、いよいよ家を出なければならない時間が迫っていた。慌てて上着を羽織り、オレは玄関へと向かった。
「今日は帰ってくるの早い?」
「無事に仕事が片付いたらな」
「じゃあ早いな。何せオレの羽根があるからな」
自信満々に天使は言う。
よほどの自信があるようだった。もしくは確信とでも言うべきか。
「そうだったらいいけどな」
本当に仕事が早く終わったのなら、何か美味い物を買って帰って来てやるのもいい。天使がどんな食べ物を好むのか、オレにだって好奇心はあるのだ。
「行ってらっしゃーい」
ふりふりと手を、そうしてばさばさと翼を振られて見送られる。
服に天使の羽根を付けて出かけるわけにはいかないのだと、そう必死になって振り払っていたのは最初の数日だけで、不思議とあいつの羽根が、オレの身体に纏わりつくようなことはないのだった。