「お父さんは、どうしてパパをいじめるの?」
大量に詰まれたDVDと格闘していたら、娘にそんなことを言われた。
子供の発言というのはいつだって唐突だ。だから工藤はさして気にせず、次のDVDをデッキに突っ込みながらに答えた。
「どっちかって言うと、今いじめられてるのは快斗じゃなくてオレの方だと思うぞ」
せっかくの貴重な休日が、何せ録画したDVDの中身を逐一確認する作業で終わっているのだ。そうしてこのDVDを見る張本人は、手伝うわけでもなく呑気に煎餅をかじっている。
「そうなの?」
「どう見たってそうだろ」
「だってパパが、お父さんはパパのために尽くすことに幸せを感じるんだって」
「てめぇおい!」
思わずDVDケースを投げつけそうになってしまった。黒羽が顔を上げるのがあと少し遅ければ、本当に投げつけていたかもわからない。
「え、なになに。何の話?」
気配に敏い黒羽はすぐさま視線を向けてくる。煎餅のカスを口の周りにつけたその姿は、到底ラスベガスから帰国した人気マジシャンとは思えない。
「オメーも少しは手伝え! 一人で煎餅食ってごろごろしやがって……オレが何でこんな面倒なことしてると思ってんだよ!」
「何でって、DVDに落とす時に、ケースに番組名も何も書かずに適当に片っ端から落としたからでしょ。自業自得じゃん」
「だからって、オメーが見たいっつった番組を、人が親切に撮ってやってたんじゃねえかよ! オレは見ねえんだぞ!」
「親切にって、オレは仕事で海外に出てたんだぜ? 一緒に暮らしてるんなら、録画ぐらい恩に着せずにしてくれるもんじゃねえの? オレだって工藤さんが見たがってたサッカーの試合のチケット、ツテで取ってあげたりしてるのにさぁ」
「……だからって、作業時間が違うだろ!」
「こまめにやっておけば良かっただけの話だろ」
黒羽はにべもない。
確かに相手の言うことも、一理あるとは思うからこそ悔しいのだ。
けれど言い訳をさせてもらえば、工藤だって暇な身ではないのだ。その上黒羽は週に幾つもの番組録画を希望するものだから、あっという間に容量なんていっぱいになってしまう。それが数カ月分だ。
舌打ちを漏らしそうになるのを堪えながらに、次のDVDと入れ返る。中身をチェックして番組名を書く。単純作業の繰り返しだ。だからこそ飽きてたまらない。
「……おまえこれ、ほんとに全部見るんだろうな」
「一応ざっとはチェックする予定」
「ざっとかよ。人が撮ってやったんだから真剣に見やがれ」
「あのさー、仕事としてチェックする物もあるんですけど」
日本に帰国している間、黒羽は日本でもマジシャンとして活躍している。マジックの腕前はもちろんのこと、その顔の良さからも、度々メディアに露出していることは知っている。日本での知名度も、じわじわと上がっていることも。
仕事の一環だと工藤もまたわかっているから、七面倒な作業を引き受けたのでもあり、同時に仕事の一環なのであれば、それこそ人任せにせず手伝えと言いたい気持ちもわき起こってくるのだ。ようはこの作業に辟易しているのであった。
「なー、これはお父さんが悪いよなー? 本読むのを三十分我慢して、一週間ごとにでもやってれば、普通に終わってる作業なんだからさぁ」
娘を味方に引きこもうとするのか。何て奴だと工藤は内心で憤慨した。
「だからってな、人にやってもらってるだけで、手伝おうとしないのはこいつも悪いと思わないか?」
負けじと工藤もまたそう口を挟んだ。二人の顔を交互に眺め、そうしてから娘ははっきりと答えた。
「あのねぇ、お父さん、サクが撮ってってお願いしたトトロもね、忘れて撮ってくれなかったの」
だからお父さんが悪いと思う、と。
一カ月も前のことをまだ覚えていたのかと、うなだれる工藤に、大袈裟に反応してくれたのはもちろんもう一人の父親だった。
「ひどい! 何それひどい信じらんない! 父親のすることだとは思えない! 可哀相! オレの娘可哀相!」
「あのな、忘れてたんじゃねぇよ! つーか、おまえがあれもこれも録画しろなんて言うから、容量がいっぱいで撮れなかったっつー話で……」
「わーん可哀相可哀相! トトロ見たかったねぇ、後でDVD借りてこようか」
黒羽はひっしと娘を抱きしめながらに言う。けれど会話ができないから、すぐさまその身体を話した。
「へーきだよー。おばあちゃんがねぇ、トトロのDVD買ってくれたの!」
「おばあちゃん? どっちのおばあちゃん?」
「パパのおばあちゃん」
「おお、お袋ナイス! 冷たいお父さんとはおおちがーい!」
「オレだって普通にそのぐらい買ってやるっつの!」
ただ運が悪いことに、翌日から仕事で出張の予定が入ってしまったのだ。その間娘を見ていてくれたのは黒羽の母親で、工藤が帰宅した時には、娘は既に繰り返しトトロのDVDを見た後だった。そのおかげですっかり機嫌は治っていたのだから、感謝こそすれ文句などもちろん言えるはずもないのだが。
「トトロおもしろかった?」
「うん! あのねぇ、青いトトロが可愛いの」
「青いの?」
「そうだよ。おっきいのじゃなくてね、真ん中のでね、こんぐらいでね」
「へえ、どういうやつ? サク、ちょっとお絵描きしてパパに見せて」
黒羽は基本的に子供の扱いが上手い、と思う。同じ目線に自然と並べると言うのだろうか。
今も絵を描くことが好きな娘は、父親の言葉に顔を輝かせて「うん!」と頷いた。そうしてお絵描き道具を取ってこようと立ち上がろうとしたところで、すかさずマジックでそれを取り出してみせるのだから、全くずるい男だと思うのだ。
上がる娘の歓声を聞きながら、工藤は小さく苦笑する。ただでさえ普段離れている分、黒羽が帰国すると、娘は黒羽にべったりになってしまうというのに。
くだらない焼きもちをやいているわけではないが、それでも少し寂しい。それが恋人に娘を取られたようで寂しいのか、あるいは娘に恋人を取られたようで寂しいのか、その辺りは工藤自身にもわからなかった。突き詰めて考えたくなかっただけというのもある。
「パパもお絵描きしてー」
「パパも? えー、なに描こう」
「プリキュア描いて! 新しいやつ!」
「……ごめん、パパ日本にいなかったから、新しいプリキュアわかんない」
「えー。じゃあパパが知ってるプリキュアでいいよ。でもピンクのにしてね」
「パパが知ってるやつかぁ。えー、覚えてるかなぁ。っていうか描けるかなぁ」
背後で交わされる二人の声を聞きながら、ひたすらに工藤は一人DVDを再生していく。変わらず単調な作業だ。飽き飽きすることに変わりはないが、けれど二人の会話を耳にしながらというのは悪くない。
「プリキュアとトトロだったらどっちが好き?」
「えー、どっちも好きー! だけど、プリキュアにはなりたいけど、トトロになるのはやだ」
「何で? トトロも可愛いよー?」
「だってぇ。トトロ、はだかんぼだよ。パンツはいてないんだよ、パパ」
「……あー、それは確かに」
笑いを堪えているような黒羽の声だった。事実そうだったのだろう。
子供は突拍子もないことばかり言うのだ。そう考えて小さく笑みをもらしながら、工藤はふと思い出した。
「サク。さっきは何であんなこと言ったんだ?」
振り返って尋ねれば、娘もまた色鉛筆を握ったままに振り返った。
「あんなこと?」
「オレが快斗をいじめてるとか」
「あ、だって」
問われて本人もまた思い出したのだろう。どこか真剣見を帯びた顔になった。
「パパが言ってたもん」
「パパが? 快斗が何て?」
「もうやだ、新一止めてって」
「……は?」
「昨日の夜に、言ってたよ。パパ泣いてたよ。パパ達のお部屋で、パパの泣いてる声がしたんだもん」
「……いや」
それはつまり。
娘が言わんとしているのは、それは。
「ねぇパパ。昨日パパ、お父さんに……」
「サクっ!」
DVDのケースを放り投げて、慌てて工藤は立ち上がった。小さな身体を、浚うようにして膝の上へと乗せる。もちろんその顔は黒羽からは見えないようにと。
「お父さん?」
「工藤?」
声が上がったのは同時だった。
「……何でもない」
とりあえずは黒羽に答える。同じ部屋にいても、これだけ傍にいても、顔を向けていなければ、黒羽にはこちらが何を言っているのかわからないのだ。
それをありがたいと思う日が、まさか来るとは思わなかった。
「何でもないって風じゃないですけどー? なに、オレのいない間に美人が訪ねてきたりしたわけ?」
「バーロ。ンなわけねぇだろ」
「あっそ。何でもいいけど、子供の教育に悪いことを話すのは止めてよね」
「当たり前だろ」
と答えたが、この話題は既にどうなのだろうか。
膝に乗せられた娘は、不思議そうに工藤を見上げてくる。色素の薄いその髪を、とりあえず優しく撫でた。何と話していいものか悩みながら。
「……あー、いいか、サク。オレは快斗をいじめたりはしてないよ。快斗だって、大人しくオレにいじめられてるような奴じゃねぇだろ」
「でもパパ、昨日泣いてたもん」
「あれはな、泣いてたんじゃなくて……」
善がってたんだよ、なんてことはまさか言えない。
黒羽の手前と言うわけではない。工藤だって、娘の情操教育については人並みな考えを持っている。
持ってはいるが、だからこそ、こうした場面でどんな言葉をかけるのが適切なのか、まるでわからなかった。本当のことが言えない以上、やはり誤魔化すしかないわけであって。
「……あれはな、遊んでたんだ」
「遊んでたの? パパ泣いてたのに?」
「あぁいや、だから……」
言ってから、なんて酷い言い訳なのかと我ながら思った。
これが仮にも、名探偵と呼ばれる男の口から出た言葉なのか。けれどどれだけの推理力を誇ろうとも、娘が相手となればどうしようもない。こうした場で出る適当な言い訳なんて、もちろん工藤が知るわけもないのだ。恐らくは黒羽だってそうだろう。
「パパ泣いてたのに遊んでたの? パパを泣かせて遊んでたの? パパが泣いてるのに、お父さんは遊んでたの?」
「い、いや、だから、サク……」
女の子というのは、幼くとも女だ。だれかに言われたそんな言葉を、まざまざと工藤は思い出していた。
追求するその声音はどこまでも真っ直ぐで、見上げられる瞳から視線が逸らせない。女は強いと、こんな時にひしひしと思う。膝に乗るその体重は軽いというのに、向けられる視線の強さときたら、まったく。
「パパのこと泣かせて遊んでたの?」
「いやだから、本気で泣かせてたわけじゃなくて……あれは、快斗も喜んで……いやそうじゃなくてだから」
娘はまじまじと見上げてくる。
心なしか、背中にも視線を感じた。どんな会話を交わしているのか、当然黒羽だって気になるところなのだろう。悪いことをしているとは思う。思うがどうしようもない。
「エスエムっこしてたの?」
「……は?」
「パパとお父さん、エスエムごっこしてたの?」
「…………いや、おまえ」
どうして娘の口から。
まだ幼い娘の口から。
そんな言葉が飛び出してくるというのだろうか、まったく。
「工藤さん?」
そうして黒羽は、気配に本当に敏感な奴なのだ。そうでなくては生活が送れないというのもあるのだろう。けれど今はその敏さが邪魔だった。
「……おまえ、そんな言葉、どこで覚えた?」
まじまじと娘は工藤を見上げてくる。常とは違う父親の雰囲気を、この子もまた察したのかもしれない。黒羽と同様敏い子なのだ。
「テレビで見たか? だれかが言ってたか?」
「ちがうよ。あのねぇ、レミちゃんとシュン君がやってたの」
「レミちゃんとシュン君?」
「サクのお友達ー」
嬉しそうに娘は言う。その笑顔は可愛らしいが、言っている内容はその笑顔とはそぐわないものだ。
「レミちゃんとシュン君がねぇ、エスエムごっこしてるんだよ。レミちゃんがいじめてね、でもシュン君は喜んでるの。だからねぇ、パパとお父さんも、そうやって遊んでたの?」
「ば……っ!」
バーロー! と、怒鳴りたい気持ちを工藤はぐっと抑え込んだ。
この子は何も悪くはないのだ。そうわかっている。けれど溢れ出ようとする感情を抑え込むのには、少しばかりの努力が必要だった。
「お父さん?」
「……最近の子供は何をしてんだって……いやその親か? 親が問題なのか?」
「お父さーん」
こっちを見てと言わんばかりに、娘が頬をぺちぺちと叩いてくる。
工藤はため息をもらした。最近の子供は仕方ないだなんて、幾らここで考えたところで仕方ないのだ。
「……いいか、サク。オレも快斗も、SMごっこなんかしてねぇ。そんな遊びはしてねぇよ」
「でも、だってパパが」
「そうじゃねぇけど、オレも快斗も遊んでたんだよ。いいか、遊んでたんだ。オレは快斗をいじめたりはしねぇし、快斗だってオレにいじめられるような奴じゃねえよ」
「……じゃあ何で、パパは嫌だって言ってたの? 泣いてるみたいだったの?」
黒羽のことが好きなのだ。
だからこそ気になるのだろう。その眼差しは真剣だった。
それがわかるからこそ、工藤もまた困るのだ。本当のことは言えないし、かと言って適当にごまかせもしない。
「……サク、くすぐりあいっこ好きだよな?」
ふと思って、そう問いかけた。
「うん好きー」
「それと同じだ」
「おんなじ?」
「そう。お父さんがくすぐろうとすると、サクは逃げるだろ。だけど、くすぐられるのは嫌いじゃないだろ? で、くすぐられて我慢できなくなったら、もう降参って言うだろ。でも、すぐにお父さんが止めるとつまらないだろ? そういうことだ」
我ながら的確な例えだと思った。
むしろ最初から、くすぐりあいっこをしていたのだと言えば良かったと、そう思うぐらいだった。
「そっかあ」
ふむふむと娘は頷いていた。
「パパとお父さん、遊んでたのかぁ」
安心したように頷くその笑顔を見ていると、少しばかり申し訳ない気持ちも覚える。けれど、真実を知るには、この子はまだあまりに早すぎる。こればかりはどうしようもないのだ。
「お父さんが、パパのこといじめてなくて良かった。パパがいじめられてなくて良かった」
素直な感想をもらす娘に、工藤は一人微妙な心境を覚えた。何の他意も無いのだろうが、けれど自分が黒羽を苛めると思っているのかと、考えれば複雑な心境だった。
「苛めるわけないだろ。オレは快斗のことが好きなんだよ」
「サクも好き! パパ好き!」
「だろ? お父さんも同じだよ。サクがパパのことを好きなように、お父さんもパパのことが好きなんだよ」
自身をお父さんと称するのは、いまだに少しばかり恥ずかしい。
娘の前では平気なのだ。それをだれかに聞かれていると思うと、とたんに恥ずかしくなって仕方ない。黒羽の耳に届いてはいないと、そうわかっていても話は別だ。
「だけどな、苛めてないけど、この話はパパにはするなよ」
「何でー?」
「泣いてたかもなんて、思われたらパパが恥ずかしいだろ。男はそう簡単に泣かないもんなんだよ」
事実はもちろんそうではない。
娘に自身の善がった声を聞かれていただなんて、万が一にも黒羽が知れば、当分夜の営みが無くなるだろうことは明白だった。もしかしなくとも、次に黒羽がツアーに出かけ、そうして帰ってくるまで、ご無沙汰になるかもわからない。
ただでさえ、自身の声を気にしている黒羽なのだ。昔よりかはずいぶんと楽になったが、けれど自身の声がわからないというのは、やはり負担になっているのだろう。工藤がどれだけ大丈夫と言ったところで、こと夜の営みに関しては、頑なな部分が残っているのだ。
そこがまた可愛くもあり、面倒だったりもする部分なわけで。
「パパ恥ずかしい?」
「って、パパが思うかもなって話」
「そっか。男はムダにプライドが高いもんね」
「……だからなぁ」
どこでそういう言葉を覚えてくるのだろうか。子供の成長には、日々驚かされることばかりだ。いい意味でも悪い意味でも。
「この話は、サクとお父さんの内緒にしといてくれよ」
いいだろ? と視線を近づけて尋ねてみれば、あろうことか娘は迷うような素振りを見せてくれた。けれどその目は笑っている。
「黙っててくれたら、今日のおやつにアイスを食いに連れてってやるよ」
これでいいだろうと、今度こそ見つめれば、それでもまだ娘は笑っている。
「何だよ」
「あのねぇ、アイスもいいけど、新しいワンピースが欲しいなー」
「……おまえな」
「この間ね、哀ちゃんと見た本にね、可愛いワンピースがあったの!」
灰原の買う雑誌に、娘に合うサイズの服が無いことは当然だ。
だからこそ、灰原は子供向けのファッション雑誌も時たま購読しているのだ。そうして楽しそうに二人で一緒に眺めていることを工藤は知っている。年の離れた姉代わりになっていることもあって、もちろん何を言えるはずもないのだ。ついでとばかりに、灰原に財布やら何やらを買わされることがあったとしても。
「……わあったよ」
「買ってくれる? お父さん買ってくれる?」
「……ああ。好きな服買ってやるよ。ったく」
「わーっ! 今本持ってくるね! 哀ちゃんに貰ったの!」
つまりは工藤が買ってやることを、灰原は見越していたということだろうか。いつものことだと思われていたのかもしれない。
「お父さん、待っててね! そこにいてね!」
念を押しながらに娘は駆け出して行った。後に残されたのは、苦笑を漏らす工藤と、ぽかんとした黒羽だけだ。
「どしたの? 何があったわけ?」
「……あー、いや」
おまえの善がり声をあの子が聞いてて、なんて、もちろん言えるはずがないのだ。
「なに」
「あー、だから、トトロを撮り損ねた詫びに、服買ってやることになったんだよ」
「あぁ」
おかしそうな顔で黒羽は頷いた。何も知らないくせにと、内心で思いながらに工藤は次のDVDをセットした。娘との会話に夢中になって、つい作業の手が中断していた。この調子では、いつになれば終わるのかもわからない。
「まったく、娘に甘いんだからさぁ」
笑いながらにそう言われる。
甘いことは確かなのだろうが、それがどうしてか黒羽に言われると腹が立つのだ。理由なんてわからない。いや、わかっているからこそなのだろうか。
甘いのは一体どっちだと言うのだ。何度言っても、帰国する度に大量の土産を抱えてくるくせに。恋人への土産はワイン一本で済ませた癖に、娘にはどれだけの物を買って帰ってきたというのか。
「……おまえな」
「っていうか工藤さん、それなに?」
「あ?」
「だからそれ」
指さしながらに黒羽は言った。
何を指しているのかと思えば、それはテレビ画面であって。
「なにって、おまえが撮れっつった番組だろ」
黒羽の方こそ何を言っているのか。希望した番組すら忘れているのかと、呆れながらに言えば、返ってきたのは静かな声音だった。
「オレ、その番組撮れなんて頼んでないけど」
「は?」
「何でオレが旅番組の録画頼むんだよ。興味ねえっつの。確かさぁ、その後の世界びっくり映像を頼んでたんじゃなかったっけ?」
「……そうだったか?」
一々何の番組を頼まれたかなんて、覚えていないというのだ。
けれど言われてみれば、黒羽が定番の旅番組を、録画までして見るとは思えなかった。今までに黒羽が旅番組に出演したことは無かったはずだ。依頼だって来てはいないだろう。
「……あーあー」
恐らくは時間を間違えたのだ。そうとしか思えなかった。
その程度に間違いなんて、だれにだってあるものだろう。開き直っているわけではないが、けれどありふれたものだと思うのだ。第一に、工藤自身も忙しい身の上なのであって。
「……悪かったな」
それでも一応ミスをしたのはこちらだろうと、思うからこそ素直に謝ったというのに、黒羽の反応はあまりなものだった。
「まったくだよなぁ。頼まれた録画すらできねえのかよ」
よくそれで探偵なんて務まるよなあ? と。
ただのからかいではないのだろう。そうとわかるからこそ、なおさら腹が立ったとも言える。
「……てめぇなあ!」
「ほーいっと」
座り込みながらも工藤の放った蹴りを、軽々と黒羽は避けて見せる。続けて足を動かしたが、どれも結果は同じだった。工藤だって、何も本気で蹴り飛ばそうと思ったわけではない。
思ったわけではないが、悔しいことは確かだった。いっそ麻酔銃でも打ち込んでやろうかと、思ったタイミングで黒羽は言う。
「まあ面倒なことを頼んじまったとは思ってるけどさ」
「……一応おまえも思ってたのかよ」
そんな心すら無いものだとばかり思っていた。遠慮のない工藤の台詞にも、黒羽はにひひっと笑う。
「まあそれにしても、工藤さんの手際が悪いだけな話だとは思うけどねぇ?」
「うっせーよ」
「んま、オレのお願い聞いてくれたら、録画間違えたことも許してあげるけどー」
「……一応聞いてやるけど。何だ、お願いっつーのは」
「ダッツのチョコアイスが食べたいなー」
ふざけた顔はしていなかった。
いや、ある意味でしていたのだろう。にやにやとその顔は笑っていた。
「……アイス?」
「ダッツのね。その辺の百円のやつじゃ嫌だぜ」
「いや、そりゃ……」
逆に尋ねたいぐらいだった。その程度でいいのかと。
ここぞとばかりに交換条件を持ち出してくる辺りは、昔とまるで変わらない。根本的に強かなのだろう。それは娘にも言えることであった。黒羽によく似ているのだ。
けれど、似ていてもやはり違う。何せねだってくる対象が、片は洋服で片はアイスだ。逆だったらどれだけいいことだろうか。
「……まったくなぁ」
呆れて言葉も出ない。きょとんとこちらを見つめてくる、そんな眼差しも、やはりどこか似ているのだ。
「工藤?」
「アイスなんて、幾らだって買ってやるよ」
「なに。他にも録画間違えてたわけ? しっかりしろよなー、ったく」
「……ちげえよっ!」
「あれ?」
あながち冗談ではなかったのだろうか。黒羽はきょとんと首を傾げる。そんな顔を、可愛らしいなどと思ってしまう自分も大概どうかしているのだ。それはもう昔から。
「うるせぇ。さっさと出かける支度しろ。服買いに行くんだからな。時間かかると思うけど覚悟しろよ」
「なに、そんな遠くまで買い行くわけ?」
「ちげぇよ。欲しい服が決まってるなんて言いながら、あれもいいこれもいいって二時間は悩みまくるんだよ」
幼くても女の子というのは恐ろしい。灰原も共に買い物に出かけた際には、そのあまりの長さに工藤は心底から辟易した。洋服一着買うのに、どうして三回も四回も試着をする必要があるのかわからない。欲しければ何でも買ってやると言っているというのにだ。
「……あぁ、女の子だからねぇ」
「ったく、まだガキだっつーのによ」
「ほんとだよね。つい最近までオムツしてたあの子がねぇ」
「オムツしてた頃には出会ってねぇだろ」
「気持ち的にはもうオムツを替えてたも同然なんです」
そう言いながら黒羽は立ち上がる。休日の黒羽の格好はこの上もなくラフだ。海外でショーを成功させている男とは思えない程、いまだにパーカーを愛用している。いや、パーカーが悪いというわけではないのだが。
「休日のショッピングモールか。オレだって気づかれなきゃいいんだけどなあ」
「今のオメーの姿を見て、マジシャン姿を思い出す奴なんているわけねえから安心しろ」
「最近はまったく、日本でもファンが増えちゃってね。帰国がてら早速空港で女の子に写真を求められちゃうし。いや参ったね」
「どうせにやけた顔してたんだろ」
「いやあ、参った参った」
背中を向けているから、工藤の言葉は黒羽の耳には届かない。
けれど聞こえているのではないかと、思うタイミングで台詞は返る。声は聞こえずとも、気配は察しているのだろう。そんな風であるから、初対面の相手は、大抵すぐには黒羽が難聴であるとは見抜けない。気づくことができない。
跳ねた後ろ髪を軽くつまんだ。振り返りながら黒羽は笑っている。娘が戻ってくる前にと、すかさずその唇を塞いだ。
「……工藤さんのエッチ」
少し尻を触ったぐらいで、何を言っているのだ。
軽やかな足音を聞きながら、工藤は真剣に部屋の防音について考え始めた。
[13.04.28]
ブログで語ってた娘編です。オリジ感満載すぎてすみません。
でもすごく楽しかったのでぜひともまた書きたいところ。娘が年頃になっても可愛い。