「今日のアイスはどーれかなっ」
キッチンから、楽しげな声が聞こえてくる。
後をつけようと思ったわけではないが、ちょうど工藤もコーヒーが無くなってしまったところだったため、結果的に後をつけたような形になってしまった。
「いやーん、どれから食べようか迷っちゃうー」
冷凍庫を開けたまま、へらへらと笑っているその顔が、見なくとも手に取るようにわかるようだった。わかりすぎて嫌になる。
「どれにしようかなー。チョコはもちろんだけど、先に食べちゃうと味が口の中に残るからなぁ。いやいや、それがいいんだけどでもやっぱここは最初にバニラかな、そんでもって次にチョコを食べた方が口の中の調和が上手いこと取れる気がして」
「……結果的に全部おまえが食うんだし、何から食おうがどれも同じじゃねぇかよ」
一人でよくもまあ、それだけ賑やかに喋れるものだと思う。若干の呆れ混じりに、工藤がそう口を挟んでしまったとしても、無理からぬことだろうというのだ。
けれど返ってきたのは、負けじと呆れ混じりなため息だった。
「何だよ」
「名探偵は何もわかってない」
軽く睨みつければ、再度わざとらしいため息を返された。何だと言うのだ。
「アイスっていうのはなぁ。いや、アイスに限らずだな、楽しみな物っていうのは、どれを食べようかどれから食べようか、そういうのを悩んでる間も含めて楽しむものなんだよなぁ。そこをすっ飛ばして食べても、美味しさが二割減ていうか……や、美味しいことに変わりはないんだけども! 無いけども、本来だったらもっと美味しく食べられるところを、自分でその楽しさを削って食べるのは人としてどうかと言うことをオレは言いたいのであって」
「わかった」
「あ、わかってくれた?」
ぱっと顔が輝く。シルクハットとモノクルがないと、こんなにも表情の変化がわかりやすい奴だったのかと改めて思う。
「あぁ。おまえの話を聞いててもさっぱり理解できないってことがわかった」
「ひどいっ!」
「あと、さっさと冷凍庫閉めろ。アイス溶けるぞ」
何か言いたげな顔はそのままだったが、アイスが溶けるの一言に、慌てたように引き出しを閉めるのだからおかしい。あるいは単純とでも言おうか。
空のグラスに氷を入れ、アイスコーヒーをどばどばと注いでからリビングへと戻る。一応の客人にも何か飲み物を持って行ってやるべきかと思ったが、コーヒーとアイスの組み合わせはいかがなものかと思い、とりあえずは自分の分だけ持って行くことにした。
「あー、うっめー」
悩みながらに、結局は棒のチョコアイスを選んだらしい。美味しそうに頬張っている。買ってきた甲斐があるものだと、工藤は素直に思う。
「名探偵もアイス食えばいいのに。一本やるぜ」
「一本やるぜって、オレが買ったアイスだろって。……まあそこまで好きじゃねぇから」
「人間だと思えない」
そこまで言うか。
「……おまえな」
「あぁでも、名探偵だしね。探偵だしね」
だったら仕方が無いとでも言いたげな声音だった。こいつは探偵を何だと思っているのだろうか。呆れすぎてそう問い詰めることすらできない。
「コーヒー飲み過ぎて、胃壊しても知らないんだ」
「壊すかよ、こんぐらいで」
「でもどっちみち身体には悪そう」
「知らねぇのかよ。ガン予防の効果だってあるんだぜ」
「えぇー?」
そんなものがあるのかと疑っているようにも、それは知りつつもそれでもやはり身体に悪いと思っているようにも、どちらにも聞こえる声だった。
「……やだなぁ、コーヒー」
ソファの上で体育座りになりながら、工藤の手にしたカップを見つめている。
「コーヒー、嫌いなのか」
ならば出さなくて正解だった。代わりに麦茶の一つでも出してやれば良かったのかもわからないが、そこまでは気が回っていなかったのだ。
けれど何回か、そうとは知らずコーヒーを出してしまった時があったような気もする。気を使わせて飲ませてしまっていたというのなら、やはり悪いことをしたと思った。
「あー、あんま得意じゃあないなぁ」
「……そうか」
「あ、でもミルクと砂糖たっぷり入れたら普通に飲めるし。名探偵の家ってさすがだよな。いいコーヒーなのかな。すげぇ飲みやすかった」
あれは美味しい、と客人は頷く。頷きながらにアイスを頬張っている。
これまた気を使わせて、そんなことを言わせてしまっているだけなのかどうかもわからなかった。いくら表情が見やすくなったとはいえ、そのポーカーフェイスが無くなったわけではないのだろう、と思う。
「麦茶でも飲むか?」
言いながらに立ち上がりかけていた。けれど、アイスを咥えたままに、客人がひょいっとソファの背を飛び越える方が早かった。
「おい」
「麦茶ありがとー」
「だから人がいれてやるって……」
言っているというのに。
もちろん、ただ冷蔵庫を開けグラスに注ぐだけのことだ。いれる手間も何もない。それこそ、豆をひいていれるコーヒーではないのだ。だれがいれたって味が変わるわけでもない。
けれど何だか、せっかくの好意を、そのままさらりと流されたように思えてしまうとでも言うのだろうか。我ながら、細かいところを気にしすぎなのだろうと呆れる。
「いやぁ、アイス取りに行きたかったものだから。ついでついで」
片手に次のアイスを持ちながら、すぐさま客人は戻ってきた。けれど肝心の麦茶を持っていない。ありがとうと言いながら、喉は乾いていなかったのだろうかと思った工藤の前で、ポンっと音を立てて小さな煙が上がる。
麦茶の瓶と、ガラスのコップが二つ。ご丁寧に氷までが入れられたそれは、机の上に現れると同時にカランと涼しげな音を立てる。
「オメーなぁ」
こんな所にまで、何をご丁寧にマジックを仕込んでいるのだろうか。仕込む時間など無かっただろうと思うのに、その辺りはさすがと言うべきだろうか。
「やっぱさ、コーヒーだけじゃ身体に悪いって」
とぽとぽと注いだ麦茶を、さあさあどうぞと勧められる。肩をすくめながらに、一応グラスに口をつけた。夏場ともなれば、冷たい飲み物は総じて美味しく感じられるものだ。
「これじゃ、どっちが客かわかんねぇな」
至極素直な感想だった。自身の気の回らなさを、若干反省した呟きでもあった。
きょとん、と。
正真正銘の客人が、だからそんな工藤の呟きを受けて、どうして目を丸くするのかが本気でわからなかった。
「おい?」
「……客?」
「は?」
「オレって、客だったんだ?」
客でないというのなら、一体何のつもりでいたのだろうか。
それとも、『客』という言葉に、何か他人行儀めいたものを感じたのだろうか。例えば気心の知れた友人を、一々客扱いなどしないように。けれどこの客人が家を訪ねてくるようになってから、まだほんの数週間しか経っていないのだ。
「客じゃないなら、何のつもりだったんだ、おまえ」
「えー、だって名探偵が」
「オレが?」
「いっつも本ばっか読んでるから」
客だったらもっと構ってもらえるものかと思ってた、と。
責める響きはそこには無かった。先ほどの工藤と同様、ただの至極素直な意見の一つだったのだろう。けれどぐさりと胸に突き刺さる音が、確かに工藤には聞こえた気がした。
確かにそうだ。客人だと思いながらも、そんな客の相手もろくにせず、今日だって手元には、しっかりと読みかけの本が置かれている。
気が回らないどころの話ではなかった。言われてみればそうとわかる。なぜ言われてみるまで気付くことができなかったのか、自分でもわからなかった。
「ま、いっつもオレが、自分の都合のいい時に押し掛けてたからさー。別に名探偵が何してようが構わないんだけど。変なもてなしとかされても逆に居辛ぇし」
「……いや、だけどな。これは本当オレが悪かったと」
「あ、だからその本読んでていいぜ。オレもやることあるし」
「やること?」
返事もせずに、ひょいっとソファから飛び降りたその手には、いつの間にやら一枚のDVDが握られていた。「使っていいよね」とさも当然のように言いながら、慣れた手つきでテレビ下のデッキをいじっていく。
人の家に来ておいて、映画を見るつもりなのか、この男は。
「……自分の家で見りゃいいだろ」
「え、だってこの家のテレビでっかいし」
怪盗宅のテレビがどれほどの大きさなのか、もちろん工藤は知らない。けれどリビングに置かれた工藤家のテレビだって、規格外の大きさをしているわけではなく。それなりにリビングに相応しい大きさだろうと思う。
「しかも、一人で見る気か」
本を読んでいてもいいということは、そういう意味だろう。
「別に、名探偵も見たいなら見てもいいけど」
「あのなぁ」
見たい映画があるのなら、まず誘いをかけたらどうなのだろうか。一緒に見ないかと言われれば、工藤は喜んでその誘いに応じるつもりだ。けれど、はなから一人で見るからお構いなくなんて態度を取られれば、もちろん面白いはずもない。
「だって名探偵、映画見るよりも本読む方が好きだろ?」
「別にオレだって、映画ぐらい見るぞ」
何も空いた時間を全て読書に費やしているわけではないのだ。ただその時間が圧倒的に多いだけのことであって。
「ふうん」
どうでもよさそうに呟き、その手が流れるようにリモコンへと伸びて行く。人の家のデッキだというのに、全く迷う素振りもない。まあDVDの再生方法など、今どきどのデッキでもさほど変わりはないだろうから、それも当然なのかもわからないが。
ふと、置かれたDVDのケースに目をやった。可愛らしい犬の姿があった。タイトルからするに、盲導犬の話らしい。感動的なその話には、きっと謎も事件も無いのだろう。密室や暗号といったものもだ。
「これでも、見たい?」
にやにやと笑いながら問い掛けてくる、その顔のなんて性格の悪いことだろうか。
「……オメーな」
工藤の趣味でないことなどわかっているのだ。ならば最初からそう言えばいいだろうに。そうはしないところに、全く性格の悪さが如実に表れていると思った。何て奴だろう。心の中で盛大に罵倒する。けれどその言葉が、実際に声になって出てくることはない。
気の回らない自分が何を言ったところで、言葉は自身に返るだけなような気もしたし、そんなことで一々文句を言うこともまた、ずいぶんと子供染みているように感じられたのだ。男の余裕を見せたかった。そんな大それた話ではなかったが。
席に腰かけなおし、ずいぶんとグラスに水滴のついたアイスコーヒーをすすってから、単行本を開く。小さな笑い声が聞こえたような気もしたが、視線を向ければ、そこには澄ました横顔があるだけだった。小憎たらしい。
映画には最初から、可愛らしい子犬が登場している。爆破シーンやアクションシーンがあるようには到底思えない。これならばテレビの大きさなどさして関係ないだろうと思ったが、見る人間にとってはそうではないのだろうか。
わからない。
この状況は、あまりに不可思議すぎるもので。
―――毒薬を飲まされたことから始まった、一連の組織絡みの事件に、終止符が打たれたのは、今からつい数カ月程前のことだ。組織を壊滅させ、解毒剤を飲み、そうしてすぐに終わった程、小さな事件ではなかった。身体が安定するまでにもそれなりの時間を要したし、休学していた学校の単位を修得するのも大変だった。その後も度々事件で欠席を繰り返しているため、今も実は単位的には実に危うい状態だ。
そんな中でも、予告状が出されたと聞けば、都合がつく限りその現場に駆け付けた。けれど一課の警部とは懇意にしていても、二課の警部とはそうではない。現場を追い返されることも珍しくなく、だから最近ではもっぱら、予告現場ではなくその逃走経路に的を絞り、犯行後の怪盗に会いに行くことが常であった。
そう。捕まえようなどと考えていたわけではないのだ。そんな考えは、とっくのとうに遠い彼方へ消えてしまっていた。
ただ、会いに行っていたのだ。
現場でしか、犯行後のわずかな時間にしか、会えない存在だと思っていたから。
『へぇ、面白い』
なぜあんな馬鹿なことを言ってしまったのか、どれだけ頭が沸いていたのか、暑さにやられていたのか、今考えても工藤にはまるでわからない。確かにあの瞬間、頭はだいぶおかしかったのだろうと思う。
それでもそんな、工藤の馬鹿げた台詞に。
実に楽しげに、八重歯を覗かせて、笑った怪盗は―――黒羽快斗と、名乗ったのだった。
黒羽の父親。
恐らくは初代の怪盗1412号。
改めて確認したことはないが、その名前をもちろん工藤は知っている。初代の怪盗が、今はもう亡き存在であることも。
「ガキの頃、親父のことがすげぇ好きでさあ。もちろんお袋のことも好きだったけど、親として好きな以上に、一人のマジシャンとして好きだったんだよな。本当に魔法みたく思えて、親父にできないことなんて何も無いみたいに思えてさ。何せガキだったから、結婚つーのがどういうものかもよくわかってなくて、好きな人とずっと一緒にいられる魔法の言葉みたく思っててさぁ。だから親父と結婚したいって言ったら、あっさり振られちゃったんだよな。もう千影さんと結婚してるから駄目だって」
「……親父さんと結婚って」
「だからー、ガキの頃の話だって」
さすがに恥ずかしいのか、照れ隠しのように笑いながら黒羽は言う。幼少の頃の話だということはわかっている。ただ、幾ら幼少の頃であろうとも、工藤には父親と結婚したいと思った記憶は一度も無かった。考えただけで微妙な気持ちになって仕方が無い。
「……まあ、なんだ。残念だったな」
返答に苦しむ。
「んー、まあ残念は残念だったけど。その後でちゃんと、オレのことも大好きで、一番の宝物だよって言ってくれたから」
だから満足なのだと黒羽は微笑む。父親への愛情が、今も決して消えてはいないことが、一目でわかる笑みだった。何となく居心地の悪いものを感じて、そうか、と呟きながらに工藤はゆっくりと視線を逸らした。
親子の愛情というのは、どうにも気恥しくてたまらない。
そういう年頃なのだと言われてしまえばそれまでだが。身近でこうもはっきりと、親への愛情を示す相手がいないからなのかもしれない。何と言っていいのか言葉に迷う。
「名探偵はいいよなぁ」
「何がだよ」
「え? あんなかっこいいお父さんがいて」
お父さんが生きてて、と言われたら、それこそこの上もなく返答に詰まってしまったところだろうが、そこまで直球に言われることはなかった。けれどこれはこれで、ある意味返答に迷う台詞に違いはなかった。
「世界的推理作家とか、マジでかっこいいよなぁ。オレはまあ、推理物ってそこまで好きなわけじゃないけどさ。でも名探偵の親父さんのは、幾つか読んだけどさ。推理物が好きじゃないオレでも、すごく楽しく読めるんだからさ。やっぱすごいよな」
「小説家なんてこの世にごまんといるし、別にそこまですげぇもんでもねぇだろ」
「だからー、そんなごまんといる小説家の中で、世界的って言われるだけでものすごいだろって……名探偵、親父さんに対してけっこう厳しいよな」
「担当から逃げ回ってる姿ばっか見てりゃ、厳しくもなるっつーの」
黒羽の前で今まで、父親の話を出したことはなかったような気がしたが、今までにも厳しいと思われるような素振りを見せてしまっていたのだろうか。
「そんなもんかなぁ」
「そんなもんだよ」
少し乱暴に吐き捨てた。決して嫌いなわけではないが、それでも自身の父親の話なんて、そういつまでも続けたいものではなかった。幾らかっこいいと褒められようが、息子である工藤には到底そうは思えないのだから。
「ところでな、話を戻していいか」
「話?」
「だから、結局、おまえがキスした相手ってだれなんだ」
話はいつの間にやら逸れてしまっていた。わざわざ逸れた話をまた戻すだなんて、どれだけ気にしているのかと思われたところで仕方ない。実際に気にしているのだから。
「え、名探偵なに」
「なにって、だからな、あそこまで言われたら気になるだろ。付き合ってはないのにキスだけはしたとか、何でまたそんなことになったって……」
「いや、だから、その話は今したじゃん? そりゃすごい好きだったけど、親父とは付き合えないし結婚だってできないし、だからオレが振られたっていう幼少の頃の可愛くも切ない思い出として……」
「いやだから、その思い出は聞いたけどな、それとは別におまえがキスしたのは一体だれなんだって話をオレは―――」
「だから親父」
はっきりとそう口にした後に、ご丁寧にもう一度、「親父だって」と黒羽は同じ言葉を繰り返してくれた。
冗談を口にしている顔ではなかった。
首を傾げながらも、それでも真っ直ぐに見つめる視線を、ただ受け止めることしかできなかった。視線を受け止めることはできても、同じようにその言葉を受け止めることは、今の工藤にはこの上もなく難しいことであったのだが。
「お帰り、快斗」
「……は」
一体どこに、帰ってきたというのだろうか。
名も知らぬ公園の真ん前だ。江古田からは少し距離がある。ここは間違っても黒羽の家ではない。
「あぁ、そうか。お帰りというのは少し早かったか。迎えに来たものだったから、つい」
「は、なん……迎え、って」
「それにしても、久しぶりに飛んだが、やはり身体は覚えているものだね。自転車と一緒で、一度覚えた感覚はなかなか消えないものらしい」
「だ、から……っ!」
満足そうに顎をさすりながらに頷く父親に、黒羽はたまらず声を上げた。父は視線だけで「何だい?」と問い返してくる。けれど、続く言葉を黒羽は持たなかった。ぐるぐると、頭の中で何かが渦巻いていく。
頭上には月が輝き、小さく踏切の音が聞こえる。無意識にポケットに突っこんでいた指先は、硬い宝石に触れていた。今日盗んだそれ。パンドラではなかった、ただの美しいだけの無意味な石ころ。
「今日はどうだった?」
仕事の成果を聞いているようにも、今日は一日どうだったと、ただ尋ねているようにも、どちらにも聞こえる声音だった。そうしてその声は、昔、黒羽がまだ幼かった頃、毎日のように聞かされた声でもあった。
たくさんのことを、その時の黒羽は父に語った。学校で習ったこと。休み時間にドッチボールをしたこと。給食のメニュー。テストの点数。帰りに道端で見つけた虫のこと、それからどんなマジックの練習をしてどこまでできるようになったのか。鳩の世話をきちんとやったこと。母親の手伝いをしなくて怒られたこと。見たテレビの内容を細部に渡って父に聞かせた。今思えばくだらないそんな話を、けれど父はいつも最後までしっかりと聞いてくれていた。
「今日は、面白いことがあったんだよ」
何も語らない黒羽に対し、今は父がそう口を開いた。初めてのことのようにも思えた。
「今日は、私の兄が―――いや、工藤君が訪ねてきてくれてね」
「ごめんごめん、今日はさー、親父と食いに行っててさ」
そう言って、夕方近くになって黒羽が家へとやってきた。
警部に呼び出しを受けた事件を手早く解決し、黒羽に連絡を入れたのがちょうど昼過ぎのことだった。都心に出ていたこともあり、でも食わないかと誘いをかけた工藤に対し、帰って来たのは、『デート中だから無理』という、何ともふざけたメールだったのだ。
駅前まで、馴染みの刑事に車で送ってもらっている最中だったから、何とか平静を保てていたものの。そうでなければ、携帯を握りしめたまま、声の一つや二つ荒げていたかもわからない。
「まさか名探偵から急にお誘いが来るとは思わなかったからさ。いやいつだっておまえからのメールって急だけど。でも、補習が終わったとたん、あちこちの事件に借りだされて、毎日忙しそうじゃん? だからさぁ……」
「おまえにも都合があるんだろうし、別にオレの誘いに乗れなかったことはいいけどな」
問題はそこではない。
「おまえは、親父さんとの外出もデートにカウントしてんのか」
「え? だって好きな相手と、二人でご飯食べに行くってデートじゃん」
「定義的に考えりゃそうだけどな、そこに実の親を含めんじゃねぇっつってんだよ!」
何だか、最近にも似たような会話を交わした気がする。
気の所為ではなく、事実そうなのだろう。全くこいつは、ファーストキスに引き続き何を言っているのだ。心底から呆れる。
「デートっつーのはな、恋人同士が二人きりで出かけることを指すんであってだな、そこに実の親や兄弟なんかは含まれねぇものなんであって……」
「いやいや、名探偵。そのぐらいオレだって知ってるから」
「ほんとかよ」
ぱたぱたと黒羽は右手を振ってくれたが、何とも怪しいものだと思う。ヴァレンタインすら知らなかったと、他ならぬ自分自身でそう言っていたのではないか。
目を細めて見つめる工藤に、黒羽はにかっと八重歯を覗かせながらに笑顔を見せる。
「当たり前だっての。親父がさぁ、ふざけて『二人で出かけられるなんて、まるでデートみたいだね』なんて言うからさ、オレもそれに乗っただけのことであって」
「……ンなこと言う親父って」
それはそれでどうなのだ。
娘相手ならともかく。いや、年頃の娘相手では、余計に問題だろうか。少なくとも、工藤が自身の父親からそんなことを言われようものなら、その瞬間に逃亡をしている。
「まあ親父とのデートだったら、オレはもちろん歓迎なんだけどー」
とたんに頬を緩めてへらへらと笑う、その締まりのない顔は何なのだ。やはり同じことではないかと、工藤は内心で歯噛みする。
どこに行って何を食べてきただの、それがどれだけ美味しかったか父親とどんな会話を交わしたか、そうしてその父親の様子がどれだけ格好良かったかどんな風に素晴らしかったか、黒羽はぺらぺらと喋ってくれた。工藤は何も尋ねてなどいないというのに、次から次へと、全く尽きることなく喋ってくれるのである。
それはもう、今日に限ったことではなく。
「何かさ、昔はオレがガキだったからさー。そりゃ連れてってくれたりはしてたけどよ、普通にそこらのレストラン程度でさ。オレがすぐ飽きちまうから、そんなゆっくりもできなくてさ。でも今はちょっといいとこの店とか連れてってくれるじゃん? お酒飲んでる様子とかさ、昔は家以外じゃ見なかったのにさぁ。何かもう、ワイングラス傾けてる様子がさあ、すげぇかっこいいんだよなー」
ぼうっとした様子で、どことなしか頬を染めて話す黒羽の、その様子は。
完璧に、恋心を抱いていると、そんな風に思えて仕方がなくて。
「……」
何せ十年近く、死んだと思っていた相手だ。離れている間に、ますます思慕が募っていたのだろう。生まれてから今までずっと、父親と一緒にいた工藤には―――実際ここ数年は離れて暮らしているのだが―――わからない感情だ。
[13.08.03]
13.08.18発行 文庫/FCカバー(イラストぺこさん)/234P/\1200