この幼馴染の何て猫かぶりが上手いことだろうか。
 今さらながらに呆れて、快斗はため息をもらしながらその横顔を見上げた。
「オメーさぁ、本当外面だけはいいんだよな」
「……何だよ、いきなり」
 携帯をいじっていた新一は、ぎろりと睨みつけるような視線を返してくる。そんな態度だって、もちろん大人の前では見せないものだ。
「今日さ、オレが暇なら飯食いに来いよって誘った時は、面倒だからパスって言ったじゃん」
「言ったな」
「なのにその後で、オレの親父から誘われたらほいほい来やがって。この尻軽が」
「おい今なんつったオメー」
 すぐさま繰り出された右足を、快斗は持ち前の身の軽さでひょいっと避ける。舌打ちを隠そうともしない新一は、けれどここが黒羽家であるからなのか、それ以上蹴りつけてこようとはしなかった。
「だからな、オレが言いたいのは、何でオレの誘いにはのらねぇくせに、親父が誘った時は優等生面しやがるんだってことだよ。面倒だっつーのなら、親父にもそう言えばいいじゃねぇか」
「普通に考えて、余所の大人にんな失礼な態度取れるわけねぇだろうが……別に用事も無かったしな」
「だったら何でオレが誘った時には断るんだよ」
「お前の誘いに乗りたい気分じゃなかったから」
「ひでぇ!」
 声を上げて叫べば、「うるせぇよ」と言いながら再び右足が降ってくる。今度はそれ程勢いがあるわけではなかったから、快斗は大人しく幼馴染の足蹴をその背に受けた。人のベッドに腰掛けながら、全く何とも態度のでかい奴である。
「……何なんだよなー」
 つまり今日の新一は特別何か予定があったわけではなく、その上夕飯の宛てがあるわけでもなく、かと言って快斗の誘いに乗る気分ではなかったのだ。学校が終わり、一緒に岐路についたその時間までは。
 恐らくその後に再び快斗が声をかけたところで、新一の返事は変わらなかったに違いない。今までにも、そうしたことは往々にしてあった。不満なのは、快斗の親に声をかけられた新一が、『断り切れずにしぶしぶ』やって来たというわけではないことだ。本当に気分が乗らなければ、それこそ適当な言い訳でもつかう奴だと知っている。
「……新一、うちの親のことけっこう好きだよな」
 快斗が誘いをかけても平気で断るというのに、父親が声をかければ二つ返事なのがいい証拠だ。思えば昔からそういった傾向は強いように思える。
「それはオメーの方だろ。オレがいない間にも、普通に家に入り浸ってんじゃねぇか」
「だっておじさんと話すの楽しいし。おば……有希子さんもさ、面白いよな。海外とか女優時代のとか、普通じゃ聞けないような話ばっか聞かせてくれてさ」
「オメーの親の方がよっぽどいいだろ。普通に常識的で」
「自分が非常識の塊みたいなくせして何言ってんだよ」
「……だれがだよ」
「鏡見てみろよ」
 鏡なんて見ずとも、一体何の因果か自分たちの容姿はそっくりだったりするわけなのだが。
 行く先々で事件にぶち当たるその体質は、非常識の塊なんて生易しい言葉では表しきれないものだろう。探偵を名乗っている本人にすれば喜ばしい体質なのかもわからないが、身近にいる快斗からすればたまったものではないのだ。
「そういやさ、オレ、まだこの間の礼も言ってもらってないんですけど?」
「この間?」
「一昨日の補習。しっかり一時間、数式を解いてきたんですけど? 黒羽快斗はそんな必要もねぇのに?」
「あ、一昨日だったのか、補習」
 忘れていたとは一体何事か。
「……あのなぁ」
 ひくひくと米神が動く。幼馴染に対しては、いつだって海のように深く広い心で接する心構えをしている快斗ではあったが、その決意も揺らぎそうだった。いや、事実だいぶ揺らいだ。
 行く先々で事件にぶち当たる体質でもって、新一の欠席率は非常に高い。そうしてぶち当たった事件をその度に見事解決しては、今や日本警察からも一目置かれる立場になっており、難事件の度に警察からお呼び出しをもらっては事件解決に一役かっているというわけなのだ。
 なるほど、確かにそれは人助けになっているのだろうし、新一の将来の夢はもちろん探偵なわけだからして、一つ一つの事件を日々解決していくことは大事なことなのだろうが、そうして目先の出席日数が足りなくなっては元も子もない。いくら警察のお役に立とうが、新一が懇意にしている警部がお礼にと単位をくれるわけではないのだから。
「悪かったな」
「……そんだけかよ」
「ばれてねぇだろうな? 変なことしてねぇだろうな、オメー」
「オレがそんなヘマするかよ。オメーの真似なんて朝飯前……つーか、言うことがそれかよ!」
 だれが放課後にまで、好き好んで数式と向かい合いたいと思うのだろう。
 ここ数日とある事件にかかりきりだった幼馴染が、珍しくも「頼む!」と素直に手を合わせてくるものだから、それならまあ助けてやらないこともないと、二つ返事で代わりに補習を受けてやった結果がこれだ。
「いいじゃねぇか。おかげで事件は無事解決して人質も解放されたし、オレの数学の単位もひとまず安泰だろ」
「えぇ、えぇ。人質が解放されてまた一つ日本に平和が戻って来て、本当にようござんしたね」
「なに拗ねてんだよ」
 本当にわからないのだろうか。
 普段あれだけの博識と推理力を披露している男の台詞とは思えない。幼馴染の心の機微がわからないのかこの唐変木は。
「……あのな、オメーはもう少し、せめて人並みぐらいには俺に優しくすべきだろ」
「はあ?」
 心底からわからない、と言うかのように声を上げられたものだから、さすがに少し腹が立った。
 カーペットから腰を上げ、同じようにベッドに腰掛けると見せかけて、その肩を押した。不意をつかれたのだろう、実にあっさりと新一の身体はベッドの上に沈みこんだ。驚いた顔を見て、ほんの少しだけ溜飲の下がる思いだった。
「おい、いきなり何……」
「ほんと、普段のお前ってオレに対して冷たいよなぁ。ベッドの中じゃそうでもねぇのに」
「ばっ、何言って……!」
「この間だって、最後は素直にオレにおねだりしてきて、そりゃもう可愛かったっつーのにさ」
 見えない位置にこっそりと付けた痕は、もちろんもう消えてしまっているだろう。この間と言っても、もう軽く数週間は前のことだ。
 健全な男子高校生の欲求は、もちろんこの数週間の間にすっかり溜まってしまっているが、お互いに実家暮らしともなるとなかなか上手くはいかない。それでもやりようなら幾らでもあるにはあったが、何せ相手がそれに協力的ではないときているからまた難しいのだ。
「この、バ快斗っ! 離しやがれ!」
 今も押し倒された新一は、起き上ろうと一人必死にもがいている。体格は同じでも、一度押し倒してしまえば後は圧し掛かった方が当然有利になる。
 それがわからないわけでもないだろうに、それでもベッドの上で一人暴れる新一に、快斗はにっこりと微笑みかけた。
「いいじゃねぇか。新一もそろそろ溜まってんだろ? ヤろうぜ」
「……何言ってんだ、アホかてめぇは! 寝言は寝てから言え!」
「寝言じゃねぇよ。恋人相手にその気になって何が悪いんだよ」
 ブレザーはもう脱いでいたから、あとはネクタイを外してその下のシャツを脱がすだけだ。暴れ続けるその腕を、ネクタイで縛りあげるのも一興かもしれないと、そんなふざけたことを考えた瞬間に、脇腹に鈍痛が走った。
「……ってぇ」
「ふざけんのも、いい加減にしやがれ……っ!」
 両腕をしっかり押さえこんでいるからと油断していた。
 そうだった、この男の武器はその頭脳に秘めた推理力と、そうしてサッカー仕込みの脚力なのだった。それを思い切り脇腹に食らわせられれば、さすがの快斗も腹を押さえてベッドの上に倒れ込んだ。
「……お前、少しは手加減しろって……マジ痛ぇぞこれ!」
「オメーが場所も考えずに盛るからだろ……!」
「ベッドの上だろ。人前でもねぇし、何が悪いんだよ」
「下にはお前の両親がいんだろうがっ!」
 吠えるように―――けれど下の両親を気にしてか、それなりのボリュームで―――叫んだ新一は、乱れたネクタイを片手で押さえつけた。落ちつきを取り戻そうとしているのか、ゆっくりと息を吐くその様は、恐らく新一は微塵にも気づいていないのだろうが、快斗の双眸にはずいぶんと艶やかしく映る。乱れた制服の所為なのかもしれない。
「……今度ばれるような真似したら、もう二度とこの家には来ねぇからな」
 夕飯はまだできていないだろうに、逃げるようにして新一は部屋を後にしてしまった。追いかけても良かったが、新一の機嫌と自身の腹の痛さを考えて、ここは放っておくべきだろうと快斗はベッドにごろりと転がった。
 もう少しで夕飯に呼ばれるだろうこのタイミングで、本気で新一を押し倒そうと思ったわけではなかった。少しからかうだけのつもりで、まさか腹を思い切り蹴られることになるとは思いもしなかったが。
「……お互いに癖のある親を持って、隠し通せてると思ってんのかねぇ、あの探偵君は」
 十中八九ばれている。
 自身の、または新一の両親に何かを言われたことはなかったが、快斗はそう信じて疑っていなかった。その上で、知らないフリをしてくれているのであれば、まあ当分はそれに甘えておこうと考えていた。幼馴染で、それも男同士でこういった関係になってしまったことに対する居心地の悪さも多少は感じていたし、何よりそれを知れば、新一は恐らく本気で家出を考えるぐらいの動転ぶりを見せるだろうとわかっていたからだ。
「自分のことだけには妙に疎いっつーか、鈍感というか……」
 まあ、そんなところが可愛くて仕方ないのだけれど。
 今頃はリビングで父親と顔を合わせているのであろう新一が、少しは機嫌を治してくれていますようにと、快斗は小さくそう願った。


   *


「新一君?」
 足はいつの間にか止まってしまっていた。
 どこに行こうかと、どうしようかと、ぼんやりと考えこんでいた新一の耳に、一つの声が飛び込んできた。
 気がつくと、雨の勢いは増していた。ぽたぽたと、前髪から滴が垂れる。その向こうに、ダークグリーンの傘が見えた。持ちあがった傘の内側から覗いた、馴染み深いその顔は、静かに双眸を見開いていた。
「どうしたんだい。びしょ濡れじゃないか」
「あ……」
「傘を忘れたのかい?」
 当然のように傘を差しだされる。足元には水たまりもできているだろうと思うのに、足音もほとんど聞こえないのが不思議だった。快斗もそうした面がある。
「一体、どこから歩いてきたんだい。大丈夫かい?」
「……盗一さん」
「持っていてくれるかな」
 押し付けられた傘を、反射的に受け取ってしまった。何をするのだろうと、ただ眺めることしかできない新一の制服を、自由になった両手で盗一は素早く脱がした。
「あ、あの」
 雨を吸いこんで重たくなったブレザーを脱がされ、身体は一気に軽くなる。今さらながらに、少しばかりの肌寒さを感じた。いや、気づいたといった方が正しいのかもしれない。
 濡れたブレザーを手にしたまま、盗一は自身が来ていた背広を脱ぐ。そうして背中にかけられたその背広に、新一はただ目を丸くした。突然のこの状況を、理解することができなかった。
「盗一さん、あの」
「こんなに濡れた服を着ていては風邪を引くだろう。家に帰るまでの間、それを着ていなさい」
「あ、ですけど……だって、それじゃ、盗一さんが冷えて……」
「私のことを心配している場合かね?」


 腹が焼けるように熱い。
 心臓の鼓動と傷口の痛みは、まるで連動しているかのように身体を痛めつけた。脂汗を滲ませながら、どうにかならないものだろうかと心底から思い、けれど同時にこれが生きている証なのだろうとも思うのだ。
 我ながら大袈裟だと、自嘲気味た笑みが漏れる。そんなくだらないことを考えるぐらいにはまだ余裕があり、そんなくだらないことを考えずにはいられない程には、耐えきれぬ痛みだった。それでも死ぬようなそれでもなければ、救急に飛び込む程の怪我でもない。一般人にとってはそうかもわからないが、そもそも一般人であればそうそう包丁で腹部を切りつけられることもないだろう。
「あー、次の交差点を左に曲がって大丈夫ですか? それともそこを越えてから曲がった方が……」
「……お任せします」
 怪我をしていることを悟られたくはなかった。止血はしてあるし、匂いでばれることもないだろう。高校生がこんな夜中に、怪我をしてタクシーに飛び乗るだなんてどうかしている。それがいくら、探偵として世間を騒がしている存在であってもだ。
 夜の道を、タクシーは滑るように走って行く。時たまバックミラー越しに視線を感じるのは、恐らく今乗せている客が工藤新一であると、運転手にもとうにばれているからだろう。
 米花町二丁目二十一番地まで、と小さく告げた。名前は一度も出さなかったが、その住所がどの名前を指しているのか、それこそとうに知られているのかもしれない。新一自身の名によってではなく、元から世には両親の名前が広く出回っているのだから。年配の運転手ともなればなおさらだろう。
「大変ですね。今日は、お仕事ですか?」
 制服すら着ていないが、新一の外見は二十歳以上に見えるものではない。それなのに、そんな問いを投げかけられる。
「……えぇ、まあ」
「ご活躍は、よくテレビで拝見していますよ」
 もしかしたら、この運転手は新一に、何か事件について語ってくれることを期待しているのかもしれない。口調からしても、工藤新一に好意を抱いていることはすぐにわかった。
 いくらテレビでその名を馳せていようが―――いや、馳せているからこそ、世の中には新一に好意を抱く人間ばかりではない。特に年嵩の人間になればなるほど、「まだ高校生のガキが」と、そうした態度を取ることも珍しくはない。
「ありがとうございます」
 常であれば、特別疲労を感じていなければ、少しばかり運転手の世間話に付き合うのも悪くはなかったかもしれない。けれど今は、到底無駄口を叩ける状況ではなかった。見えないようにそっと腹部を押さえながら、新一は小さく目を伏せた。運転手にはきっと、眠ってしまったように見えたことだろう。
 わずかな車の揺れが、傷口に響いて痛かった。ともすれば漏れそうになるうめき声を、必死に噛み殺しながら息を漏らした。道が混んでいないことが幸いだった。ほどなくして、車は自宅の前へと静かにとめられた。
 財布には生憎と万札しか入っていなかった。お釣りを受け取る時間すらも惜しく思えたが、一応は高校生という身分で下手な真似もできず、差しだされたお釣りをそのままポケットに突っ込んでから、新一はタクシーを降りた。
 そのまま、タクシーは再び夜の道を走りだす。見送るようにして、新一もまた歩き出した。自宅の門はすぐ目の前にあったが、そこをくぐる気にはなれなかった。両親はいない。家に帰り、救急箱一つでどうにかなる傷だとは思わなかった。
 隣の家の門を叩き、ドアを叩いた。鞄の中には合い鍵も入っていたが、今はそれを探すことすら億劫だった。傷口は熱い。なのに身体は冷えている。少し血を流し過ぎたのかもしれない。
「……工藤君?」
 慣れ親しんだ声が聞こえた。
 この状況を、とりあえずは説明しなければならない。そうして手当を頼まなくては。そうわかっているのに言葉が出ない。ただ視界が白黒になる。
「工藤君。……工藤君っ!?」
 焦った声を聞くのは珍しい。そう思えば、少し面白おかしい気分になったが、そうさせているのは紛れも無い自分自身なのだった。
「……宮、野」
 悪い、と。
 こぼれたその言葉を最後に、新一は意識を手放した。


 騙したのだろうか。
 ―――なんて。
 自分が思うことではないのだろうと、わかりながらも、そんな響きは十分に声音に交じってしまっていたのかもしれない。快斗はわずかに顔を歪めた。そんな気がした。
「ちげーよ。行く途中で、相手が急にバイトが入ったって……風邪で休んだ友達の代わりにって……そんで予定が無くなって。だから、帰る前にこっちに寄ったら。そしたら」
 快斗の顔がさらに歪んだ。
 泣きそうな顔だと、反射的に思った。
 けれど泣き顔なんて、もうここ数年は見ていない。互いにそうだろう。思春期の男が、そう簡単に泣き顔なんて見せるものではない。見せるものではないのだ。
「……出かけてなかったんだな」
 絞り出すような声だった。その奥底に潜んでいる感情に、気づきたくなくて耳を塞ぎたい衝動に駆られた。けれど実際には、両手はぴくりとも動かなかった。
「今帰ってきたって様子じゃねぇもんな。さっき電話したばっかで、どんな魔法を使ったら大阪から帰ってこれるっつーんだよ」
「……快斗」
「事件だっつってたよな、お前。捜査でしばらく帰れねぇって……。丸きり信じたオレがバカだったよ。だってそうだろ? お前にそう言われたら、疑う余地なんて何もねぇんだよ。言われるがままに、はいそうですかってオレはお前の言葉をそっくりそのまま鵜呑みにしてたんだよ。欠片も疑うことなんてなかったんだよ。だって新一、お前がそう言うからさ。オレは疑う必要なんてないんだって、今の今まで思ってたんだよ」



 とりあえず、あの幼馴染がいれば退屈だけはしない。
 それは昔から、何も変わらない新一の日常の一つだった。
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幼馴染快新、かつ盗一さん生存パロの、それぞれの父親を交えた同設定短編集です。
冒頭1話と、その他の話を適当に抜粋。シリアス要素が多少強め。

...12.06.16