1.(K快)
風呂から上がった後にそれに気付いた。
オレとしたことが、うっかりパンツを忘れてしまった。パンツだけではない、着替えを丸まる一式忘れてしまった。何てことだ。
「あれまあ」
自分のうっかり具合には呆れたが、下校途中でいきなり雨にやられたのだ。それはもう、帰宅と同時にシャワーに直行することしか頭に無かった。おかげで廊下がびしょびしょだが、その中着替えを取りに自室に行けば、被害が二階にまで及んでしまうということだ。それを思えばパンツの一枚や二枚ぐらい。
「まあいっか」
オレは思春期の女の子などではなく、思春期の男の子だったので、特別気にせずがしがしと頭を拭きながら脱衣所を後にした。
家にはだれもいない。母は買い物にでも出かけているのだろうか。この雨にやられていなければいいのだが、そういえば車も無かったから、その心配はいらないだろうか。
さっきまでの不快感が嘘のように、今はさっぱりとしている。家に辿りつくまでが不快指数百二十パーセントであったから、その対比で余計に気持ちがいい。
鼻歌交じりに冷蔵庫を開け、手に取った牛乳パックがさほど重たくなかったから、オレは直接口を付けてごっきゅごっきゅと飲み始めた。成長期の男の子にとって、牛乳は大事なお友達なのだ。
と、残りの牛乳があと何口となったところで、玄関から物音が聞こえた。母が帰ってきたのだろうか。となると少しまずい。この格好を見られたら、さすがに小言の一つや二つくらいそうだ。牛乳を直に飲んでいることも。
けれどすぐに気づく。車の音は聞こえなかった。
「快斗、帰っているんですか?」
案の定、すぐさま聞こえてきたのは、オレとよく似た声だった。それは家族や他人にそう評されるというだけであって、オレからすればオレとそいつの声は違う。自分の声は、自分自身には違って聞こえるというあれだ。
「おー」
オレは再び牛乳パックに口をつけながら答えた。
「突然の雨でしたけど、大丈夫でしたか。携帯に連絡を入れたんですが、返事が無かったので……」
おや、それはまた気がつかなかった。
その時オレは雨の中を走っていたか、あるいはもうとっくにシャワーを浴びていたのかどちらだろう。
「あー、悪い。気付かなかった」
「いえ、先に帰っていたのならいいんです」
心の広いところは美徳と言えるだろう。さすがはオレの片割れ。オレにそっくりだ。
うんうんと満足をしたオレは、そのまま台所に顔を覗かせたその片割れに、ひらひらと片手を振ってみせた。次の瞬間、そいつはあんぐりと口を開けた。
「……な、な……っ」
「よー、お帰りー」
「なっ、何をしてるんですか、あなたは……っ!?」
「見ての通り、牛乳飲んでる」
2.(新快)
工藤はまだ眠っていない。それは気配でわかる。こんな時に、例えば工藤が煙草の一本でも吸ってくれれば、それをきっかけに声がかけやすかったりするのかもわからないが、生憎とオレ達には喫煙の趣味は無い。オレは必要に応じて吸うこともあるが、基本的には煙草の類は好まない。健康に悪いだの何だのという話ではなく、純粋にあの苦みが好きにはなれないのだ。
でもそれを言えば、かつて一度だって、男を好きになることや、男に抱かれることなんて、オレは考えたこともなかった。今は苦手な煙草も、そう思えばもしかしたら将来的には、好きになっている可能性があるのかもしれない。ヘビースモーカーになっていたりも。
「……いや、無いなぁ」
無限に広がる可能性は理解していても、今現在の意識というのも捨てがたい。思わず口から零れた台詞に、当然反応を返さない工藤ではなかった。
「……何が?」
どうにも不機嫌な声音に思えた。ただ単に、オレの呟きが突然であるから驚いただけだったのかもしれないし、疲れているため、そんな声しか出なかったのかもわからない。
別にオレだって、この状況でハートマークを散らさんばかりの、そんな甘ったるい声を求めていたわけではないけれど。そうではないけれど。
否定的な台詞というのは、総じて相手にマイナスなイメージを抱かせるものだ。とくにこんな場面とあってはなおさらなのかもわからない。内心で慌て、けれどそれを表面上には出さずに、オレは努めてのんびりとした声で返した。
「いや、煙草の話ね。喫煙はやっぱ、オレとしてはないなーって」
「何で急に煙草の話だよ」
「んー……こういう状況で、煙草吸ってる男って、何か様になるなあって?」
「どこの洋画の影響だよ。それ、一番女に嫌われるパターンだろ」
洋画の影響であることは否定できない。が、続いた言葉は何だろうか。一般論なのか、はたまた工藤の経験論なのか。女の子というのは時に繊細で時に大胆で、男であるオレからすれば予想もつかない思考回路を持っている生き物だから、どうしてそこまで煙草を嫌悪するのかわからなかった。オレに喫煙の趣味はないが、けれど煙草を否定するわけでも嫌っているわけでもないのだ。
「そうなの?」
「煙草吸ってる暇がありゃ、その分一つでも愛の言葉を囁けっつー女は多いだろ」
「ふうん」
だからそれは。
一般論なのか、はたまた工藤の経験論なのか。
けれど、想像することは難しくはなかった。女性とベッドを共にする時には、もちろん本番の行為もだけれど、その後のピロートークが重要だと聞く。言うまでもないが、オレの場合は一般論、もとい聞きかじった知識でしかない。こんなことなら多少は経験を積ん
でおくべきかとも思ったが、同時にそれも何だか違う気がした。
「愛の言葉」
「……何だよ」
「名探偵は―――」
そういう愛の言葉を、だれかに吐いたことがあるわけ?
[14.10.17]
14.05.04発行/14.10.12完売 A5/コピー/36P/\300