聞き慣れたパトカーのサイレンは、もうだいぶ遠い所に向かっているようだった。それがこちらを油断させる為のものなら大したものだが、直情的なあの警部に、そんな頭は無いだろうと判断して息をつく。
「……こちらとしちゃ楽でいいけどね。専任警部があんなんで、全く日本警察は大丈夫なのかねぇ」
つい心配になってしまうのは、やはりあの警部が幼馴染の父親だからだろうか。キッド逮捕への情熱は嫌という程知っている。それがいささか空回りしていると言えなくもなかったが。
降り立った適当なビルの屋上で、遠ざかる赤いランプの光りをキッドは遠目に眺めていた。あれが全て消えたら、ここからずらかるとしよう。夜風は身体に冷たいが、犯行後の高揚感だろうか、それほど辛いとは思わなかった。
頬を撫でる風は冷たいが、指先が満足に動けば問題はない。むしろその冷たさこそが、今自分がどこにいるのか、何をしているのかを、明確に知らしめてくれる標のようなものにこそ思えた。夢と現実の境目のような感覚なのだ、まるで。
それ程、そう、何の障害もなく終わるショーというのは、夢のようにすら思えるものであって。
「……名探偵、最近来てくんねぇからなあ」
退屈だ、と無意識にも思えば、浮かぶのは小さな探偵の姿だった。厄介だと思うことも多いにあるが、それでもあの探偵の存在は多いにキッドを楽しませてくれていた。障害は多ければ多い方がいい。その方が達成感があるだなんて、思う自分はまたどうかしているのか。専任警部に聞かれれば、また顔を真っ赤にして怒鳴りそうだと、思いながらにくつくつと喉を震わせた。
「ま、あちらは怪盗専任の探偵じゃねぇし、仕方ねえんだろうけどさ」
自身に言い聞かせるようにして呟く。
刺激が足りなくていけない。そんなことを思ったからこその、それは幻聴だったのか。
「……へぇ。オレがいなくて物足りないっつーんなら、今すぐにでもおまえを監獄にぶち込んでやろうか?」
「……なっ」
幼さの中に、けれど凄味を含んだ声音。
とっさにトランプ銃を握っていた。振り返り様に突きつける。ポーカーフェイスをかぶっていても、その反応に余裕なんてものは見えなかったことだろう。だからこそ相手は、満足そうな笑みを浮かべて、柱に寄りかかっていた。
「―――なーんて、あの小生意気な小僧なら、言うところなんじゃあねえの?」
長身かつ細身な体躯は、決して小学生のそれではなかった。あの探偵が、元の身体を取り戻したというわけでもない。一瞬にそれを悟り、だからこそ、手にした銃を下ろせるはずもなかった。
「……どうにも声真似がお得意な様子で」
「ま、年の甲っつーのかねぇ。でもよ、おたくだって得意なんだろ? 声色無数、変幻自在、まさに神出鬼没の大怪盗ってな」
「あなたにそうまで評価して頂けるとは、まさに光栄と言うものですね」
「……ったく、思ってもねぇくせによお」
つまらなさそうに、けれどどこかおかしそうに、男は頭をかきむしる。隙だらけな態度だ。だからこそ警戒心が呼び醒まされる。こんな近くにいたことも、まるで気付かなかったなんて―――相手があの探偵であれば、とっくに麻酔銃の一つや二つ、打ち込まれていたところだ。
「にしてもよぉ、月下の奇術師さんとやらが、ちょおっとばかし油断しすぎなんじゃあねえの? 背後ががら空きだぜ?」
揶揄するように男は笑う。その手が懐に伸ばされたのを見て、わずかにキッドは指先に力を込めたが、取り出されたのは馴染みのない銘柄の煙草だった。静かに火をつけ、美味そうに咥える。
「相手があなたともなれば、私がどれだけ警戒しようとも、背後をつくなど簡単なことでしょう?」
「その芝居がかった口調は、どうにかなんねぇもんなの? おたくといると、背中がむず痒くてたまんねぇわ」
「おや、私は大怪盗であるあなたに、私なりの敬意を払っているだけですよ。―――ルパン三世」
名前だけは耳にしていた。自分が物心つく前から、世界中を騒がしていたその名前は。
その頃には、まさか自分が将来怪盗になるなどとは思いもしなかったし、こうして怪盗服に身を包んだ今も、対面を果たすことになるとは思わなかった。世の中は、何とも意図しない方向にばかり進むものである。
「敬意、ねぇ」
何とも胡散臭げに男は呟き、けれどすぐさま、煙草を咥えたその唇の端をにやりと上げた。
「まあ俺も、あんたにはそれなりの敬意は払ってるぜ?」
その右手が、先ほどしまったばかりの小さな箱を再び取り出す。まるで旧友のような気安さで、それをこちらへと向けてくる。
その気になれば、吸えないことはない。喫煙者に変装する時には、最近では煙草を吸うことも忘れない。以前一度、それを指摘されたのだ。同じ過ちを二度繰り返すわけにはいかなかった。
「遠慮しておきます」
それでも敢えて吸いたいものではない。そんな演技をしたところで、通用する相手とも思えなかった。キッドの返答を予想していたのだろう、男は面白そうに笑った。
「品行方正な高校生としては、未成年喫煙はまずいってかぁ?」
小さな笑い声が辺りへと響く。ポーカーフェイスを保つことが、これだけ難しい相手というのもまた珍しかった。あの探偵を相手にしている時とはまた違う。
どこから正体がばれたのか、どこまで正体を掴んでいるのか。
世界を股にかける大怪盗だ、それこそその情報網は計り知れないものだろう。キッドとは違い、裏社会でのみ生きる男だ。情報なんて、そうして真実なんて、探ろうと思えばいくらだって探る手段などあるものなのだ。
そう、例えば、自分があの探偵の正体を知っているように。
一番考えやすい線としては、初代のキッドの存在を、この男が知っているということだろうか。それさえ掴んでいれば、今のキッドの正体を探ることは、この男には朝飯前なことだろう。
そういう男なのだと、キッドは思う。多くを知っているわけではない。それでも、こうして顔を合わせていれば、わかることもまた多い。
「品行方正な高校生は、盗みなどは働かないものですけどね」
「ふうん? 自分は高校生じゃねぇとか、そういうことは言わねえわけ?」
「あなたにそんなことを言ったところで、それこそ無駄というものでしょう」
「……その澄ました態度がなぁ。なーんかうさんくせぇっつーか、怖ぇんだよなあ。あの探偵坊主とは違ってよお」
「それはそれは」
[14.03.20]
14.01.12発行/14.03.16完売 A5/コピー(表紙イラスト鹿野さん)/\200