寝ても醒めても


【 けもみみパラレル 】

 そろそろだ、とはわかっていたのだ。
 身体全体が熱を帯びる。最初は風邪だろうかと思ったその症状が、そうでないことを、既に新一は知っている。
 大人になったのだ、と言ったのは、新一の育ての親でもあるキッドだった。この身体を包む熱が、妙な感覚が、即ちどうして大人になったということなのか、新一にはさっぱりわからない。大人になったと言うだけで、変わらず子猫扱いされていることも含めてだ。
 もちろんある日、ある瞬間を境に、子猫が突然大人になれるとは、新一だって思っていない。
 相変わらず毛繕いは下手だし、料理だって作れない。背だって伸びていないから、高いところの物を取る時には、キッドの手を借りなければならない。
 悔しいが、やはりキッドと比べて、自分が大人に近づいたとは思えないのだ。けれど『これ』は、この身体の熱は、確かに大人になった証なのだという。
 さっぱりわけがわからない。
 わからないと思うことも、また子供の証であるような気がして。
「……どう、しよ」
 漏れる息が熱い。
 これがどういったものであるのか、どうして大人になったということになるのか、そんなことはどうでもいいのだ。
 予定よりも早く、今回の周期を迎えてしまった―――発情期が来てしまったのだ。
 昨日から、身体の火照りは感じていた。そうしてあと数日もすれば、到底火照りなどとは呼べない、本格的な熱が襲ってくることはわかっていたから、ならば今日の内にたっぷり出かけておこうと、そんなことを考えた結果がこれだ。
「……んっ」
 奥底から沸き上がってくる、妙な感覚。
 どうしてもこんなにも、身体が疼くのかがわからない。その疼きを、とくに腰の辺りに感じるが、具体的に何がどうなっているのかわからない。この変化に、まだ新一は戸惑うばかりだった。自分の身体が、まるで自分ではなくなってしまったかのような。
「キッド……」
 こんな時に呼べる名前を、新一はそれしか知らない。
 普段であれば、呼ぶ必要もなかった。いつだってキッドは傍にいて、新一の変化に敏感だ。新一自身が気づかない、ほんのわずかなかすり傷にさえ、目敏く気づいてしまうのだから驚きだった。
 周期には気をつけなさいと、あれだけ言われていたというのに。
 どうして今回に限って、こんなにも早くやってきてしまったのだろう。
「キッド……キッドぉ……」
 うずくまったまま、動くことができない。
 家に帰らなければとは思うのに、それでも身体が動かない。いや、動かそうとすると、とたんに激しく奥底が疼くのだ。
「……ん、ぅ」
 じっとしていてさえ、その波は襲ってくる。
 近くの木にもたれかかるようにして、はっと口から息をもらした。
 水が欲しかった。喉が渇いている。それに、冷たい水を浴びると、絞ったタオルで身体を拭いてもらえると、それだけで少しは身体が楽になるのだ。
 けれど辺りを見回しても、当然小川などは見つからない。  身体をわずかに捻って見回した、たったそれだけの動作にも、痺れにも似た何かが身体を這いあがってきた。
「……んぁっ!」
 抑え込むようにして地面に倒れる。三角の両耳が、ぴくぴくと動いていることが自分でもわかった。尻尾をぎゅっと身体に巻きつける。
 ただただ、キッドの名前を、大好きな親猫の名前を、心の中で呼ぶことしかできない。
 身体の静め方なんて、まだ新一は何も知らなかった。
「んっ、ん……っ」
 だからただ、口からは熱い吐息が零れる。込み上げる波を、その瞬間を、流すことだけで精一杯になっていた。そうしている間にも、日は少しずつ傾いて行く。
「……こりゃあ驚いた」
 両耳がぴくりと震える。
 耳の先までが熱い。幻聴かと思ったが、違った。
 キッドではない。快斗でも、スペイドでも。新一の知っている声ではなかった。
「……あ」
 そろそろと顔を上げる。流れた汗が目に入って、小さく痛んだ。
 おかげで視界が悪い。熱に浮かされた頭では、そこにだれがいるのが、どうしてここに見知らぬ猫がいるのか、考えることなんて到底できやしない。
 だってここは、キッドの縄張りで。だからまだ大人ではない新一も、自由に歩き回ることができるわけで。
 あぁでも、そういえば。森の端には、行ってはいけないと言われていたような気もする。時期によっては、旅人がそこを通ることもあるからと。縄張りとはいえ、よそ者が、他の猫が、一歩も足を踏み入れないわけではないのだ。
「すげぇ匂いがぷんぷんとするから、どんな雌猫がいるかと思えばなあ」
「……オレ、は……」
 雌猫ではない。断じて違うと言ってやりたい。
 けれど言葉が声にならない。目の前にしゃがみこんだその猫は、ぐいっと新一の顎を掴み上げた。喉元を、思い切り相手に晒すような形になる。
「子猫か。……見た感じとこの匂いじゃ、まだ発情期を覚えたて、ってとこだな?」
 もう片方の手が、するりと新一の首筋を撫ぜる。
 常ならば、ただくすぐったさが、あるいは不快感が身体を走るはずだった。
 けれど今は違う。熱に支配された身体は、どんな些細なそれすらも、とたんに波を引き起こしてしまうのだ。
「……んあぅっ!」
 腰にじん、と一際強い熱を感じ、新一は大きな鳴き声を上げた。離してくれと言いたいのか、そうでないのか、自分では何もわからなかった。
「……悪くないな」
 思考がどこかを漂っている。
 荒い呼吸を繰り返すことしかできない。一度ぎゅっと目をつぶれば、開けることすら億劫に感じられて仕方なかった。笑い声が近くで聞こえる。
「母猫の顔が見たい程、こりゃまた、極上な子猫だな」
 ついてるぜ、と。
 目を瞑っていても、思考がどこかを漂っていても、けれどはっきりと、舌舐めずりをした音だけは、新一の両耳に届いた気がした。



【 年の差ツイッター 】


 ―――黒羽:今日の夕飯はオムライスです RT 今日は何を作るんですかぁ?

 そんな風にして、今日の黒羽さんのツイートは始まっていた。
 ツイッターの呟きに、『始まっていた』と表現するのも少しおかしいのかもしれない。つまりはまあ、私が早めの風呂を終えて缶チューハイを取り出して、パソコンの前に座ってツイッター画面を開いた時に、初めて見つけた今日の黒羽さんの呟きがそれだったという話だ。
 黒羽さん、とは言っても、ご近所だったりかつてのクラスメイトだったり、友人の黒羽さんとはいかない。
 何せ相手は芸能人だ。テレビの中のお人だ。もっと詳しく言うのならマジシャンだ。
 つまりは雲の上の人なわけで、私はただの一ファンで、だからこそ毎日こうしてツイッターなり雑誌なりニュースなりで、彼の人の動向を追うしかないのだった。でもそんな生活に不満は無い。芸能人とファンの関係なんてそんなものだからだ。
「ほうほう、オムライスねぇ」
 いつだったか、料理番組のゲストに招かれた際にも、そういえばずいぶんと手際が良かったことを思い出す。マジシャンだから手先はもちろん器用なのだろう し、料理が得意なことは、黒羽快斗ファンならだれしもが知るところだろう。雑誌やプロフィールなどで公言しているわけではないが、ツイッターを見ていれば そうとわかる。便利な時代になったものだ。

 黒羽:僕も好きだし、それにうちのが卵料理が好きなので

 ちょうど時間に余裕があるのだろうか。ファンからの質問リプライに、黒羽さんはそう丁寧に回答していく。
 その呟きを見ながら、出た出た、と思いながらに、私は缶チューハイを傾けた。
 そう毎日毎日、こうした呟きを見るわけではない。けれど決して頻度は低くはない。そのキーワード、即ち『うちのが』―――あるいは『新一』。
「……お姉ちゃんキモイ」
 通りすがった妹が、私の顔を見ながらそんなことを言った。
 リビングでただパソコンをしているだけで、どうしてそんなことを言われなければならないのか。仮にも妙齢の女性に対してきもいとは何事だ。
「ツイッター見てるだけなんですけど」
「ツイッター見ながら、にやにやにやにやしてることが気持ち悪いの」
「いやしてないし」
「いやしてるから言ってんの」
 今度写真撮ってあげようか? とまで言われて、私は口を噤んだ。噤みながらに酒を煽る。
 こんなことを言われるのは、悲しいかな、初めてではなくて。自覚はなかったが、妹が言うならそうなのだろう。引き締めるように片手で頬を軽く叩いてみたりなんかした。
「や、でもね、でもね、今日も黒羽さんが可愛くてね」
 こんな発言すらも、もしかしたら他のだれかが聞けば、同じくきもいと言うのかもわからないが。
「黒羽さんはいつだって可愛いし」
 その点うちの妹は、同じく黒羽快斗ファンなのだった。と言うよりも、先に妹がファンになり、その話をどれどれと聞く内に、いつしか姉である私も……というパターンだった。
「いやでも今日のツイートはいつも以上に可愛くて!」
 そう言えば、妹はペットボトルを手にしたまま、いそいそと私のパソコン画面を覗いてくる。芸能人なんて黒羽さんぐらいしかフォローしていないし、後は友 達や知り合いや気に入りの店やその辺りしか並んでいないタイムラインだ。妹は何でか、ものすごくフォロー数が多い。見辛くはないのだろうかと私はいつも 思っている。
「へぇ。黒羽さん、今日はオムライス作るんだ」
「そう。でさでさ、黒羽さんも好きだからって言ってるけど、これって新一君が好きだから作るわけでしょ?」
「一緒に暮らしてるんだしね。黒羽さん面倒見いいし、いつも作ってるでしょ」
「新一君のさー、好きな物を作ってあげる黒羽さんがさ、本当可愛いよねえ!」
「……だから、一緒に暮らしてるんだし、相手の好きな物を作るのって普通じゃない?」
 先に黒羽快斗ファンになったのは妹の方だというのに、妹は少しばかり冷めている。
 いや、冷めている、と言っていいのかはわからないが。
「それにさぁ、新一君て高校生でしょ? ならなおさら年下の好みに合わせるのは当然じゃないの」
「……いやそうかもしれないけど」
「お姉ちゃんはね、色物目線で見過ぎ」
 だからきもい、と、きっぱりはっきり妹は言ってくれるのだ。自分でも自覚していることだからこそ、何とも言えなくなってしまう。
「……だってさぁ」
「だっても何もないし。つーか黒羽さんのこと、そういう変な目で見るの止めてくれない? マジで」
「いやでもさ、黒羽さんと新一君、仲いいじゃん? すごく仲いいじゃん?」
「仲いいから一緒に暮らしてるし、面倒見てるんでしょ」
「いやまあ」
 そうなんだけど。
 確かにその通りなんだろうけど。
 すばずばと返ってくる答えに、私は口を開くものの、返す言葉に困ってしまう。困るとついつい手が缶に伸びる。とりあえずお酒は美味しい。いいことだ。
 ペットボトルを飲みながらに、テレビをつけながらに、妹はテーブルの向かい側に腰を下ろす。
「あ」
 そんな妹の動作を見守っている間に、またツイートが増えた。

 新一:@黒羽 オレのオムライス、ホームズにして
[13.08.18]
13.06.30発行(14.01.12完売) A5/コピー/24P/\200
けもみみK新パラレル(モブ新要素あり)と年の差ツイッターSSの二本立て。