勉強をして漫画を読んでゲームをして、夕飯前に友人は家へと帰って行った。玄関先まで見送ってから、くるりと踵を返して部屋へと戻る。いや、戻ろうとした。
「快斗、ちょっと」
リビングから、キッドが顔を出して手招きをしていた。ほらきた、とオレは思い切り顔を顰める。ポーカーフェイスなんてどこへやら。
「……えー、なにー?」
「少し確認したいことがあるだけですよ」
「あのさあ、その青子以外の友達が来た時の、根掘り葉掘り根掘り葉掘り根掘り葉掘りもうマントルにまで行っちゃうんじゃないかってぐらいあれこれ聞いてくるの止めてくれない?」
その聞き方がもうしつこいのなんのって。だからこいつが家にいると嫌なのだ。留守にしていると思ってうっかり油断をしていたらこれだ。
「つーかおまえ今中国にいるんじゃないの? ツアーやってんじゃねえの? 何でいんの?」
「ツアー中ですけど、移動に伴って少し休みが取れたので一時帰国したんですよ。まあ明日にはまた向こうに飛ばなきゃならないんですけどね」
「はっ? 今日帰ってきて明日行くわけ? 一泊二日なの? もう帰ってくんなよそれ! ずっと向こういろよ!」
「一日だけですが、あなたの顔を見たかったんですよ」
「……へえー」
オレは別に見せたくなかったけど。
お金の無駄と言おうか時間の無駄と言おうか、もういっそ人生の無駄と言ってしまってもいいのかもしれない。そうして帰って早々にやることがアップルパイ作りなのか。成人男性としてどうなのだそれは。
「それでですね、快斗」
近づいてきたキッドは、当たり前のようにオレの腰に腕を伸ばすと、そのままリビングへと連行していく。蹴り飛ばす勢いで暴れても良かったのだが、それも何だか無駄な体力を使うだけな気がしてオレは肩を落とした。
「さっきのお友達ですが」
「だーかーらー、そうなのお友達なの! クラスメイトでただのお友達で一緒に英語のプリント訳す仲! それ以上でもそれ以下でもないし青子だってあいつのことは知ってるしおまえに話すことはもう何も……」
「えぇ、お友達だということはわかってますから、そこのところについては大丈夫ですよ」
「……え?」
にっこりとキッドは微笑む。この聞き分けの良さは何なのだ。
嫌な予感を覚えて、オレはそろそろとキッドを見上げる。
「二人きりの時の会話を聞いていれば、ただの友達だということはわかりますからね。けれど一応確認はしないといけないでしょう?」
「いや何の確認……つーか、二人きりの時の会話を聞いてたってなに? え、何で二人きりの時の会話聞いてんの? どこで聞いてたの? ちょっとねえ?」
「会話を聞いていたのでもちろん大丈夫だとは思うんですが、でもやはり兄としてここはきちんと確認しなければと思いましてね」
「いやだからまずオレの質問に答えろ……ってなに人のズボン下ろしてんだよおおおっ!」
慌ててオレはズボンを引っ張り上げた。ズボンどころか尻が半分近くは見えていたのではなかろうか。ベルトを外す音など聞こえなかったが、さすがはマジシャンと言うべきかこの野郎。
叩きつけるぐらいの勢いでその手を跳ねのけたが、気持ち的にはマシンガンの一つぐらい撃ちこんでやりたいぐらいの心境だった。オレが平和主義者なことを感謝してほしい。それはもう。
振り払われた手を気にすることもなく、きょとんとキッドはオレを見つめる。
「だから確認ですよ」
「何のっ!? 何の確認っ!? ここが病院とかならともかく、何で友達が来た直後に下半身のチェックされなきゃいけないのオレ!?」
「何のって……あなたが襲われて処女を消失していないかの確認ですよ」
*
冷蔵庫の中を覗いた弟は、すぐさま「うげっ」と声を上げた。
「何これ酒ばっか。ろくに食べ物入ってねぇじゃん。おまえ普段何食って生きてんの?」
「別に、近くにコンビニがありますから」
「コンビニ弁当ばっかかよ。栄養偏るぜー? たまにはさぁ自炊ぐらいしろよ。おまえ料理だってできるくせに、すーぐ面倒がってしねえんだからさあ」
だからたまには自分が顔を出さなくてはならないのだと、そう言いたげな声音であった。何を偉そうなと呆れるが、そう突っ込むことすら面倒だった。わざわざ人の家にまでやってきて料理をするという、そんな酔狂さは弟だけのものだ。キッドには欠片たりとも理解はできない。
「すぐ用意するから、座って待ってろよ」
「そのつもりですよ」
弟の為に揮う腕など持ってはいないし、そもそも二人で立つには狭い台所だ。大学入学を機に引っ越してきたこのマンションは、立地を基準に選んだところだった。どうせ料理などろくにする気はなかったから、水周りの勝手の良さなどどうでもよかった。
真っ直ぐ冷蔵庫に向かい、ビールを一本掴んで椅子に戻る。
と、これまたうるさい声が飛んできた。
「おいおい、夕飯もまだだってのにもう酒かよ。飲むなとは言わねえけど、せめて夕飯まで待てっつーの!」
「だってできるまで暇じゃないですか」
「暇ならそこの白菜を切ってくれてもいいんだけど」
「嫌ですよめんどくさい」
「どっちだよ!」
どっちも何も、面倒なことはしたくないが、かと言って何もせず夕食が出来上がるのを待つのも暇なのだ。ただそれだけのことだ。
「ったく、空きっ腹にアルコール入れると回るだろ」
「いいじゃないですか。少量で酔えて」
「あのさあ、その減らず口何とかしてくんねえ?」
「一つしかない口が減ったら大変ですよ」
「だーかーらあ!」
言いながらも、弟は手早く白菜を切り刻んでいく。手先は器用なのだ。それはキッドも同じことだが、かと言って料理に興味があるかと言われればそれはまた別の話なのだ。
キッドがビールを一本飲み終わる間に、夕食の準備は順調に進んでいたようだった。テーブルの上にカセットコンロを用意し、弟は湯気の立ち上る鍋を運んでくる。
「鍋ですか」
「そうだけど。なにその顔」
「いえ、オレが作ると言った割りには、ただ材料を切って煮込んだだけだなあなんて思ってませんよ。えぇ別に」
「一々うっせえなあ! 文句があんなら食うなよ! いやそういうとおまえほんとに食わないで酒ばっか飲んでそうだから食え! 文句言ってもいいから食え!」
うるさいのは一体どちらの方なのだろう。
向かい合わせに椅子に座れば、さっさと弟は菜箸で器に具材をよそっていく。柔らかく煮た白菜としいたけと豆腐、それから鶏肉。相変わらずよく食べるなと眺めていれば、その器はそのままずいっと差し出された。
「ほら、食えって」
「よそり過ぎじゃないですか」
「さっきから酒飲んでんだろ。このぐらい一気に食べ物胃に収めるぐらいでちょうどいいんだよ」
「どういう理屈ですか」
呆れるが、そもそもこの弟はあまり論理的な思考回路をしていない。常に感情論でもって生きているようにキッドには思える。だからなのだろう、双子なのに外見以外はあまり似ていないと言われるのは。
鍋なんて食べたのは久しぶりのことだった。大学の飲み会で出されることもあるが、基本的に他人と同じ鍋を突き合うのは性に合わなかった。さほど潔癖なつもりはないが、どちらかと言えばそうした部類に属するのかもわからない。
「んー、んっめー!」
「そうですね」
「食うの嫌いじゃねぇんだから、普段からちょっとは自炊すりゃいいのに。それこそ鍋なんて煮るだけだって、自分でさっき言ってんじゃん」
「五秒ぐらいで煮えるのなら、まあたまには気が向くかもわかりませんけどね」
「五秒って。しゃぶしゃぶじゃねーんだからさ」
喋りながらも、弟は自身の器の中身をさっさと空にし、菜箸で鍋をつつきだす。次いでとばかりにキッドの皿にも追加の鶏肉が入れられた。
そんな風にして、キッドの器が空になるかどうかというタイミングで、弟は肉や野菜を入れていくのだ。入れられるままに食べていたが、結局鍋の半分以上は弟の胃袋に収まったのだろう。
途中から酒ばかり飲んでいたキッドとは対照的に、弟は最後まで綺麗に鍋の中をさらっていた。膨れた腹をさする顔は、ずいぶんと満足そうだ。
[14.10.17]
14.10.12発行 A5/オンデマ/42P/\500
表紙イラスト/ヒカルさん