策略
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「……快、斗?」
身体を包み込むのは滑らかなシルクのシーツ。そうして眼前に迫ったその顔は、優雅な笑みを―――けれどどこか狡猾さを感じてしまうそれを―――浮かべているのだ。
「快斗、あの、何でこんな……とりあえず」
どいてくれ、と。
言いかけた唇を、そっと手の平が抑え込んだ。
「新一」
「……っ」
背筋がぞくりと泡立つ。
恐らくは、この部屋が暗い所為だ。だからいけない。相手の声が、まるで脳に直接響くかのように、空気を震わせるように届いてしまうから。
「……可愛い、新一」
「ちょっ、だから……っ」
片方の手が、首筋を撫で、そのまま鎖骨を辿って行く。マジシャンの繊細な指先は、ただそれだけの行為でもって、新一の身体を震えさせるには十分だった。十分すぎるものだった。
「止めろって……おまえ、何して……だから、何でこんなっ!」
危うく流されそうになる意識を引きとめる。酒に酔った頭には、到底まともな思考回路なんて残されてはいなかった。けれどそれでも、今この状況がおかしいことだけはわかる。
男の持つホテルで、その一室で、そのベッドで、なぜ自分は押し倒されなくてはならないのか―――同じ男である自分が。
「快斗っ!」
ただ、力の限りに叫んだ。
けれど新一のその叫びすら、この場を壊すものには到底なり得なかった。
細い指先は、暴れる新一の身体など、物ともせずにただ釦を外して行く。よどみないその動きに、新一は怯えるよりも困惑した。そうして果てしのない焦りを覚えた。
どこからこんな展開になってしまったのか。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
「快斗、本当に止め……おまえ、何で急に、どうして……っ!」
今日一日の出来事が、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡って行った。親しみのある笑顔と気配りと、懐かしい故郷を思い出させるたくさんの時間と。初めて彼という人間を、少し理解できたような気がした。
「新一」
けれどそんなものは、所詮は幻想だったのかと。
「今日は楽しんでくれた? オレなりに、けっこうがんばったつもりだったんだけどな。新一の好きそうな料理にデートコース。精一杯紳士らしく振る舞ったつもりでね。らしくねぇことをすると、本当肩も凝るもんだよな」
「だから……なのに、なのに何で、おまえ、こんな……」
「忘れてもらっちゃ困るな。オレはマジシャンであると同時に商売人だぜ? ……何の見返りも無しに、オレが働くと思ってんのかよ。なぁ?」
ちろりと舌先が、露わになった鎖骨を舐めた。
今日一日、隣にあった親しみやすい笑顔なんて、もうどこにも残ってはいなかった。優雅さと狡猾さを、同時に併せ持ったそのマジシャンは、まるで壊れ物を扱うかのような手つきで、そっと新一の頬に触れた。
「これだけオレを働かせてくれたんだぜ。次はもちろん、オレが頂く番に決まってんだろ?」
「な……っ」
謀られた。
全ては演技、嘘だったのだと、気付いたところでもう遅い。
「……て、めぇ……っ」
アルコールの回った身体はろくに動かない。身を起こそうとすれば、ただそれだけのことにも頭が回る。もしかしたら、アルコールの中に他の物も混ぜられていたのかもしれないと、そんなことをふと思った。
この男ならやりかねない。新一はそう知っている。
なのになぜ、こんな油断をしてしまったのかはわからなかった。奥歯をぎりっと噛みしめた。両手を握りしめれば、シーツに皺が寄った。それだけだった。
マジシャンの指先は、最後に一つ残った釦を、音もなく外して行った。
◇
なぜ自分は、ここで、見知らぬ客に―――キスをされているのだろう。ぬめった唇が、舌が、まるで生き物のように首筋を這って行った。
「……ぁっ」
「……可愛い顔しやがってなあ、本当。あいつもな、そんな顔してんだよ。その見た目に、俺はまんまと騙されちまってなぁ……くそっ、あのアバズレのジャップが……っ!」
「やめっ、……あっ」
首筋を強く噛まれた。痕を付けられたなんて、そんな可愛いものではなかった。歯を突き立てられたのだ。
酔いと恋人への思いが混ざり合って形となったものは、憤りか、―――はたまた性欲か。
それが同じ日本人である新一に、ただそれだけの理由でもって、なぜ向けられねばならないのかはわからなかった。わかりたくもなかった。
「……嫌だ、止めろ、痛い……っ!」
男が歯を突き立てる。片方の腕が、シャツの釦を乱暴に引きちぎった。素肌を、この寒空の中ですら、汗ばんだ手の平が撫ぜる。そうして、爪を立てられた。
「……ったぁ」
「新一」
何かの商談でもあったのか。
珍しいスーツ姿の上、前髪も分けられていた。日頃は童顔気味だとばかり思っていたその顔立ちが、そうするととたんに大人びて見えることに驚いた。
「……快斗」
「悪ぃ、家まで迎えに行くつもりだったんだけどさ。ばあさんの話がもう長ぇの何のって。ったく、女の話は長いもんって相場は決まってるけど、あれ、年を重ねるごとに悪化してくのな」
辺りには宿泊客の姿はもちろんのこと、働き回るボーイの姿だってある。日本語だからわかる相手は他に居ないと思っているのかもわからないが、それにしたって声高に言うことではないだろう。
「寺井ちゃん、迎えありがとな。後はもう平気だから、戻って準備の方だけ頼むよ」
「はい、快斗ぼっちゃま」
「……だからその呼び方いい加減止めろって」
少しばつが悪そうに快斗は眉を寄せる。微笑みながら一礼をして、新一をここまで送り届けてくれた老人は、再びエントランスをくぐっていった。
「さて、それじゃあ行くとしましょうか?」
「……おぉ」
頷いた新一の、緊張に気づいているのかいないのか、笑いながらに快斗は右手を動かした。またいつもの薔薇の花を出すのだろうと、その動きを見つめていれば、予想に反しそのまま快斗は新一の右手を取った。
「本日は私めの為に、時間を割いて頂き光栄ですよ、レディ」
そう言って、手の甲に唇を落とされる。
つい最近でも、店でもされた行為だ。その時は唇にされるよりかはまだマシだなんて、そんなことを考えてしまったが。
「……ばっ、おま……っ!」
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ひょんなことから快斗とデートに出かけることになったしまった新一が、うっかり食べられそうになる話です。
デート話と見せかけて、そこに至るまでがそれなりに長いです。若干モブ新要素もあり。
...12.11.02(14年1月完売)