Detective&Rabbit


 ウサギと飼い主

 少し前から、オレは一匹のウサギを飼い始めた。
 仕事にばかり明け暮れるオレを見かねて、知り合いが「それじゃいかん」と生まれたばかりの子ウサギを一匹譲ってくれたのだ。
というのは建て前で、ただ単に貰い手を探していただけだろうとはわかっていたが、一応は好意であるその気持ちをオレは素直に受け取ることにした。自分でも、この生活が二十代の若者らしくないことはわかっているのだ。
 やれ殺人事件だ、ダイイングメッセージだ、暗号だ、密室殺人だ―――気づくとそんな単語ばかりで埋め尽くされてしまうオレの日常において、やって来た子ウサギは確かに可愛らしい存在だった。
犬と違い毎日の散歩の必要があるわけでもないし、猫と違い壁紙をダメにすることも、妙な獲物を取って持ってくることもない。愛くるしい動物だという知人の謳い文句は、確かに間違ってはいなかった。
 ウサギは可愛い。その垂れた耳も―――オレが貰い受けたウサギは、どうやらそういう品種らしい―――つぶらな瞳も。オレのやったニンジンを、ぽりぽりと齧る様はまさに可愛いの一言に尽きる。今となっては、オレの数少ない癒しの一つと言ってもいいだろう。
この日の仕事はすぐに片付いて、オレは急ぎ帰路についていた。以前のオレなら好きなシリーズの新刊でも発売されない限り、急ぎ家に帰っても特にすることなどはなかったのだが、今は違う。オレの帰りを待っているウサギがいるのだ。そうしてそのウサギは常に腹ペコだ。
帰りのスーパーでニンジンを一袋と、それから自分用の晩酌の缶ビールを買ってから、家へと向かった。
玄関の扉を開けば、普段ならそこで待ちかまえているはずのウサギの姿は無かった。オレの帰宅がいつもより早かったからだろう。
「ただいま」
 帰宅の言葉だって、以前は発することもなかった。この家には今まで、オレしか住んでいなかったのだから仕方ない。一人暮らしをすると独り言が増えると聞いたこともあるが、オレの場合それは当てはまらないようだった。
 しばらくして、たたたっと軽い足音が聞こえてきた。ウサギがオレの帰宅に気付いたのだ。
「新一!」
 走って来たウサギを、オレは何とか片手で抱きとめた。
 家に来たばかりの頃は、オレの片手に乗るぐらいの大きさ―――というのは言いすぎだとしても、まあそれなりに小さかったウサギは、あっという間に大きくなった。今ではオレと頭半分程しか変わらない。できることなら、これ以上は大きくならないでもらいたい。抱きとめるのが難しくなるからだ。
「新一おかえり! びっくりした。えっ、何で今日こんな帰ってくるの早いの」
「たまにはいいだろ。今日は早く事件が片付いたんだよ」
「なに、犯人が自白したとか?」
「……オレの推理が冴え渡ったんだっつの」
 自分で言うのは何とも虚しい。
 けれど、犯人が自白したとあっては、オレが現場にいる意味がまるでない。事件が早々に解決するに越したことはないのだが。
「ウソだよ。新一が早く帰ってきてくれて嬉しい」
 にこっと笑って、ウサギはオレの首筋にすりすりと頭を擦りつける。そうすると、垂れた長い両耳も同時にオレの首筋にあたって、何ともこそばゆくてたまらない。
「……一人で待ってんの寂しいもん」
 ウサギは寂しいと死んでしまうというのは迷信だ。縄張り意識の強い動物であるから、むしろ単独で飼うのにある意味では適しているとも聞いたことがある。
確かにオレの飼っているこのウサギも、オレの家に余所の人間がやって来ることをひどく嫌う。けれど、それと寂しさはまた別なのだ。
「そりゃ悪かったな」
 オレはぽんぽんとウサギの頭を叩く。そうすると、ウサギはことさらオレに頭を摺り寄せてくる。何とも可愛い。
「今日は早く帰ってきたからな。ずっと一緒にいてやるよ。……ああ、夜も一緒に寝てやろうか」
 ある程度大きくなった頃から、ウサギには一人部屋を与えている。その扱いに、ウサギ本人も満足しているようだった。少なくともオレにはそう見える。
 でも今のウサギは、どこか落ちつかなさそうな目でオレを見上げた。
「……一緒に寝たら、妊娠しちゃわねぇかなあ、オレ」
 雄の癖に何を言っているのだ、こいつは。
 させられるものなら、幾らでもさせてやりたいと言うのに、まったく。

   *

新一の帰りが今日も遅い。
昨日も遅ければ一昨日も遅く、その前も遅くそのまた前も遅く、つまりここ一週間近く、ずっと新一の帰りが遅いのだ。
帰りが遅いというのは、何も新一が毎晩夜遊びに励んでいるわけではなく、つまりあちこちで事件に巻き込まれたり呼ばれたりしているわけで、そんな時の新一はもれなく疲れて帰ってくる。それが一晩程度であればともかく、一週間近くも続いているのだからさもありなん。
 新一はこよなく事件を(と言うよりもそこに隠された謎を)愛しているのかもわからないが、体力的にはいたって普通の人間なのだ。
「……おー、いい子にしてたか快斗」
 夜遅くに帰宅した新一は、オレの顔を見るとそんなことを言う。
 いい子にしていたかも何も。オレがいい子でなかった時があるというのだろうか。生まれてこの方、オレほど品行方正なウサギはいないと自負しているというのに。
「もちろん。朝はゴミ捨てもしたし昼には掃除機もかけたし夜には夕飯だって作ったぜ。あ、新一の分もちゃんと作ったんだぜ?」
 食べる食べる? と見上げて尋ねるオレに、うっすらと隈の浮かんだ瞳で新一は問い返してきた。
「夕飯のメニューは?」
「塩茹でニンジンの盛り合わせ」
 オレはどちらかと言うとソテーの方が好きなのだけれど、新一にはあっさりした味付けの方がいいかと思ったのだ。
「……明日の朝に食う」
 オレのそんな親切心を、いともあっさり新一は無視してくれる。朝には朝のニンジンがあるというのに。オレは思わずしょんもりする。元々垂れている耳がさらに垂れさがる。
 しょんもりするけれど、何より新一は疲れているのだ。まさかその口に無理やりニンジンを突っ込むわけにもいかない。オレは品行方正なウサギだからして。
「わかった」
 オレはこっくりと頷いた。再びベッドの中に潜る。シャワーを浴びた新一は、すぐさま戻って来た。夕飯も食べずに、今日もこのまま眠ってしまうらしい。
 新一が隣にいると思うだけで、オレのテンションはちょっぴり上がる。パジャマ姿の新一からは、当然だけど新一の匂いと温もりがたっぷり伝わってくる。オレのテンションは上がるばかりだ。同時に、むらむらと他のものも込み上がってくる。
「……新一、寝ちゃうの?」
「……あー」
 早くもその声は、半分ばかし眠りの世界に足を突っ込んでいるようだった。疲れているとはいえ、いささか寝るのが早すぎやしないだろうか。
「なあ、新一」
 すりすりとオレは身体を寄せる。新一にもう少しでいいから起きていてほしい。できるなら、ちょっとでもいいからオレに触れてほしかった。今なら特別に、オレの尻尾を触らせてやってもいい。
 オレはそこまで寛大な気持ちになっていたというのに、新一はあろうことかごろりと寝返りを打ち、オレに背中を向けてしまった。まるで拒否のポーズだ。オレは少なからず傷ついた。
「……ひでぇ、新一」
 ペットは小さければ小さい方が可愛いとはよく聞くけれど、オレはもうとっくの昔に子ウサギからは成長してしまっていた。一人前になったオレに、早くも新一は飽きてしまったのだろうか。オレは日々、こんなにも新一の帰りを一途に待っているというのに。
 つんつんと背中をつついてみる。鼻先を押しつける。ふんふんと匂いを嗅ぐ。それだけで身体がきゅっと熱くなる。ぽーっとする。無意識に膝を擦り合わせなが ら、オレはわずかに身を起こした。後ろから、新一の耳朶をはむはむと噛んだ。オレの耳と違い、新一の耳はずいぶんと小さい。
「……ウサギは寂しいと死んじゃうんだぜ」
 今のオレは寂しくて死にそうだ。
 新一は毎晩帰ってくるのが遅くて、帰ってきてもオレの作った夕飯なんて食べてくれなくて、そうしてちっともオレに触れてはくれないから。
「安心しろ。ウサギは単独で飼育しても大丈夫だって、オレは言われておまえを飼ってんだからな」
「新一」
「……ったく、この程度で死なれちゃオレが困るんだよ」
 新一が再び寝返りを打つ。伸びた腕がぎゅっとオレを浚って毛布に引っ張りこんでいく。
 あーあったけぇ、ともらす新一は、もしかしたらオレを湯たんぽか何かと勘違いしているのかもわからないが、オレだって新一の温もりが傍にあるのは嬉しい。背中にくっついているよりもずっといい。
 ずっといいけれど、そうやって新一にぴったりくっついていると、オレの身体はますます熱くなるばかりだ。
「……新一」
 身体が辛い。
 新一がいなくても辛いけど、新一が傍にいても辛いのだ。何てことだろう。多分きっと、これは不治の病にも似ている。
 オレはたまらず、さらに毛布の中へと潜り込んだ。ずぶずぶと潜り込み、そうして新一のズボンの中に手を突っ込んだ。ふにふに。まだだいぶ柔らかい。
「……って、何すんだよっ!」
「ぎゃんっ!」
 オレはたまらず叫び声を上げた。
 すかさずオレを引っ張り上げた新一は、あろうことかオレの耳を掴んでくれていたのだ。
「痛いっ! 耳が千切れたらどうしてくれんだよ……っ」
「知るかバーロっ! おまえこそ、人が寝てるってぇのに、何つー真似を……!」
「だって新一が全然オレを抱いてくれないからー! ペットを欲求不満にさせた上に、暴力ふるうだなんて最低だうわーん!」
「こっちは疲れてんだよ! 万年発情期のおまえに付き合ってられるかっ!」
「だってオレ、ウサギだもん! 万年発情期で何が悪いんだよー! 新一見てるとむらむらするんだもん仕方ないだろ……っ!」
「付き合わされるこっちの身にもなってみろっ!」
 一体なんて言い草だ。
 自分の機嫌がいい時には、ノリノリなのは新一の方だというのに。
「とにかく今日は疲れてるんだ! おまえも変なことしてないでさっさと寝ろ!」
 そう言い切って、再び新一はオレに背中を向けてしまった。同じことの繰り返しだ。
「新一ぃ……」
 オレが何度名前を呼んでも、背中をつんつんと突いても、軽く噛みついても、新一は決して振り返ってくれない。それどころか、すぐに寝息まで聞こえてくる始末だ。ショックを受けたが、新一はそれだけ疲れているということなのだろう。それがわからないオレではない。
 わかるけれど、オレの気分は全く晴れない。気分というか、このむらむらというか。
「……新一のあほ」
 飼い主なら、ペットの面倒はきちんと見ろというのだ。
 新一の寝姿を見ながら、オレはこれ以上無い程にしょんもりとした。今夜はだれかさんの所為で、しょんもりの大安売りだ。
[13.03.22]
13.03.17発行 A5/44P/\400