春の終わり


 キャンパスから直接、電話で告げられた事件現場へと向かえば、そこでは馴染みの刑事達が工藤の到着を待っていた。
 張り巡らされた立ち入り禁止のテープを無言でくぐっても、最早工藤を止めるような人物はここにはいない。管轄の違う、地方の警官達が相手になると、話はまた別なのだが。
「遅くなってすみません」
「あぁ、工藤君。いや、こっちこそ悪いね、授業中に」
「いえ、ちょうど終わったところでしたので」
 挨拶はその程度で終わらし、静かに現場を見渡した。大体の状況は、ここに来るまでの間に電話で全て聞いている。
けれど使われた凶器、現場に残された幾つかの品を見る内に、これはやはり容疑者に話を聞く必要があるだろうと思われた。電話で聞いた内容と変わらぬものだとしても、自身の耳で本人を前にして聞くのでは大きな差がある。また、何が証拠になるかはわからない。
「佐藤刑事。すみませんが、僕も一度容疑者と話をしても?」
「えぇ、もちろん。ただ、今日この店を利用していた客は多くてね。ちょっと数が多いけど」
「構いません」
 別室の扉を開けば、事件が起こってから、そうして工藤が現場に訪れるまで、多少時間が経っているからだろう。容疑をかけられた上で待たされている人々は、それぞれが椅子に腰かけ、疲れてきった表情を見せていた。
「すみませんが、皆さん。僕からも、一度現場でお話を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか? できれば皆さんに、犯行が起こった時と、同じ席に座って頂きたいのですが」
「……工藤新一」
 どこからか声が上がる。まだ一介の大学生が、事件現場に顔を出したことにも、だれも何も言うことはない。文句の一つも漏れることなく―――あるいは、漏らす気力が残っていなかっただけなのかもわからないが―――人々は席を立ち、工藤の指示に従い、犯行が起こった隣の部屋へと向かって行った。
 佐藤刑事もその後に着いて行く。最後に扉を閉めようとしたところで、工藤はまだ部屋に一人残っていることに気がついた。
「すみません、向こうでお話をお伺いしたいのですが」
 声をかけても、残った容疑者は身動き一つしない。頬杖をつき、下を向いている。まるで居眠りをする学生同然の姿だ。まさかそんなと思いながらも、工藤は静かに足を向けた。
「すみませんが、お話をお伺いさせて頂いても?」
 声をかけ、肩に触れる。
 その寸前で、身体が動いた。目立つオレンジ色のパーカーを着た身体が、小さく震えた。その両目が開く。
「……あちらで、事件が起こった時のお話を、もう一度聞かせて頂いても?」
 ぱちぱちと、瞬きを繰り返すその顔に向かって、新一はゆっくりと話しかけた。どこかぼんやりとしたような、状況を掴めていないような、そんな顔をしながらも、男はあろうことかポケットから携帯を取り出した。
「あの」
 何も無茶なお願いをしているわけではない。目の前の男が犯行を犯していないのなら、ここは大人しく協力をした方が身の為だと思うのだが。
 まさか引きずって行くわけにもいかないしと、工藤が思案し始めたところで、男は手にしていた携帯をこちらに向けた。その画面が見えるようにして。
「え?」
 釣られてその携帯に視線を落とす。
『すみません、聞こえなかったもので。今行きます』
 工藤がその文面を読み終わると同時に、男は再びパーカーのポケットへと携帯をしまい、軽い足取りで部屋を出て行った。慌ててその後を追い、扉を閉めたところで、佐藤刑事が戻ってきた。
「工藤君、何かあったの?」
「あ、いえ……今の、オレンジ色の服を着た青年なんですけど」
「あぁ、あの人。何でも、耳が聞こえないみたいで」
「耳が?」
 聞こえなかったと、確かにメール画面にはそう打ってあった。どうしてそんなことを、わざわざメールに打ち込むのかと訝しく思ってしまったが。
「でも、こっちの言うことが」
「唇の動きで読んでるんですって。普通に話してくれれば、言っていることはほぼわかるって言ってたわ。あぁ、言ってたっていうか、メールに打ってくれてたんだけど。私も最初に話を聞いた時には、ちょっとびっくりしたんだけどね」
「……そうですか」
 悪いことをしたなとただ思った。居眠りをしているか、こちらの言うことを、また別の意味で聞いていないのではないかと思ってしまったのだ。
 容疑者全員に話を聞き、その矛盾点を見つけ、工藤が事件を解決するのにそう時間はかからなかった。一度は将来を誓い合った男女の迎えた悲劇の結末。パトカーに乗せられる犯人の姿を眺めてから、工藤は周囲へと視線を向けた。
「……あれ」
「どうかしたかい、工藤君?」
「あ、いえ……オレンジ色のパーカーを着た、難聴の青年の姿が見つからないなと」
「本当だ。おかしいな、いつの間に……」
 高木刑事もまた首を傾げる。そう広くもない店内を、一通り探したが、どこにも目立つあのオレンジ色を見つけることはできなかった。恐らくは、もうこの店内にはいないのだろう。あちこちに警官の姿がひしめく中、一体どのようにして一人帰路についてしまったというのか。
「一応、連絡先なんかは一通り聞いてあるからね。何か気になることがあるのなら、後で連絡をつけても……」
「あぁ、いえ。そういうことではなくて。ただ最初、難聴の方だとは思わず、少し失礼な接し方をしてしまったので……最後に軽く謝っておきたいなと思っただけなので」
「仕方ないよ。見た目ではよくわからないものだからね」
 工藤君は悪くないよと、慰められてしまった。それはただ単に高木刑事の優しさ故に出た言葉なのだろうが、そこに少しの子供扱いが入っていることも事実なのだろう。馴染みの警官の中にいれば、工藤はいつまで経っても最年少の人間なのだから。
苦笑をしつつ、「工藤君!」と呼ばれた声に顔を上げた。軽く手招きをされて、小走りに駆ける。
「お疲れ様。今日もありがとう。やっぱり、工藤君に連絡をして正解だったわ。ところで、この後時間ある?」
「時間、ですか。はい、今日はもう授業も無いので」
「そう? あ、今の、何だかナンパみたくなっちゃったわね」
 工藤がちらりと思ったことを、佐藤刑事本人が言うものだから、一瞬言葉に困った。表情はさほど変わらなかったことだろうが。
「でも、そんな色っぽい話じゃなくてね。ちょっと、この後見てもらいたいものがあって。もちろん、缶コーヒーぐらいなら奢るけど」
「見てもらいたい物、ですか?」
「まだ公表はしていないんだけどね。今朝早くに、警視庁に脅迫文が届いて。それがどうにも暗号めいた文章でね。悪戯かどうかはまだわからないんだけど、工藤君、そういうの得意でしょ?」
「……えぇ、まあ」
「まあ、多分悪戯の類だとは思うんだけどね。何となくだけど、そういう感じがするっていうか。でも、このご時世だしね。念には念をと思って。一応工藤君にも見てもらったらどうかってね」
 警察官からのその信頼は素直に嬉しい。ただの悪戯だと思いこんだそれが、後々大事件に繋がるというケースも少なくはない。それを想定して彼らは日々働かなくてはいけないのだから、ただ現場の謎解きにだけ集中していればいい工藤とは、比べ物にならない働きぶりを見せているのだろう。もちろん、社会人と学生の違いがあれば当然の話だが。
「このまま、佐藤刑事の車にご一緒しても?」
「もちろん、乗ってちょうだい。きっと無駄足になるとは思うんだけどね。工藤君はあれでしょ? 怪盗キッドがたまに送りつけていたような、あんな暗号が好みなんじゃない?」
 暗号と聞けば、どうしたってその姿を思い出さずにはいられなかった。けれどこの瞬間、思わぬ相手の口からその名前が飛び出し、一瞬工藤は瞳を揺るがせた。白い姿を、脳裏にまざまざと浮かび上がらせた。
「……暗号に、好みも何もありませんよ」
「そう? キッドを追いかけてた時の工藤君、ずいぶんと楽しそうに見えたものだから」
「それは……」
 女性の観察眼は侮れない。あるいは、大人のと言うべきか。
「でも、懐かしいわよねぇ。キッド、どこに行っちゃったのかしら。あれだけ世間を騒がしてたのに、消えるのもあっという間だったわよね」
 キーを取り出し、佐藤刑事は運転席に乗り込む。車に乗せてもらうことは、これが初めてではなかった。工藤もまた助手席へと回った。
「だけど、キッドって確か、その前にも一度姿を消してるのよね。じゃあ今回も、また少ししたら復活したりするのかしらね」
「それはないでしょう」
 返事は、あまりに早すぎたのかもしれない。
「工藤君?」
 エンジンを入れた佐藤刑事が、そのまま車を走らせることも忘れ、驚いたように工藤に顔を向けていた。
「それはないって……何か知ってるわけ?」
「あ、いえ」
「そういえば、戻ってきたと思ったら、熱心にキッドを追いかけてたわよね。工藤君、何か掴んだことでもあるの?」
 ただの世間話のつもりだったのだろうそれから、一瞬にして刑事の視線へと変わる。失言だったなと、内心で歯噛みしながらも、新一は平静を装いシートベルトを締めた。
「掴んだことなんて、何もありませんよ。ただキッドは、以前にも数年間姿を消していたでしょう? 単純に考えて、年齢的にいつまでも怪盗を続けるのは無理だと思っただけですよ」
「……あぁ、そういうこと」
 あっさりと佐藤刑事は頷く、シートに深く背中を預けた。キッド専任の刑事でなくとも、同じ警官としては、色々と思うところがあるのかもしれない。
「そうよね。あれだけの頭脳に、マジックの腕前だもの。以前に姿を消す前だって、それなりの年齢だったのだろうし。この上またさらに数年後に姿を現そうものなら、今度こそ捕まってもおかしくはないものね」
「そうでしょう」
「でも、工藤君、悔しいんじゃない? 必死に追いかけてた怪盗を、ついに捕まえることができなかったんだから」
 ハンドルに寄り掛かるようにしながら、佐藤刑事はどこかからかうような声音で尋ねてくる。
 悔しいのか、そうでないのかなんて、考えたこともなかった。ただ、あの怪盗は、自分の前から消えてしまった。その事実が残るだけだった。
「長年追いかけている中森警部ですら、手錠をかけられなかった怪盗なんですから。僕が捕まえられないのも当然ですよ」
「ま、その代わり工藤君は、こっちの現場じゃ大活躍だものね」
 また、慰められてしまったのだろうか。
 佐藤刑事はアクセルを踏み、車は本日の事件現場から、警視庁へ向けて動き出した。道のりはそう遠くは無い。窓の外を眺める景色を、工藤はぼんやりと眺めた。


 白い怪盗が姿を消してから。
 もう三度目の春が、終わりを告げようとしていた。

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大学生探偵な工藤さんと、難聴な快斗の話。シリアス中編。
こんな新快もありかなと、そういう気持ちで読んで頂けたら幸いです。

[12.11.19]
13.01.06発行/13.05.03完売