夜になれば、黒羽は帰って来た。ご丁寧にスーパーの惣菜まで持っている。
「工藤さんどうせ夕飯食ってないだろ? 一緒に食おー」
夕飯なんて食っていないどころか、そもそも用意すらしていない。黒羽が買ってきたのは天ぷらの盛り合わせだったから、戸棚の奥にちょうど二人前眠っていたきしめんを茹で、天ぷらうどんにすることにした。白身魚の天ぷらを、黒羽は「早く! 早くそれ食って! 早く早く!」と急かすため、あまり味わえないことが残念であった。
「服部んちで何してたんだ」
「え、浮気」
「……ぶっ」
「うわ汚ぇっ!」
天かすと麺つゆを、思い切り吹きかけてしまった。汚いと罵られるのも当然なのかもわからないが、これは果たして工藤の所為なのか。
「……お、おま、今何て……っ!」
「その前に口拭けよ。汚ぇっておまえ」
呆れたように布巾を手渡される。おまえ呼びをされるのは珍しいなと、思いながらにその布巾で口元を拭った。向かいの席では、黒羽もまた一生懸命に、ティッシュで顔を拭っている。悪いことをしたなと思ったが、工藤とて吹きたくて吹いたわけではないのだ。
「……おまえさっき、何つった?」
「えー、浮気って?」
「だからおまえ何で……っ!」
「もー、冗談じゃん。探偵って何でこんな頭固いのかねー」
さらりと言いながら、黒羽はサクサクと海老の天ぷらをかじっていく。魚はダメでも海老はいいのか。同じ魚介類だというのに。見た目がネックなのだろうか。その差は工藤にもわからない。話を向けると、とたんに黒羽は嫌がって逃げ出してしまうからだ。
「……あぁそうかよ」
「やだなー。工藤さん、オレがほんとに浮気したとでも思ったの?」
からかうように言いながら、黒羽は工藤の器に箸を伸ばしてくる。そうして、一瞬の間に海老天をさらって行った。
「おいこら」
「いやぁ、海老天てやっぱ美味いよな。天ぷらの王様だよな。工藤さんありがとう」
「ありがとうじゃねーよ! だれもやるとか言ってねぇだろ!」
「でももうオレの口の入ってるし」
「オメーが自分で入れてんだろっ!」
別にそこまで海老天が惜しかったわけではない。が、黙って取られるというのは、何となく腹立たしい。目には目を、歯には歯をだ。
「あーっ、オレの穴子っ!」
「魚嫌いなんだろ。食ってやるよ」
「アレは嫌いだけど穴子は別にアレじゃないし! 全然普通に好きだしオレっ!」
「そうかそりゃ悪かったな」
「工藤さんわざとだろ!? わざとだろっ!?」
先に人の海老を食べておいて、一体何を喚いているのだ。
その後もみっともない攻防戦を繰り広げながらに、騒がしい夕飯を終えた。最後の方は、何だか麺が伸び切っていたような気もしたが、あれだけ騒いでいれば仕方のないことと言えるのだろう。どうして夕飯を食べるだけで、ここまで労力を使わなければならないというのだろうか。
「……つっかれた」
「美味しかったと言って欲しいところなんだけど、そこは」
黒羽の苦情を無視して、空いた器を持ってキッチンへと行く。流しに置いた後、冷蔵庫を開けて缶ビールを掴んだ。
「あ、いいなー」
缶ビールを片手に戻った工藤を見て、黒羽はそんなことを言う。
「おまえビール飲まないだろ」
「冷蔵庫にココアが入ってます」
「なら自分で取りに行け」
「ちぇーっ」
不満そうに黒羽は唇を尖らすが、なぜ工藤がそこまでしなくてはならないというのか。すぐさま黒羽はキッチンへ行き、コップにココアを注いで戻ってきた。当然のことだ。
「……で、結局、服部の家で何をしてきたんだ?」
改まって尋ねれば、返ってきたのは、きょとんとした黒羽の丸い瞳だった。
「あれ、まだその話続いてたの?」
「続いてたどころか、発展もしてねぇだろうが」
「暇ならほら、これ一緒に読も」
「何だそれ」
「フロントに置いてあった。この辺の観光マップだって」
黒羽が取り出したのは薄い冊子だった。そういえばそんな物がフロントに置かれていたような記憶もある。
「ンだよ、やっぱ遊びに行きてぇんじゃねーか」
「明日ね。だってチェックアウトしてから時間あるだろ? 遊んでから帰ろうぜ。昼間どっかで美味いもんとか美味いもんとか美味いもんとか食べてさー」
「おまえの頭は食べることでいっぱいか」
「健全な青少年なものですから。……あ、ほら、ここの蕎麦屋さん美味しそう。湧き水使ってるんだってー。すげえ」
うつ伏せになって冊子を覗きこむ黒羽は、ほらここ、と丁寧に写真を指差してくれる。けれど生憎と、工藤は別のものの方に気を取られていた。
まだ外の空気は冷たいというのに、黒羽は結構な薄着だ。ぺらぺらのシャツは首元も緩く、鎖骨が十分すぎる程に覗いている。
「かきあげめっちゃ美味そう! いいなぁ蕎麦いいなー。あ、でもとろろ蕎麦も捨てがたい。うあーいいなめっちゃ美味そう。蕎麦よりさ、普段はラーメンの方が食いたくなるんだけど、旅行ってなると美味そうな蕎麦の店がうひゃっ」
まるでスイッチを押したかのように、妙な声がその口から飛び出てきた。
鎖骨に触れたまま、思わずくつくつと笑い声をもらす工藤に、当然黒羽は非難染みた視線を向けてきた。
「……何すんの急に」
「や、水滴ついてんなと思って」
「言えばいいだろ言えば。あーもう、工藤さん指先冷たい!」
すぐさま振り払おうとするものだから、恋人相手にそんなつれない態度もないだろうと、工藤も少しムキになってしまった。しつこく鎖骨をなぞっていれば、だんだんとその指先に込められた意味が変わってくるのもまた当然のことだった。
「……何しようとしてるのかなぁ?」
工藤の手をぎゅっと握り、それ以上の動きを封じ込めようとする黒羽に、工藤は平然と答えた。
「おまえが構ってほしいって言うから、じゃあここはじっくり構ってやろうかと」
「オレがそういう意味で言ったんじゃないのわかってるよね!?
何でそうすぐさまそっちのスイッチ入るかなぁ!」
「健全な青少年なもんだから」
夕食までにはたっぷりと時間があるし、その上ベッドはそれぞれツインとなっている。男が寝るのだから広い方がいいだろうと思ったまでのことだが、もちろんこうした状況も、当然工藤は視野に入れていた。
「いいじゃねえか。構って欲しいんだろ?」
触れた黒羽の肌は、いつもよりも滑らかな気がした。温泉の効果だろうか。これは予想していなかったが、案外といいものだと口元を緩める工藤にも、黒羽は表情を緩めなかった。
「何だよ」
「真昼間っからンなことして、汚れた身体を大浴場で洗うなんて嫌だっつってんの。何考えてんだよもう」
「大浴場行かなくても、部屋にシャワーついてるだろ。そこで洗えばいいじゃねえか。何だったらオレが洗ってやろうか?」
[14.03.20]
14.03.16発行/14.03.16完売 A5/コピー/44P/\400